2    1999.4/28 - 5/11 (入院15日目 〜 入院28日目)

ちょっと寄り道(1)  当時の記録が淡々としているわけ
病気の発症から16日分の記録を読んでいただきましたが、実際の小児がん治療の様子をご存じない方の中には、当時の記録が大変な状況になっている親にしては「淡々と」している印象をお持ちになった方もいらっしゃると思います。そのわけを簡単に書きたいと思います。

結論から先に言えば、ようするに
「自分自身の心の状態に向き合ってしまうと自分自身の精神力が崩壊してしまいそうだったから」です。
日記にその時の自分の気持ちを書こうとすれば、必死で押さえている『恐怖』や『泣き叫びたい気持ち』や『何だかわからないけど強い怒りの気持ち』などが詰まった心のフタがポンッと開いて2度と閉められなくなると強く感じていたので、フタが開いてしまわないように淡々とその日の出来事を記録するだけにならざるを得なかったのです。
人の心というのは、その人が耐えられる容量ぎりぎりだったり越えたりするくらいの出来事が起きると、感受性を鈍くして心が崩壊することを出来るだけ防ごうとするしくみが働くのではないかと思いました。
「何だか吐いた→一応病院へ行った→腫瘍の疑いで入院→小児がんの告知→手術」までが月曜日から金曜日までのわずか5日間に起こり、さらに「1年間治療が続く」という状況では立ち止まったり悲しんだり嘆いている時間はありませんでした。
ちょっと関係ないかもしれないですけど、よく小児がんを扱ったテレビドラマなどで両親役の俳優さんたちが子供の面会に来て見せる表情。
ああいう表情をみせる親って少なくとも1年間の入院中見たことなかったです。
告知や手術、病状の悪化などの時は「これ以上は無理」というくらいきつく張り詰めた緊張した顔つきになりますから、俳優さんのように眉間にしわをよせた顔ではなく、緊張感のため顔面の筋肉がすべてうしろのほうへ引っ張られてつっぱったというか平べったく固くなり目だけに感情のすべてが凝縮したような表情になります。また治療が始まって日常生活の場の多くが病院になってくると、今度はむしろ普通の顔で普通の会話を淡々としていたりしますし、親同士でつまらない話をしてゲラゲラ笑うこともありました。
テレビドラマのように眉間にしわをよせた心配そうな顔とか子供の手前無理に明るくふるまってますというような顔ではありませんでした。
たぶんそれも感覚や感受性を鈍くして無意識に自己防衛をし、辛い闘病を続ける子供を支えていくために自然とそうなったのだろうと思います。つまり表情や感情を込めようとする俳優さんとは全く逆のことをしているのです。 (2005.11.15)

1999.4.28(水) こども医療センター入院 15日目 第1回抗がん剤投与1日目

AFP 6300(↓)

[状態]  爽2才4ヶ月
微熱

[処置]   
シスプラチン投与(24時間持続) ・ 採血

[採血結果]
白血球   1万1000                    ヘモグロビン     10.0
好中球        6400                    CRP            0.57
血小板        24万2000

○爽母
昨晩38度の熱があったそうだが、今朝は37度台になったので予定通り1回目の抗がん剤投与を開始する。

[看護記録]
恐怖心強く、入浴時体に触れるだけで「いたい」を繰り返す。
採血はIVH(*胸に埋め込んだ点滴用の管。ここから採血も出来る)からするも泣いて嫌がり、おさえること必要。
ナースお相手すると笑顔多く見られる。
熱は36度台から37度前半。CRP(*炎症反応)0.57へ少し上昇しているが、感染症状見られず。
11時50分、カイトリル(*制吐剤)投与。12時45分、ブリプラチン(*抗がん剤シスプラチンの商品名)開始。
母面会中、児を下におろすとピューッと走ってしまい、点滴を気にすることなし。母も「点滴ついているとこわい」と。
ナースもずっと見ていられないため、下におりる時は部屋のドアは閉めることとする。
治療中だが嘔気嘔吐なし。「うあう(*ごはんの意)と、ごはんを楽しみにしている。
与薬、食前に行うが泣いて暴れ口から出そうとする。イソジンうがいと歯磨きさせるが、抵抗大。うつぶせになって
「いやー、おわりー」と言う。
ブクブクはやってみせるも嫌がって出来ず、手で払いのけてしまう。

[医師カルテ]
(*昨晩の発熱について)上気道症状もなく、とくに感冒という感じではない。
JPLT登録済み → 99-○(*爽の番号)

[使用薬剤]                  
・ブリプラチン(*抗がん剤シスプラチンの商品名)                   ・カイトリル(*制吐剤)                   ・生食(*維持)

[食事]      
○朝食        主食1/2・玉子・チーズ
○昼食        ごはん・みそ汁の汁
○おやつ     アイスクリーム
○夕食        ハンバーグ・ごはん・ふりかけ
○おやつ     パイ・赤ちゃんせんべい


1999.4.29(木) こども医療センター入院 16日目 第1回抗がん剤投与2日目

[状態]   
嘔吐 ・ 倦怠感

[処置]
ピラルビシン (*抗がん剤THP-ADRのこと。商品名ピノルビン)投与(48時間持続)

[看護記録]
恐怖心強く、入眠中に検温するが「いやっ!いたい」と嫌がる。説明すれば大人しく測らせてくれる。
嘔気あり。(*朝の)与薬後1時間以上経ってから嘔吐する。
12時、ブリプラチン(*抗がん剤シスプラチンの商品名。昨日から持続点滴していたもの)終了。
カイトリル(*制吐剤)0.4r、生食40ml投与。12時30分、ピノルビン15r投与開始。
夕方の内服薬はナースが体をおさえ、母がスポイトで口に入れる。抵抗強く少し出てしまう。イソジンうがいも嫌がるが、父に抱っこしてもらい、ナースがスポイトで口へ流し行う。
(*看護記録だと「抵抗強く」とさらっと書かれていますが、実際には嫌がって泣いて絶叫し大暴れしている子供の手足を大人が1人もしくは2人がかりで上からのしかかって押さえ込み、鼻をつまんで嫌でも口を開けるように仕向けスポイトで飲ませるわけですから、修羅場です。
飲まずにすむという薬ではないので仕方ないのですが、親としても辛かったです。ファンギゾンは大人のがん患者でも内服することがあるようですが、大人でさえ飲み込むのが辛い薬だそうです。私もちょっと味見しましたがものすごくまずい上にドロンとした液体なのでよけい飲みづらかったです。)


○爽母
昨日は遮光性の薬で点滴のボトルやルートがビニールテープやアルミホイルで覆われていたが、今日と明日のものは違うらしい。今のところ副作用なし。(*看護記録を読むと、朝1回嘔吐している)
昨日は点滴をつけた状態で急に走り出し危険だったため、今後点滴をつけている時は部屋から出ないようにする。
飲み薬とイソジンは相変わらず嫌がって泣く。やせたせいか、このところムーニーのLサイズが大きくなってしまい、オシッコがもれてしまう。下の子と同じオムツで良いかもしれない。

[看護記録]
面会終了時、追い泣きするがバイバイ言える。倦怠感あるのか面会終了後電車、バス、と広げていたがそのうち入眠。

[使用薬剤                  
・ブリプラチン (*抗がん剤シスプラチンの商品名)              ・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名)
・コンクライトMg 5ml           ・カイトリル (*制吐剤)       ・ST3

[食事]      
○昼食        ごはん1/4・みそ汁
○おやつ     ヨーグルト
○夕食        ごはん・焼き魚1/2・ふりかけ
○おやつ     マドレーヌ・オレンジジュース


1999.4.30(金) こども医療センター入院 17日目 第1回抗がん剤投与3日目

AFP 5000(↓)

[状態]   
嘔吐 ・ 肝機能障害 ・ 微熱37度4分 ・ 倦怠感

[処置]
採血 ・ ヘパ生練習(親)

[採血結果]   
GOT    155           白血球     8800      
GPT      88           血小板        29万                  
LDH    878           ヘモグロビン   10.8

[看護記録]
起床後6時から7時の間に3回嘔吐。食思あまりないが、食後は嘔吐なし。薬は押さえてようやく飲む。
午前中微熱37.4度あったが、午後から下降。腹部・胸部触られることに対し、恐怖心抱いている様子で、「いたい、いたい」と言って泣く。一日中機嫌悪く、話しかけると手を振り上げこちらを叩いてくる。

[医師カルテ]
CDDP(*シスプラチン)・ADR(*ピラルビシン)あまり肝機能障害をきたす薬ではないが、もともと肝50%以上切除している後なので、side effect (*副作用)は出やすいだろう。

○爽母
昼食はあまり食べなかったとのこと。少しだるいらしく、「ごろん」と言って自分で横になる。
飲む薬を相変わらず嫌がり、バスタオルで簀巻きにされ、無理やり飲まされる。IVHの消毒(*包交)の時も大泣き。大事なことはよく分かるが、子供病院なのだから、もう少し泣かせずに処置するテクニックを考えるのも看護のプロの仕事でないか。
何だか切なくなり、飲もうとしない爽に
「いま飲まないとまた看護婦さんにイヤなことされちゃうよ」と静かに言うと、
薬の入ったカップをじっと見て、黙って自分から飲んだ。一口飲んでまた「イヤ」と言うので、
「全部飲まないと看護婦さんにイヤなことされるよ」と言うと、
自分でカップを持って、今度は全部飲んだ。おやつの後のイソジンでの歯磨きも嫌がるので、
「でもお母さんとやらないと看護婦さんにされちゃうよ」と言うと
「シュシュ」と言って口を開ける。
7時になって同室のYくんのお母さんが帰り、Yくんが泣いているのをじっと見ていたが、私と実家父が
「じゃあまた明日ね、バイバイ」 と言うと、目にいっぱい涙をためて
「バイバイ」 と言った。
皆びっくりして「えらいねぇ」と言いながら、部屋を出る瞬間に爽を見たら、ついに我慢出来なくなったのか
「ワーッ」
と泣いて持っていた車を看護婦さんに投げつけ
「おかあしゃん」
と言った。

[看護記録]
14時20分から外泊時の「ヘパ生」についての指導。本日は注射器接続とヘパ生3ml以上をボトルからひく練習をする。ピストン先の清潔の重要性について説明すると理解され、手元不安気であるが、清潔にヘパ生をひくこと出来る。
創傷の左端の部分が少し(1p未満)開いている。浸出液も少量見られ、Dr.Aにみてもらい消毒。(*以前から爽が痛がっていた部分)

[使用薬剤]    
・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名)            ・ST3 500ml
・カイトリル (*制吐剤)                               ・生食

[食事]
○昼食        スープ2杯
○夕食        ごはん1杯
○おやつ     サブレ1/2枚・オレンジジュース(少し)


1999.5.1(土) こども医療センター入院 18日目 第1回抗がん剤投与4日目

[状態]   
吐き気

[処置] 
ピラルビシン投与(13時終了) ・ 水の点滴(*抗がん剤の副作用をなるべく少なくするために大量の水の点滴をする)

○爽母
茨城の義母、いったん帰ったため私が下の子を見、夫が病院へ行く。

○爽父
病室がまた変わっていて、6人部屋へ移っていた。あまり水分を摂っていないということで、ポカリを買って150tくらい飲む。夕食は、豆腐あんかけを自ら食べた。点滴しているので病室からは出ないでトーマスのビデオを見たりしてすごした

[看護記録]
朝の内服時大暴れ。口から出そうとするが鼻をつまみどうにか飲める。嘔気あるが嘔吐なし。食事は少量ずつ食べられる。
13時、ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンのこと)終了。
気分ムラがあり、とても機嫌よい時もあるが、差が激しい。水分すすめるも嫌がる。父ポカリスエット持参し、面会後はポカリで水分まずまず進んだ。夕食時の内服は、父がやってみますと言ってトライするも内服させることが出来ず、ナースが強制内服させる。大暴れ。内服後吐き気もよおすも嘔吐はなし。
父が帰る時泣く。ナースが近づくとさらに大泣きする。しばらくしてひとり遊びを始める。

[使用薬剤] 
・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名) ・ ST3  (*水の点滴)

[食事]  
○朝食        ごはん(少)
○昼食        パン(少)・スープ
○おやつ     アイスクリーム(少)・ポカリ
○夕食        ごはん・豆腐


1999.5.2(日) こども医療センター入院 19日目

[状態]
嘔吐1回 ・ 肝機能障害 ・ せき

[処置]
採血 ・ IVHロック(*点滴終了)

[採血結果]  
GOT    119           白血球     4300
GPT     108           血小板      25万
LDH     858           ヘモグロビン 10.1
CRP    0.17

[医師カルテ]
肝機能横ばいで改善なし。CDDP(*シスプラチン)後も排尿良好で腎機能OK。

[看護記録]
内服、歯磨き大暴れ。内服後吐き気あるが嘔吐なし。午前中から顔色白っぽい。
9時、入浴。恐怖心強く、浴室内で大騒ぎ。湯には興味を示し手を出す。浴槽内では坐ること出来ず。陰洗(*いんせん。ばい菌が入りやすいため、オチンチンとお尻をせっけんで洗いイソジンで消毒する)も泣くが、何とかやらせてくれる。
10時、採血。ナース2人で抑える。抵抗強い。13時、IVHロック。14時5分、咳とともに嘔吐(廊下で)。けろっとした表情。

○爽母
水分をなかなか摂らないのでポカリスエットを買って行って飲ませると、あっという間に100t飲むが、10分程で少しセキをした後、嘔吐。
その後は嘔吐なし。今日から点滴がなくなり、廊下を歩く。夕食後は1階の売店付近まで初めて散歩に行く。
薬は看護婦さんがタオルで簀巻きにして押さえ、私が鼻をつまんでスポイトで飲ませる。かなり抵抗したが、こぼさず飲むこと出来る。夕食後のイソジンも嫌がるが、何とか一通り口の中へ行き渡らせる。外泊に備え、IVHヘパ生プッシュの練習をする。

[食事]      
○おやつ     飲まず
○夕食      ふりかけごはん・肉団子(少)
○おやつ     ワッフル

○爽母
下の子はベビーラックを揺らすと眠ってしまう。昨日から私が湯船に入れて入浴。


1999.5.3(月) こども医療センター入院 20日目

○爽母
白血球5000あるため、明日から2日間の外泊許可出る。そのためヘパリンロック(*ヘパ生・ヘパ生プッシュと同じ意味)の練習をする。
看護婦さんはみんな嫌いになったらしい。声をかけられても、にらみつけるか、私の顔に八つ当たりする。
薬も相変わらずダメ。ヘパ生プッシュは意外とうまく行く。
明朝9時半までに来てもう一度ヘパ生プッシュと与薬の練習をしてから帰宅の予定。

[看護記録]
夜間良眠。朝の薬内服後しばらく吐き気あったが嘔吐なし。与薬や歯磨き等、押さえなければならず。怒ってナースを叩いていた。
歯磨き・入浴等のIVHビニール保護に対して、キンキン声を上げ抵抗。ピンクタオルにくるんで歯磨きする。
ナースの言葉を反復し、発語多い。
13時30分、両親にIVHヘパ生指導行う。手順が分からなくなったりするが、父がよく覚えており、2人で確認しながら出来る。まだおぼつかない感じあるが、明日再度ヘパ生行ってもらえばできそう。児もイヤがるが、両親が行ったため激しい抵抗は示さず。

[医師カルテ]
両親IVHヘパ生プッシュ上手にできている。 → 明日より外泊

○爽父
下の子を妻実家へ預け、2人で病院へ行く。爽は寝ていたが、途中目が覚めてニコッとする。
Dr.Aから「明日外泊できるでしょう」といわれ、びっくりしてうれしくなる。ヘパ生のやり方のマスターが必要。2人でやってみる。3時から6時まで私が家に帰り、部屋の掃除をする。サッシを洗いカビを流す
(*治療中はちょっとしたカビや菌で熱を出したりするということで、当時住んでいた賃貸マンションの結露が原因の窓のゴム部分に出ているカビを大急ぎで退治しました。結果は少しましになったくらいでしたが・・)


[看護記録]
面会終了時泣くが、ナース抱っこしようとすると嫌がり、ひとりで遊んで入眠する。

[食事]      
○おやつ     アイスクリーム
○夕食        ふりかけごはん ・ 白身魚
○おやつ     カップケーキ


1999.5.4(火) こども医療センター入院 21日目 初めての外泊

[状態]
身長83.1p ・ 体重10.13s

[処置]
包交 ・ フィルター交換

[看護記録]
覚醒後ご機嫌。乾性咳きかれたが、肺クリアー。食事中咳をし、一口嘔吐。
9時半、両親・祖父来棟。ヘパ生、母施行。父も協力してくれてる。処置時は泣いて「いたい」と言うが、外泊に行くときは表情よくなる。
10時30分、外泊へ。

○爽母
9時半に実家父と夫と私で病院へ行き、ファンギゾンの与薬とヘパ生プッシュをやり、その後、身長体重の計測をし、外泊時の注意事項を聞いて11時前に帰宅。

○爽父
車中の爽は久しぶりのわりには落ち着いていて、途中車を見ると「ベンツ」と言っていた

○爽母
実家のごちそうでお寿司を食べ(爽は感染予防のため生もの禁止)、午後はおもちゃ(特に夫が買ってきたパーシー)で遊ぶ。
昼食後、薬なしで便が出る。5時半にファンギゾンを飲ませるが、やはり自分からは飲まず、私が押さえつけて飲ませる。
夕食後「ねんね」と言うので歯磨きをさせ(イソジンは嫌がるものの薬ほどではない)、パジャマを着せると、ふとんにゴロンとして7時すぎに眠ってしまう。

○爽父
4人で眠る安心

○爽母
夕食後、少し腹痛を訴えるが、すぐにおさまる。夜10時、ヘパ生プッシュ。

(*入院当初は1年間家には帰れないものと思っていましたが、その後病院の方針として、「子どもなので治療のない時で容態が安定していれば極力家に帰れるようにする」と言うことを知り、実際1年間の入院生活でずいぶん外泊に行かれました。病院によってはほとんど外泊が出来ないところもあるので、その点はよかったと思います)

[外泊時の処置]      *退院までずっと
IVHヘパ生プッシュ (朝10時と夜10時の2回)

[外泊時の内服薬]   *退院後5ヶ月までずっと服用
ファンギゾンシロップ
バクトラミンC (2つとも抗生剤) 朝晩2回。バクトラミンは毎週月・火・水の3日間のみ。
ラキソベロン  (下剤)便がでない時 (抗がん剤の影響で粘膜が弱くなったり、出血しやすくなるため、便がかたいと出血してしまうので)

[食事]      
○昼食        冷麦のミートソース・クッキー一枚・緑茶
○おやつ     オレンジジュース120t
○夕食        納豆・ごはん・ヨーグルト・カレー3口くらい


1999.5.5(水) こども医療センター入院 22日目 外泊

○爽父
朝、目が覚めて横を見ると、爽が布団の端を口にあててニコッとしていた。朝は昨日のカレー。「カレー、カレー」とはしゃぐ。
私は東戸塚のトイザラスへ行き、トーマスとジェームスを買い、昼のコロッケを買って帰る。
下の子
はいつも通りだが、たまにプレイジムを爽に取られてしまう。鯉のぼりの前で写真を撮る。
薬は相変わらず飲みたがらない。2人で押さえ込んででも飲ませなければならないのがつらいが、爽のためである。
菖蒲湯で爽の頭を拭いてやる。今日は爽、ずいぶん食べた

○爽母
朝食後、ラキソベロン(*下剤)服用のためか、ウンチは8回出る。下痢ではなく、いわゆるいいウンチで、家に帰ってリラックスしたせいもあるように思う。
夕方のファンギゾンを全部吐いてしまい、飲み直す。いろいろと説得したところ、1回だけ自分から口を開けるが、我慢しきれず再び閉じてしまう。でもいくらか前進か。
9時15分、下の子と一緒に就寝。

[食事]      
○朝食        カレー・ヨーグルト・水(少)
○おやつ     カルピス100t
○昼食        納豆・ごはん・コロッケ1個・アイスクリーム(少)
○おやつ     菓子パン1個
○夕食        焼きそば(少)・水150


1999.5.6(木) こども医療センター入院 23日目 帰院のち外泊
AFP 1900

[状態]   
MRSA感染 ・ 肝機能改善傾向

[処置]   
採血 ・ 包交

[採血結果] 
GOT     48             咽頭よりMRSA ±
GPT     44             血小板       25万7000
LDH     560           ヘモグロビン      9.5
好中球    1170         白血球         4500

○爽母
朝、夫の運転で病院へ行く。

○爽父
身長・体重を測ると大泣き。昼になりメニュー表を見て「あっ、みそラーメンだ」と言われ、爽「ラーメン、ラーメン」と大喜び。
が、爽のは椀にふたがしてあり、あけてみると中はうどん。結局ふてくされてひっくり返したとのこと
(*当時は幼児前期食で、前期食はうどん、後期食はラーメンだったのです)

[看護記録]
10時帰院。ヘパ生プッシュ施行。昼食後IVH包交。14時、外泊へ。

○爽母
検査は12時半に結果が出たが、薬がなかなか出ず2時を回る。薬とヘパ生用の注射器・注射針・ヘパ生の入った瓶・ヘキザックアルコール綿の一式をもらい、帰りは同じ病棟のお母さんの車で家まで送ってもらう。
5時前に爽は少し眠り、5時すぎに茨城義母が来ると目を覚ます。ファンギゾンを飲ませるが、今までで一番おとなしく、吐かずに飲める。
6時頃、実家が預けていた下の子を連れてくる。夫は8時帰宅。夫のシューマイを食べたため、イソジンをもう1回しなくてはならなくなるが、自分からやろうとする。しかし口に入れるとやはり我慢出来ずに「うー、うー」と泣く。

[医師カルテ]
肝機能改善傾向。
【AFPに関して】  AFPの下がり悪い。
          4月23日 → 9600   4月26日 → 6900   4月28日 → 6300
          chemotherapy(*化学療法)開始前なので通常の半減期3〜4日を考えると、もっと下がっていいはず。
          Total resection(*完全切除)出来ているなら下がり止る理由ないので、やはり腫瘍塞栓があったこと、
          rapture(*破裂)があったことによるmicroscopic(*微小)な残存病変がかなりあると考えるべきか。

[食事]      
○朝食        納豆・ごはん・ヨーグルト・お茶
○昼食        パン1枚・ピーナツバター
○おやつ     カップケーキ
○夕食        カレー1/3皿・シューマイ1個・みそ汁(少)・お茶

1999.5.7(金) こども医療センター入院 24日目 外泊

[状態]   
夕方微熱37度7分

○爽母
ファンギゾンのスポイトを自分で口に入れる。が、やっぱりダメで結局押さえつけて飲ませる。イソジンは嫌な顔をするが、我慢できるようになった。昼食はラーメンをほとんど1人で食べられるようになる。夕食は特に食欲旺盛で、コロッケも1個食べてしまう。
近頃はトーマス(*機関車トーマス)にはまっており、今日は隣家のママから10個もトーマスシリーズを借りて大喜びする。毎日トーマスのビデオを見ていて、実によく知っている。
夜は8時半頃寝かしつけるが、私も一緒に眠ってしまった。10時、ヘパ生プッシュをするために起きる。

[食事]      
○朝食        ごはん・納豆(少)・ヨーグルト1個・カレー3口・お茶
○おやつ     チーズケーキ・カルピス
○昼食        玉子と三つ葉入りラーメン
○おやつ     ヨーグルト・カルピス
○夕食        カレー・コロッケ・みそ汁


1999.5.8(土) こども医療センター入院 25日目 外泊

[状態]   
寝汗 ・ セキ

○爽母
顔色少し白っぽいが熱はなし。手術して以来、カゼでもないのに時々セキをする。夜、寝汗で髪がびっしょり濡れる。原因が分からない。

(*私はこの時点では咽頭からMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が出たことを知りませんでした。
前日の[状態]に「MRSA感染」とあるのはあとから検査結果を書き入れたからです。検査結果は当日分かるものと数日後にならないと分からないものがあり、AFPや培養は数日かかっていました。ですからこの日記を書いた時点では知らなかったわけなのですが、異常は感じていました。寝汗は本当に尋常ではないくらいで枕にコップの水を一杯そのままこぼしたようで、小さい子によくある寝汗とは「明らかに違う」ものでした。MRSAと言うのはよく『院内感染』のニュースなどに出てくる菌の名前ですが、ほとんどの人の口の中などにいる雑菌で、普通はそれがあったからといって症状が出るものではありません。それぐらい弱い弱い菌なのです。けれども手術後やお年寄りや免疫機能の落ちた人間にとっては対応が遅れると命に関わるほどの重い症状になることもある菌です。)


[食事]      
○朝食        ごはん・納豆・目玉焼き(2口)・チーズケーキ(少)・水30t
○おやつ     チーズケーキ・りんごジュース50t
○昼食        牛丼1杯・お茶50t
○おやつ     スィートポテト・牛乳80t
○夕食        ふりかけごはん・りんごジュース


1999.5.9(日) こども医療センター入院 26日目 外泊

○爽母
外泊時の親の日課は、嫌がって逃げ回るのを追いかけ馬乗りになって鼻をつまんで朝晩2回薬を飲ませること。
朝夜各10時のヘパ生プッシュ
各食事ごとに摂取品目と量を外泊記録に記入。
イソジン歯磨き。
IVHをビニール保護し絶対に湯がかからないように入浴させること。
家の中をきれいにしておく(特に水回りのばい菌やカビ)といったところ
そのほか常に体調を気にかける。
IVHが抜けたり断裂すると大変なので胸をぶつけないよう見ていること。
人ごみに連れていかないこと。
他のこどもと公園などで接触させないこと。
病院の行き帰りも感染予防のためタクシーまたは乗用車。
同じく感染予防のため生もの禁、などなど

(*当時なぜこんなことをわざわざ書いたのかと思ったんですが、ここに書いたことって子供ががんになるまで知らなかったことばかりなんですね。
もちろん『外泊』になるのはとてもうれしかったです。何しろ子供の表情がそれはもう病院にいるときとは全然違いますから。でも一方で家に帰れば通常の2才児の育児の他に気をつけなくてはならないことや、やらなければならないことが急に増え、さらには1月に生まれたばかりのゼロ才児もいるわけです。私は高齢出産で当時すでに40才でしたから(ついに年齢のカミングアウトしてしまいましたねぇ!(^o^)/)、正直肉体的にはかなり辛かったです。しかも水ぼうそうなどの感染症になったりすれば命にも関わるという精神面での緊張感もあり、『外泊でよかったわぁ〜』という気持ちばかりではありませんでした。『何だか頭の中がゴチャゴチャで、よく分からないけれど大変で、しんど〜い』という気持ちを整理するために具体的に何が今までとは違うのかを書き出してみたのだと思います)


[食事]      
○朝食        納豆・ごはん1/3・りんごジュース
○昼食        パンケーキ1枚・焼きおにぎり1/3・水
○おやつ     カステラ
○夕食        ふりかけごはん・パンケーキ・お茶


1999.5.10(月) こども医療センター入院 27日目 Bランク

AFP 1200(↓)

[状態]   
MRSA感染のため隔離 ・ 骨髄抑制 ・ 悪寒 ・ 発熱38度9分

[処置]   
MRI(頭部) ・ 採血 ・ 抗生剤点滴(CAZ/CMZ/AMK)

[採血結果]    
好中球       30              GOT          42
白血球        3000          GPT          26
ヘモグロビン   8.7             LDH         512
血小板        7万1000

○爽父
義父が朝8時45分に来て2人を連れていってくれた

○爽母
いきなりBランクになった。
(*Bランクは白血球の中の好中球が500以下になると個室管理になることです。好中球は白血球の通常半分くらいを占め、体内に入ってくる病原菌やばい菌と直接闘ってやっつけてくれるもので、正常値は2500から4500くらい。500以下になると敗血症などの感染症を非常に起こしやすくなるためBランクが解除になるまで子供は病室の外へは出られません。食事もベッド上です。また面会者は入り口で手の消毒をし、マスクとガウンを着用。夕方のおやつのあとは「陰洗」といってオチンチンとお尻を石鹸で洗い、オチンチンをイソジンに30秒つけて消毒します)
外泊前は白血球5000以上、好中球も1100あったのに、わずか数日で好中球30になる。その上MRSA感染である。個室では好きなビデオを好きなだけ見られるが、この中から出られない日々が続くこととなる。
(その後Dr.Aの説明で、今週中の外泊はたぶん無理とのこと。MRSAの隔離は2週間ごとの検査で2回続けて陰性にならなければ解除にならないことを知る)

[看護記録]
10時半、採血。16時50分、点滴開始。40分、ネンブタールで鎮静。フラついて経とうとするため抑制する。
16時50分、ネンブタール追加し、MRIへ。17時50分、帰室。
MRIより帰室時、ふるえている。うっすらチアノーゼ。発熱38度6分。血液培養後、抗生剤点滴。24時、体温37度。

○爽母
4時40分頃、MRIの検査室へ行く。MRIから戻ってきた時は、発熱のためガタガタふるえていた。
ベッドに移した際少し麻酔が覚め暴れたが、タオルを3枚かけてやるとまた眠る。
その後Dr.Aから説明があり、発熱は1週間程度続くこと、こういう状態は抗がん剤を使っている大抵の子に起こること、この状態で一番恐ろしいのは血中に菌が入る『敗血症』で、その予防のため抗生剤の点滴を使用することなどを聞く。抗生剤の前に培養のため採血する。

[医師カルテ]
頭部MRI撮影中、shivering (*ふるえ)・歯ぎしり出現。撮影中断し帰棟。38度9分。耳鼻科キャンセル

○爽母
面会終了まで起きず。帰り際、検温してもらうと38度9分から38度2分に下がっていた。

[MRI検査報告書] 
脳内に異常intensity (*集積)、異常enhancement (*増強効果)を認めない。
脳梁を横切る血管が認められるが転移とは考えられない。
Venous malformation (*静脈奇形)は否定出来ないが、臨床的意義は出血しない限りない
No evidence of metastasis. (*転移を認めない)
(*『臨床的意義は出血しない限りない』と書いてありますが、何と5年後の2004年にこの脳の静脈奇形から原因不明の出血を起こし血腫が出来ました。静脈奇形自体は時々いるそうですが、そこから出血するケースは「1%くらい」とかなり珍しいそうです。入院していたこども医療センターで毎月何十人もの子供の頭部CT画像を見ている放射線診断医が20年間診てきて爽が2人目だとおっしゃってました。
強い化学療法は血管にもダメージを与えることがあるので、私は「化学療法の副作用によるもの」と思っていますが、もともと脳に静脈奇形があって化学療法をした子で、さらにそこから出血した例がそもそもないので、医学的な証明はできないでしょう。また証明できたからと言ってそれを避けるようにすることも出来ないと思います。
血腫は出血してから1年4ヶ月(2005.11.27現在)経った今も大きさが変わらず存在しています。通常はとっくに吸収されてなくなっているはずなのですが、脳外科の先生は「こんなに大きさが変わらない血腫は稀ですね」とおっしゃってました。「小児がんの中でも稀な肝芽腫」になり、「静脈奇形からは非常に稀といわれる出血」を起こし、「出来た血腫が全然小さくならない稀なケース」。
こうなったらもう、爽には『世にも稀な幸せな長寿者』になってもらいましょう!)


[食事]
○おやつ     桃ジュース50t
○おやつ     MRIのため禁食
○夕食        食べず
○おやつ     食べず

*抗がん剤を投与すると約1週間で骨髄抑制が起こり、その状態が約2週間続きます。この間は、骨髄での造血能力が低くなるため、貧血・止血能力・免疫力が極端に低下します。


11/281999.5.11(火) こども医療センター入院 28日目 Bランク

[状態]   
MRSA隔離 ・ 骨髄抑制 ・ 下痢 ・ 熱37度6分 ・ 発疹

[処置]   
採血 ・ 蓄尿 ・ 抗生剤点滴(CAZ/CMZ/AMK)

[採血結果]                  
CRP           1.56

[看護記録]
6時30分起床。内服はかなり困難だが、ナース2人がかりでなんとか飲める。吐き出しはしないが抵抗強い。
ナースが行くと「いったーい」と言い、何事にも拒否的。特に尿パック貼りかえ時はかなり嫌がり「いたい」を連発する。
午前中はビデオを見たり、オレンジクラブの方(*病棟ボランティアの方々)に遊んでもらったりしながらマイペースにすごす。創部は左はしがふくれていて発赤しているも浸出液等はなく、本人も特に痛がらない。
微熱続くも活気あり。

○爽母
今日は見た目にはまあ元気だが、相変わらず抗生剤の点滴。トーマスのダビングしたビデオを持って行ったら大喜びでずっと繰り返し見る。
蓄尿の尿パックを嫌がる。しかも3回も採尿に失敗し、そのたびに貼り直されて
「いたい、いたいね」
を繰り返す。(以前夫曰く、「看護婦さんは女だから分からないかもしれないが、あの貼り方ははがすとき絶対痛い」)
夕食後1回下痢をするが、抗生剤のためと思われる。(*腸内の菌交代が起きて下痢することがある)
おでこに4ヶ所虫さされのような発疹出来る。

[医師カルテ]
AFP半減期4.6日

[食事]      
○朝食        パン
○おやつ     ジョア2本
○夕食        ふりかけごはん3/4・肉団子あんかけ1/3個
○おやつ     オレンジジュース(少)

○爽母
下の子は夕食後に抱っこすると声を上げて喜ぶ。うつぶせにすると、だいぶ首が上がるようになる。