その他のこと |
病気になって初めて分かったこと |
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何でもそうですが、「経験してみて初めて分かること」は多いですよね。抽象的なこと、具体的なこと、小さなこと、人生観が変わるほど大きなこと、何でもけっこうですのでどんどん投稿してください。 |
★病気になって初めて分かったこと★ ☆ 2005.3.22 東京都 No.018 ヒロのママ わが子が肝芽腫という小児癌になって、初めてわかったことというのは『小児癌が不治の病ではない』ということです。 もちろん、まだ寛解中なので完治はしていません。一生懸命に寛解生活を明るく送っています。親の会の主催の交流会や勉強会に参加してみて、初めて“情報”という物を得る事が出来ました。すると、病気になる前までに自分が思っていた『小児癌』という知識が、間違っていることが多いということがわかりました。 私の知っていた『小児癌』という難病は、かかってしまったらどんなに頑張っても治らず、お星様になってしまうと思っていました。その理由は、情報が無かったということです。TVで見るドラマやドキュメンタリーは、必ずと言ってよい程に頑張りがむくわれていなかった気がします。それに、自分自身でも「調べよう」という気する起きませんでしたから・・・。 でも、実際に我が子が『小児癌の肝芽腫』になり、治療や手術をしてみて、“寛解”“完治”という状態があることも知りました。 先日、病院の親の会の講演会に1人の医学生の紹介がありました。その医学生は、ご自身も子供の頃に白血病と戦い、完治したそうです。現在医師になろうと勉強しているそうです。講演会でも「“希望の星”ですね!」と司会者の方が言いました。完治して元気に社会人になって、頑張っている人が大勢いるということを、自分の目で確認できたのが嬉しかったです。 治療の方法もそうでした。以前は、化学治療というのは毎日行われて、身体はボロボロになってしまうと思っていました。でも、実際は我が子の治療期間は3日で、残りの28日は体調管理の時間ということもわかりました。採血や採尿をしながら、きちんと管理されながら治療を進めるという知識はなってみて初めてわかりました。 最後に『人間、慣れる』ということです。 6ヶ月半、我が子と一緒に病院に缶詰状態でした。最初は自分の精神状態もおかしくなりそうなくらい、体力も精神も限界でした。でも、入院から時間が流れるとだんだん病院での生活が自分の生活となっていくのです。その時に「あ〜、病院生活に慣れてきたんだな!」と実感しました。そう思えたのも、我が子の病状が安定して、寛解に向けて順調に進んだせいなのかもしれませんが・・・。 |
★病気になって初めて分かったこと★ ☆ 2005.3.11 神奈川 001 そうちゃんママ 子供が病気になって初めて分かったこと、すごくたくさんありすぎてとても書ききれないので、ひとつだけ。 何と言っても入院して一番最初に分ったことは、「病気の子どもってこんなにたくさんいるんだ」ということです。 特に入院していたのは子ども病院だったので、産科に入院しているわずかな大人以外は全部子どもだったせいか、より印象が強かったのかもしれません。 人間っていろいろアンテナを張って見ているつもりでも妊娠中はやたらと妊婦の姿が目に入り、自分が怪我で包帯巻いているとやたらと包帯巻いている人に気づく・・・と言う具合にやはり自分の生活に関係のあることがより目に入るようにできているんでしょうね。今まで身近に重い病気の子がいなかったので知らなかっただけなんですが、昔から病気の子はたくさんいてきっと「早く治りたい」と子供も親も一生懸命やってきたんだろうなぁと言うことに想いが行くようになりました。ずっと忘れていたけれど、小学校の運動会の時に心臓発作を起こした同級生の女の子がいて、「あの時とても苦しそうだったのにびっくりしてただぼーっと見ていたな、私」とか、「中学の時に毎日両脇に松葉杖をついてかばんも持って登校していた上級生の女の子がいたな。1人でいることが多かったな」とか・・・。子どもがこういう病気にならなければ思い出すこともなかったかもしれません。 あの頃は(相当昔です(^^;) )子どもも親も病気のことをあえて人に話すということがあまりなかったというか、むしろ病気のことは出来れば分らないようにしたい、と言うのが大勢だったようで、周りも「具合がわるいらしい・・」とは思っていてもやはり病気のことには触れないというような空気があったのですが、やはりもっとその子の病気のことなど知っていれば同級生としてのサポートも出来たかもしれない、などと思ったりします。 息子は治療が終ってから幼稚園生活を送り、今小学生になっています。ずっと寛解を保っていますが、病気のことは幼稚園にも学校にも話しました。それは決して「特別扱いをしてほしい」と言うことではなく、実際に「耳の聞えが少し悪い」とか「血腫があるから運動によってはできません」とか「突然の腹痛と嘔吐」とか、そういうことが肝芽腫という小児がんで治療を受けた影響であり、日常の生活である程度は注意が必要だからであって、例えばピーナツのアレルギーの子を持つ親が「ピーナツはアレルギーが出るので食べさせないで下さい」と言うのと同じことで、子どもたちがお互いの事情を知るということは、むしろ普通に生活するために必要な情報の1つとして私は回りに話をしています。そしてそこからさらに今も頑張っている子供たちが大勢いることを1人でも多くの人に知ってもらえたら・・と思います。 |
うれしかった一言(入院前半) | ||
入院生活の前半で嬉しかった一言をお聞かせ下さい。 家族・親戚・友人・知人・医師・看護師など、「こういう状況の時にかけてもらったこんな一言が本当に嬉しく身にしみた」と言う一言はありませんか? |
★嬉しかった一言★ ☆ 2004.12.4 神奈川 No.001 そうちゃんママ 入院前半は、入院2日後の手術に引き続き化学療法をCITAで始めましたが、AFPの下がりが悪く、私の精神状態もかなり悪かった頃です。 『手術が成功すれば治ったも同然』のようなことを言う脳天気な親戚や、慰めるつもりで「小児がんも今では治る病気だそうだから」と息子の難しい状況も理解していないのに言われては腹を立てたり・・・。人の言葉には非常に鋭敏になっていました。 そんな頃嬉しかった一言は、隣人だった友人の「何をしていいのか分からなくて・・・とりあえず車のスペアキーを作ってきたからいつでも車使ってね」と当時車を持っていなかった私に封筒に入ったスペアキーを渡しながら言ってくれた一言と、入院数ヵ月後に知り合った同じ病棟に入院していた脳腫瘍の子のママの「頑張ろうねっ!」と言う一言でした。 特に「頑張ろうねっ!」と言う言葉は、それまで息子の病気を知ったいろいろな人から「頑張ってね」と言われてもなかなかその言葉を素直に受け止められなかったのに、お互いの辛い状況をお互いに理解した上で聞いたせいか、不思議なほどストンと心に入ってきて、それが自分でもとても印象的だったことを覚えています。 彼女の娘さんも再発率の高いなかなか難しい状態だったのですが、それでも明るく「頑張ろうねっ!」と言っていつも冗談を言いながら笑っている彼女は病棟の中の明るい陽だまりのような存在でした。その後息子に続いて彼女の娘さんも無事退院し、退院後4年経った今、お互いに再発せず、近頃は娘さんが肝芽腫でないにもかかわらず毎回交流会で書記をやってくれてます。いつもありがとね。 |
励まされたこと | ||
子どもががんであると言われた時の衝撃は、経験した親でなければ分からないでしょう。その衝撃から立ち上がり「何としても治してみせる」という気持ちに変わっていくきっかけとなった事や人や言葉などを教えて下さい。 |
★励まされたこと★ ☆ 2003.8.1 熊本 005 はるちゃんママ 掲示板、毎日見てます。中身の濃いもので、感心してます。 特に「励まされたこと」は、いいテーマですね。
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★励まされたこと★ ☆ 2003.7.31 神奈川 003 takaちゃんパパ. 子供が励まされた事は何と言っても、学校があったことです。 小学校1年の時に発病したので、病院併設の養護学校へ転校。病棟教室での勉強が始まりました。学校が無ければ、昼間の時間「ボッー」としていて色々な事を考えてしまったのではと今思います。Bランクの時は、ベッドサイドでマンツーマンで先生が授業をしてくだり、本当にありがたかったです。小児病棟にある学校の存在は非常に大きく意味があります。 看護婦さん、先生はもちろんですが、学校の先生方にどれほど助けられたことでしょう。 |
★励まされたこと★ ☆ 2003.7.31 神奈川 友ママ 始めまして。私の息子は脳腫瘍でした。 今月のテーマが励まされた事と言うことだったのでメールをしました。 残念ながら息子は遠い旅にでてしまいました・・・。 闘病生活は1年半、とっても短いような長いような感じです。 1年半の間は入退院の繰り返しでした。
外泊をしても外には連れていけない、近所の人の目が怖かった・・・。病気を知らない人は簡単に、あら?外泊なの?とか元気そうねとか平気で言ってくるのが耐えられませんでした。
でも病院で知り合ったお母さん方とは、病気の事とか私生活の事まで、色々話せて凄く気分転換にもなりました・・・。とってもお母さん方に励まされました。
私の支えは、一人でも多くの人が長男の事を覚えてくれている事です。 |
★励まされたこと★ ☆ 2003.7.24 北海道 007 瑞輝ママ 瑞輝が『ガン』と告知されたあとは、毎日泣いていました。 泣いて泣いて、本当に涙が出なくなるくらい泣きました。まわりから『頑張ってね』『すぐに良くなるよ』などと言われるその言葉に嫌気もさしていました。(そうちゃんママと同じでした) 自分の子供じゃなくて良かった・・・とかって顔で見られるのにもウンザリしていました。 私が励まされたのは、同じ病院で頑張って治療を受けてる子供たちと、そのお母さん達でした。そして1冊の本でした。小児ガンで入院してる子供は瑞輝を含めて4人でした。その子供達がツライ治療にも耐えてニコニコ笑ってるその笑顔で何度も励まされました。瑞輝もツライはずなのに笑ったり、お話したりしてくれていたのでそれが励みになりました。 お母さんたちもパワフルで、誰かが落ち込んでたら楽しい話をしてくれたり、相談に乗ってくれたりしました。それが嬉しくて感謝してもしきれないほどだったんですよね。 違う病気で入院していた子のママとも仲良くなり、今でも仲良くしてもらってて、再発の不安や将来の事を悩んでいたら本当に自分のお姉ちゃんのように話してくれて、心から安心できる場所を作ってくれています。自分の子供も病気をもっているのにそれでも私に安らげる場所を作ってくれて、励ましてくれます。 これからも色々と悩みは尽きないと思いますが、同じ病気のお子さんがいるお母さんやお父さんに今まで自分が励まされた事を同じように出来る自分になりたいと思っています。 |
★励まされたこと★ ☆ 2003.7.19 神奈川 モモ 神奈川県のモモです。 生後9ヶ月に血液のガンを発病して、もう5年が過ぎました。5年の間に、いろいろな事がありました。息子がこの病気になって、誰もが思う「何でうちの子が・・・」の疑問にぶつかり、落ち込んだ事がいっぱいあります。そんな時、主人が言った言葉を思い出します。 「この子が病気になったのは、何か意味があるんだ。そして、この病気に負けない子だよ」 はじめは、そんな試練なんか与えられない方が良い。普通に育ってくれれば良いと思ってました。それから沢山の、いろいろな事が起きました。 中でも私の母が、胃がんになった時の事です。見つかった時にはもう末期の状態で、余命は3ヶ月と言われました。病名は知っていたものの、母にはそこまで告知できませんでした。母は退院してもう一度、私の息子と旅行がしたい一身で、辛い治療もがんばりました。息子が抗がん剤治療をしていた時の姿をよく知っていたので、自分ががんばれないはずがないと、きつい治療もがんばってました。 入院中の治療を乗り切り、通院治療になって、念願の孫との旅行に行けました。病気は気からと言いますが、3ヶ月と言われていたのが、宣告から10ヶ月もがんばれました。私が看病にいけなかった分、息子が母を支えいつも励ましてくれました。 治療の辛さは、本人でないとわからない部分があります。息子はそんな母の辛さを知っていたので、「ば−ちゃん、がんばれ」の言葉にも、重みがあったのでしょう。そして母が逝ってしまった時は、息子は移植後間もない時で本人も辛い時期なのに、息子のベッドで泣く私を「よしよし」と、慰め励ましてくれました。 これか、そう思いました。この子が病気になった意味、人の痛みがわかり優しい人になるため・・・。正直に言うと、そんな物はいらないから病気にならないでほしかったと思います。でも、この病気になってしまった事は消す事は出来ません。今は、この優しい気持ちを忘れずに、このまま育っていってほしいです。皆さんのお子さんも、痛かった事辛かった事、沢山経験されていると思います。 人の痛みのわかる優しい子になり、そして沢山の人が、お子さんたちに励まされていくと思います。 |
★励まされたこと★ ☆ 2003.7.2 匿名さん はじめまして。 何度か覗いてはいたのですがなかなかメールする勇気がなかったもので・・・・。 1歳10ヶ月の時に発病し、治療が終わって3年が過ぎました。「励まされたこと」というテーマでしたので一言だけ言いたくて参加しました。 それは 子供が産まれた日に姉に言われた一言でした。 私は女の子を望んでいたのですが、産まれた子は男の子でした。 残念だけどしかたない!と思っていたときに姉はふざけながら「子供は育てられる所にしかこないもんさ!私達は女の子を育てられないのさ ガサツな姉妹だからね。」といいました。 この言葉を思い出すまで、引きこもりにちかい状態を約2年過ごしていました。 「そうなんだ 育てられる所にしか生まれてこないんだ」 「私にはこの子を元気に育てることができるはずなんだ!」と頭の中で何かがはじけました。 今では 毎日元気に保育園に行き、毎週スイミングスクールにも通っています。年少児のときは「お腹の傷はトーマスの線路」と言い、年中児になって「手術した痕」、年長児の今は「肝臓ガンになるからお酒飲むのやめなさい」と言われています。 子供の方が親よりもたくましいもんですね |
★励まされたこと★ ☆ 2003.7.1 神奈川 001 そうちゃんママ なんか、自分でも難しいテーマにしちゃったなあという気がするんですけどね・・。 私の場合、励まされたことのほとんどは、同じ病棟でがんばっている他のお母さんたちでした。 子供が「がん」って言われてしばらく(1週間だったか2週間だったか・・)は、頭の中も真っ白で簡単な二語文が組み立てられない状態でした。よく「頭の中真っ白」などと言いますが、本当の真っ白ってのはああいう状態でしょうね。何だか分からないうちにすぐ手術になってしまって、ICUから外科病棟に移って一週間後に幼児内科病棟へ転棟になりました。 まだ回りが見える精神状態ではなかったのですが、ふと目に入ってきたのが髪の毛の全くない赤ちゃんを片腕で抱っこし、赤ちゃんにつながっている点滴台をもうひとつの手で押して廊下を行ったり来たりしている若いお母さんでした。そのお母さん、ニコニコしながら赤ちゃんに話しかけて赤ちゃんを散歩させていたんです。そんなに長くない廊下で景色がいいわけでもないのに、何度も何度も往復していました。それも毎日。赤ちゃんににこにこ話しかけているだけでなく、看護婦さんともにこやかに話しているのを見て、ショックでした。 あんなに若いお母さんなのに疲れた顔もせずにこにことして、子供が退屈だろうとつまらない廊下でも点滴台を押しながらお散歩させている。私は一体いつになったらあんなふうに笑えるようになるんだろうと思いました。すごい人だなあと尊敬しました。そんな私でしたが、そこの病棟はがんの子供たちが多くて、いろいろなお母さんから「どこが悪いんですか?うちは白血病なんですよ」とか「うちは脳腫瘍なのよ」とか話しかけられるうちに、「ああ、自分の子供だけじゃないんだなあ」と実感でき、頑張っているお母さんたちを見て自分も頑張ろうという気持ちになり、少しずつ落ち着きを取り戻せたのだと思います。自分からでは聞いていいものかどうか判断が難しいので病気のこととかいろいろ聞けなかったと思いますが、前から入院している子のお母さんたちが積極的に自分の子の病気のことも含めて話しかけてきてくれて、そのおかげで病気のことも治療のことも「バカ話」もどんどん話せたのが私の精神にとっての一番の薬であり励ましでした。 後にうちより3ヶ月あとに入院して来たお母さんにこの話をしたら、 「えっそうなの? うちが入院してきたときはもうガハハって笑ってたわよ」 って言われました。いつの間にか大口開けて笑えるようになってたんですねえ・・・。でもそんなふうに笑えるのはやっぱり病院のお母さんたちといる時だけでした。 余談ですが、「励まされない話」もひとつ。。 こういう病気になって、病気のこともよく知らないし勉強する気もないのに「頑張ってね」とか「小児がんも今じゃあ治る病気だから」って言う人いませんでした? あれって腹立つだけで全然励まされないです(怒) |
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