2 1999.4/28 - 5/11 (入院15日目 〜 入院28日目) |
ちょっと寄り道(1) 当時の記録が淡々としているわけ | |
病気の発症から16日分の記録を読んでいただきましたが、実際の小児がん治療の様子をご存じない方の中には、当時の記録が大変な状況になっている親にしては「淡々と」している印象をお持ちになった方もいらっしゃると思います。そのわけを簡単に書きたいと思います。 結論から先に言えば、ようするに 「自分自身の心の状態に向き合ってしまうと自分自身の精神力が崩壊してしまいそうだったから」です。 日記にその時の自分の気持ちを書こうとすれば、必死で押さえている『恐怖』や『泣き叫びたい気持ち』や『何だかわからないけど強い怒りの気持ち』などが詰まった心のフタがポンッと開いて2度と閉められなくなると強く感じていたので、フタが開いてしまわないように淡々とその日の出来事を記録するだけにならざるを得なかったのです。 人の心というのは、その人が耐えられる容量ぎりぎりだったり越えたりするくらいの出来事が起きると、感受性を鈍くして心が崩壊することを出来るだけ防ごうとするしくみが働くのではないかと思いました。 「何だか吐いた→一応病院へ行った→腫瘍の疑いで入院→小児がんの告知→手術」までが月曜日から金曜日までのわずか5日間に起こり、さらに「1年間治療が続く」という状況では立ち止まったり悲しんだり嘆いている時間はありませんでした。 ちょっと関係ないかもしれないですけど、よく小児がんを扱ったテレビドラマなどで両親役の俳優さんたちが子供の面会に来て見せる表情。 ああいう表情をみせる親って少なくとも1年間の入院中見たことなかったです。 告知や手術、病状の悪化などの時は「これ以上は無理」というくらいきつく張り詰めた緊張した顔つきになりますから、俳優さんのように眉間にしわをよせた顔ではなく、緊張感のため顔面の筋肉がすべてうしろのほうへ引っ張られてつっぱったというか平べったく固くなり目だけに感情のすべてが凝縮したような表情になります。また治療が始まって日常生活の場の多くが病院になってくると、今度はむしろ普通の顔で普通の会話を淡々としていたりしますし、親同士でつまらない話をしてゲラゲラ笑うこともありました。 テレビドラマのように眉間にしわをよせた心配そうな顔とか子供の手前無理に明るくふるまってますというような顔ではありませんでした。 たぶんそれも感覚や感受性を鈍くして無意識に自己防衛をし、辛い闘病を続ける子供を支えていくために自然とそうなったのだろうと思います。つまり表情や感情を込めようとする俳優さんとは全く逆のことをしているのです。 (2005.11.15) |
★1999.4.28(水) こども医療センター入院 15日目 第1回抗がん剤投与1日目 | |
AFP 6300(↓) |
★1999.4.29(木) こども医療センター入院 16日目 第1回抗がん剤投与2日目 | |
[状態] |
★1999.4.30(金) こども医療センター入院 17日目 第1回抗がん剤投与3日目 | |
AFP 5000(↓) |
★1999.5.1(土) こども医療センター入院 18日目 第1回抗がん剤投与4日目 | |
[状態] |
★1999.5.2(日) こども医療センター入院 19日目 | |
[状態] |
★1999.5.3(月) こども医療センター入院 20日目 | |
○爽母 |
★1999.5.4(火) こども医療センター入院 21日目 初めての外泊 | |
[状態] |
★1999.5.5(水) こども医療センター入院 22日目 外泊 | |
○爽父 |
★1999.5.6(木) こども医療センター入院 23日目 帰院のち外泊 | |
AFP 1900 [状態] MRSA感染 ・ 肝機能改善傾向 [処置] 採血 ・ 包交 [採血結果] GOT 48 咽頭よりMRSA ± GPT 44 血小板 25万7000 LDH 560 ヘモグロビン 9.5 好中球 1170 白血球 4500 ○爽母 朝、夫の運転で病院へ行く。 ○爽父 身長・体重を測ると大泣き。昼になりメニュー表を見て「あっ、みそラーメンだ」と言われ、爽「ラーメン、ラーメン」と大喜び。 が、爽のは椀にふたがしてあり、あけてみると中はうどん。結局ふてくされてひっくり返したとのこと (*当時は幼児前期食で、前期食はうどん、後期食はラーメンだったのです) [看護記録] 10時帰院。ヘパ生プッシュ施行。昼食後IVH包交。14時、外泊へ。 ○爽母 検査は12時半に結果が出たが、薬がなかなか出ず2時を回る。薬とヘパ生用の注射器・注射針・ヘパ生の入った瓶・ヘキザックアルコール綿の一式をもらい、帰りは同じ病棟のお母さんの車で家まで送ってもらう。 5時前に爽は少し眠り、5時すぎに茨城義母が来ると目を覚ます。ファンギゾンを飲ませるが、今までで一番おとなしく、吐かずに飲める。 6時頃、実家が預けていた下の子を連れてくる。夫は8時帰宅。夫のシューマイを食べたため、イソジンをもう1回しなくてはならなくなるが、自分からやろうとする。しかし口に入れるとやはり我慢出来ずに「うー、うー」と泣く。 [医師カルテ] 肝機能改善傾向。 【AFPに関して】 AFPの下がり悪い。 4月23日 → 9600 4月26日 → 6900 4月28日 → 6300 chemotherapy(*化学療法)開始前なので通常の半減期3〜4日を考えると、もっと下がっていいはず。 Total resection(*完全切除)出来ているなら下がり止る理由ないので、やはり腫瘍塞栓があったこと、 rapture(*破裂)があったことによるmicroscopic(*微小)な残存病変がかなりあると考えるべきか。 [食事] ○朝食 納豆・ごはん・ヨーグルト・お茶 ○昼食 パン1枚・ピーナツバター ○おやつ カップケーキ ○夕食 カレー1/3皿・シューマイ1個・みそ汁(少)・お茶 |
★1999.5.7(金) こども医療センター入院 24日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.5.8(土) こども医療センター入院 25日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.5.9(日) こども医療センター入院 26日目 外泊 | |
○爽母 |
★1999.5.10(月) こども医療センター入院 27日目 Bランク | |
AFP 1200(↓) |
11/28★1999.5.11(火) こども医療センター入院 28日目 Bランク | |
[状態] |