1
4/12-27

2
4/28-5/11

3
5/12-  

4
5/26-6/8

5
6/9-6/23

6
6/24-7/7

7
7/8-7/21

8
7/22-8/4

9
8/5-8/20

10
8/21-9/3

11
9/4-9/17

12
9/18-10/2

13
10/3-10/17

14
10/18-11/1

15
11/2-11/16

16
11/17-12/1

17
12/2-12/16

18
12/17-12/31

19
1/1-1/15

20
1/16-1/30

21
1/31-2/14

22
2/15-2/29

23
3/1-3/15

24
3/16-3/30

25
3/31-4/14

26
4/15-4/18


 1    1999.4/12 - 4/27 (発症 〜 入院14日目)

プロフィール (発症時2才3ヶ月)
病    期:




手   術:
ステージVa (腹腔内破裂・血管侵襲あり) 
        T3 (肝内局在=肝臓4区域のうち3区域に腫瘍あり)
        C3 (局所進展度=3)    V1 (血管侵襲レベル=1) 
        N0 (リンパ節転移=なし)   M0 (遠隔転移=なし)


拡大肝右葉切除 (肝芽腫の手術は胆のうも全摘します)
組 織 型: 低分化型 (Poory differenciated type)。高分化型・macrotrabecular pattern混在。aneuploid。
化学療法: CITA( シスプラチン・THP−アドリアマイシン) 6クール & 
ITEC(カルボプラチン・イフォスファミド・エトポシド) 6クール (計12クール)
入院期間: 1日+371日=372日間

1999.4.12(月) 発   症
○爽母
夜9時前に夫帰宅。マクドナルドのチーズバーガーセットを買ってきたため、爽は大喜びでフライドポテトをパクパク食べ、ファンタグレープをほとんど1人で飲んでしまう。
10時前にそれまでテーブルの回りを走り回っていた爽が突然
 「いたーい」
とお腹を抱えてうずくまり、嘔吐する。数回の嘔吐の後、夫は爽の腹部を触りしこりがあることに気づくが少し落ち着いたため入浴。いったんおさまったかに見えたが、再び嘔吐。夜中の3時頃まで寝つけず。(ただしこの時点で救急外来に連れていくほどの状態とは認識せず)

○爽父
会社の帰りにマックのセットを買って帰る。爽は喜んでジュースをがぶ飲みし、ポテトを食べ、テーブルの回りをグルグル走っていたが、私のところで痛いと言ってもたれかかり吐く。また食べ過ぎてと思う。すぐに風呂に入れるが元気がない。腰の左(*向かって)のところを押すと固まりがあるよう。泣いて胃がこうなったのかと思う一方で、このしこりはおかしいとの思いが離れず。

1999.4.13(火) こどもクリニック受診 ・ 地域の基幹N病院入院
○爽
朝起きてお茶を飲むというので与えたところ、40分ほどして再び嘔吐。その後は昼11時すぎまで眠る。
12時半頃ヨーグルトを食べ、しばらくして
「いたい」
というも嘔吐はせず、元気も出てくる。隣家のママがお好み焼きを作って持ってきてくれる。
夫から電話があり、爽の容体を訊くので「大丈夫でしょう」と答える。再び夫から電話があり
「いま東京駅でこれから帰る」とのこと。
大丈夫なんだけどと思いつつ帰宅を待つ。(*当時爽の弟はまだ生後2ヶ月だったので、具合の悪い爽を病院に連れて行くには爽の弟を見ていてくれる人が必要だったのである)
夫の帰宅後もいったんは「元気も出てきたし、病院へは連れて行かなくてもいいんじゃない」となったが、インターネットの医事情報を見た夫がまたまた心配になり
「一応念のため」
近所のTこどもクリニックヘ4時すぎに行く。5時すぎに診察。触診するなり
「お母さん、これは大きい病院に行ってもらうかもしれないよ」とのこと。
「腸重積」のようだが、それにしては元気がありすぎるので何だろう、と先生も首をひねっている。一応完腸をしてみるが、やはりよく分からずN病院の先生と電話でやりとりをし、これからすぐに行くようにと言われる。たまたま医療費が無料になる『乳児医療証』を家に忘れてきたので
「取りに行ってからすぐ行きます」と言ったが
「そんな時間はない。ベビーカーで来たの?じゃあベビーカーもここで預かるからすぐにタクシー呼んで行って」
とのことなので、タクシーを呼んで病院に向かう。

6時5分に港南台のN病院到着。すぐに夜間救急外来で受付をすませる。まわりにはかなり具合の悪そうな大人が4、5人おり、その中で爽は
「きゃー」
などと声をあげながら走り回る。
しばらくして診察してもらうと、やはり「腸重積」の疑いが強いとのことで、レントゲンと高圧浣腸を行う。レントゲン室の外で待っていた時、中が急にバタバタし、緊迫した声で
「肝臓にマス!」
と行っているのが聞こえたが、意味が判らずそのまま終わるのを待つ。(*後にマスというのは腫瘤を意味することぱだと判る)
結果は腸重積ではなく
 「肝臓の腫瘍」
の可能性ありとのことで、明日もっと詳しく検査をするので入院となる。
小児科の2人部屋に1人で入り、私は補助ベッドで一晩付き添うこととなる。麻酔が覚めない間に夫に電話をし、家に忘れた乳児医療証やその他のものを持ってきてもらう。その間爽の弟は近所の私の実家の母にみてもらうこととする。夫はおにぎりとサンドイッチを買ってきてくれるが全く食欲を感じない状態で、やっとお茶を2口ほど飲む。

○爽父
入院が決まり夜8時半、N病院から茨城の母へ明日急だが来てくれるようお願いする。「よし、わかった」の一言で受けてくれた。(*の母は病弱で長時間やコンスタントな子供の世話は出来ないため)

○爽母
夫が帰りしばらく興奮していた爽が眠った11時頃、夜間当直の女医さんがエコーを自分で持ってきて「明目のCTの前にもう一度診たいので」と、20分ほど丹念にエコーで診た後、「やはり腫瘍は間違いありませんが、現段階では良性か悪性かは判りません」と言う。
(*後にカルテで確認すると、先生はこの時点ですでに悪性の『肝芽腫』を疑っていた)

[医師カルテ]
23時、Dr.Nエコー施行。肝右葉に直径6×6p程度の充実性のMass(*腫瘤)あり。内部やや不均一。
周囲との境界明瞭 → Hepatoblastoma(*ヘパトブラストーマ・肝芽腫)の疑い。

(*たまたまこの日の夜間当直だったDr.Nが、たまたま半月前まで『神奈川県立こども医療センター腫瘍科』に勤務していたため、これだけの検査と所見で肝芽腫を疑えたのかなと今になって思います。さらに「肝芽腫でしかも腹腔内破裂を起こしている可能性あり」という状態が意味することが分ったからこそ当初続ける予定だった検査をやめて翌朝すぐに転院の手続きを進めてくださり、それが後々爽の救命にも大きな影響を与えたのだと感謝しています。)

[採血結果] (*正常値より高いものは
、低いものは、で書いてあります)
 CRP(*炎症反応・正常値0) 
1.08
白血球         
1万4600
血小板         35万
ヘモグロビン   
10.0

1999.4.14(水) 神奈川県立こども医療センター入院 1日目
AFP 3万9000
 (*AFPは腫瘍マーカーのひとつで、肝臓のガンの場合異常高値となる。特に肝芽腫では敏感に反応する ・ 正常値10以下)

[状態]
体重10.685s ・ 身長84p

[処置]
レントゲン・CT・心電図・採血・点滴

[採血結果]
白血球        
1万1000                   GOT      48          HCT    30.6
ヘモグロビン   
9.8                            GPT       16
血小板        25万6000                    CRP     
0.69

○爽母
朝、昨夜の女医さんが来て
「ここで検査をするよりも、腫瘍があることははっきりしているので子供の腫瘍の専門家がいるこども医療センターで診てもらった方がいいと思うので、これから転院して下さい」と言う。
とにかく急いでという様子なので、夫に電話をし、私の実家に爽の弟を預け、車を借りてきてもらうこととする。
爽は昨夜以来、点滴のためにグルグル巻きにされた手が気に入らず
「はーい」
と手を差し出しては取れと言う。取れないというと怒って手を支えている板でぶったり、空いている手でひっかいたりする。

○爽父
朝、家の中をきれいにする。10時、義母が来て私は車を取りN病院へ行く。(こども医療センターへ移ることは出る前に電話で知る)こども医療センターへ転院し、CTスキャンで腹部を写す。爽は安定している。
夜7時すぎ、先生からCTとともに肝芽腫(ガン)である旨伝えられる。そして1年近く入院を要すると。
2人とも「何で爽が・・・」との思いで頭が真っ白に。病院を出る時、爽は薬で眠っていた。ヨーカ堂で爽のパジャマを買う。つらい思い

○爽母
やっと夫が到着し、急いで退院手続きやら紹介状をもらったりして、神奈川県立こども医療センターへ向かう。着いたのは12時少しすぎ。すぐに受付をすませ、内科のそばで計測をし、腫瘍科のDr.Tに診てもらう。やはり腫瘍の疑いが濃いと言われる。
いったん病室(4東幼児内科病棟412号室)へ入り、その後麻酔をしてCTスキャンなどの検査をする。

[看護記録]
13時、抱っこにて泣きながら入院。13時25分、採血・点滴。顔色不良。体熱感あり。
父母に抱っこされてもずっと泣いている。泣いていて肝触れず。ネンブタール(*麻酔)にて鎮静し、14時レントゲン。
14時30分、CT。16時、心電図。
1回覚醒するが、ふらついており危険。DIV(*点滴)抜こうとするため、抑制帯・肘関節帯使用。

○爽母
午後6時半になってナースステーションに呼ばれ、Dr.Tと入院時の主治医Dr.Aから検査結果を聞く。
「肝芽腫」とのこと。金曜日か遅くとも来週初めには手術することとなる。
爽の肝臓は約4分の3が腫瘍に侵されており、下の一部は腫瘍が破裂して出血し、そのために腹痛と嘔吐を起こしたらしい。

[看護記録]
(Dr.T) (CTの写真を見せながら)肝臓の周りの色と違うものが見えるのは、肝臓の中に出来た腫瘍。肝芽腫と思われる。肝臓の右の方に出てきており、もしかすると腫瘍の一部が破れている可能性もある。嘔吐や腹痛はそのせいかもしれない。出血もあるかもしれない。
治療は手術・化学療法・放射線があるが、肝芽腫は放射線が効きにくいので、手術と化学療法両方やる。肝臓は左だけでも生きていける。残ったほうは徐々に大きくなって機能も果たせるので、左を残して手術できるのではないかと思う。
数日中に手術できない、またはしないということであれば、まず化学療法して腫瘍を小さくしてから手術を考えていく。化学療法だけで腫瘍を消すのは難しい。
(母)      今のところ転移は?
(Dr.T)    肺に転移すること多いが、今のところはない。しかし細かいところでは分からない。
       できれば今週中に手術したい。
(父)       分かりました。
母はショックな様子で涙ながらに聞いていたが、質問もできており、理解出来ている様子。

[腹部エコー検査結果]
Liver(*肝臓)右葉内に巨大なtumor(*腫瘍)を認める。
境界は不明瞭。結節状のtumor(*腫瘍)がいくつか集簇した形態で肝右葉後区域に張り出した形状である。
周囲にはdaughter module(*娘結節)と思われるmass(*腫瘤)も認められる。mass(*腫瘤)の全体像・サイズはエコーでは捉えきれない。
Right hepatic vein(*右肝静脈)は途中で完全にmass(*腫瘤)によって途絶。Middle hepatic vein(*中心肝静脈)もかなり末梢まで追えるが、末梢でmass(*腫瘤)によって途絶しているため、S4にも及んでいると考えられる。
IVC(*下大静脈)はclear(*明瞭)。
Portal vein(*門脈)は本幹は明瞭だが、右枝は腫瘤で圧排している。
肝右葉外側区には、明らかなmass legion(*腫瘤性病変)はない。肝S6表面にややhigh echoなところがあり、モリソン蕎に少量だが腹水があり、tumor rapture(*腫瘍の破裂)も否定出来ない。

[胸部・腹部CT検査結果]
(胸部)        No evidence of pulmonary metastasis   (*肺転移なし)
(腹部)        不整形で大小のmodule(*結節)が癒合したよう な形をとるtumor(*腫瘍)を認める。
                 明らかな石灰化はない。
        内部は不均一で周囲に散在性のdaughter module(*娘結節)を伴う。

[医師カルテ]
肝腫瘍。AFP異常高値と画像所見から合わせて、Hepatoblastma(*肝芽腫)が濃厚。16日(金)手術予定。
S4には及んでいるが、外側区は画像上保たれているので、拡大右葉切除術を予定。

[使用薬剤]
・ST3                   ・ネンブタール(*麻酔)

1999.4.15(木) 神奈川県立こども医療センター入院 2日目
[状態]
貧血 ・ 腹痛 ・ 下痢

[処置]
MRI ・ 腹部エコー ・ 蓄尿 ・ 採血 ・ 点滴

[採血結果]
白血球        7700                ヘモグロビン   
11.2(↑)    ヘマトクリット 34.3(↑)                         

[看護記録]
午前7時30分、蓄尿開始。
朝食は1人でこぼしながらもよく食べられる。
9時半、採血のちシャワー。採血やシャワーは嫌がり大暴れ。ナース2人で行う。
両親がそばにいるとまずまず落ち着き、暴れずに処置を受けられる。
看護婦の関わりに対して泣いていること多いが、「きゅうきゅうしゃ」「くつ」などの発語みられ、欲求が少し満たされると落ち着く。
食事の時間は「おいしい」という言葉も聞かれ、笑顔みられる。

○爽母
午前中Dr.Aから電話があり、手術を明日昼前に行うことに決まったとの報告を受ける。そのため麻酔科の外来受診が2時半からあり、その後外科医からも説明を受ける。

[看護記録]
13時45分、腹部エコー。14時30分、麻酔科受診。
15時から父親に抱かれ、病棟内散歩。プレイルームでは泣かずに過ごせる。
15時35分、両親にムンテラ(*医師からの説明)。(外科 Dr.F(*肝芽腫の会協力医のあのF先生)、Dr.S  内科 Dr.A  看護婦K 同席)

[ムンテラ内容]
手術は右葉切除術、あるいは拡大右葉切除術。
【術後の合併症について】
出血(大出血の可能性もあり)・ 周辺臓器損傷 ・ 肝不全 ・ 無気肺 ・ 輸血による影響
【術後の経過】
麻酔の覚醒の状態によって、幼児外科あるいはICUに転棟。3日ほどして腸管の調子がよくなれば食事開始。1週間から10日で創部・全身状態良ければ内科へ再転棟。内科にて化学療法を開始。

○爽父
手術の同意書・輸血に関する書類にサインする。爽は昨日から手に点滴をしており、手が痛いと言う。

[看護記録]
17時、ネンブタール(*麻酔)にて鎮静しMRIへ。18時30分帰室。MRIの後、抱っこされていても少し暴れたりする感じあるが、呼吸状態は変わりなし。父母帰る際大泣きし、ナースがいても
「あっちいってよー」
と言い嫌がってしまう。入院して間もなく恐怖心やストレスが強いよう。

○爽父
MRI6時半頃出てくる。目を開けて「抱っこ」と言う。明日オペしてもらえる事で少し気が安まるが、つらい

[MRI検査結果]
下縁部に肝表面への露出が見られ、edge(*縁)近くにわずかなascites(*腹水)が存在。
左葉外側区には病変の存在を示唆する所見は認められない。

[使用薬剤]

・ST3                 ・ネンブタール  0.7ml                 ・ケイツー  4r
・5%T/Z  10ml     ・ソリタT3


1999.4.16(金) 神奈川県立こども医療センター入院 3日目  手術・ICU

[状態]
術後ICU転棟

[手術]   
拡大肝右葉切除 ・ IVHカテーテル入れ・ 骨髄採取


[看護記録]
6時15分、浣腸(GE挿肛)。尿パックの跡発赤。「いったーい」と。飲水すすめるも手でコップをはたいて嫌がる。
7時30分、蓄尿終了。9時、再び浣腸(GE挿肛)。

○爽母
朝9時までに病院へ行く。3番目の手術とのことで、はっきりした時間は判らず。


[看護記録]
両親とともにすごす。空腹なのか機嫌いまひとつ。痛みの訴えはなし。

○爽母
11時45分に手術室に入ることになり、その前に少し眠くなる薬を口から飲まされるが、まずいらしくすぐにベーッと吐き出す。
やがてストレッチャーに載せられ、新館3階の中央手術室へ向かう。爽はストレッチャーにちょこんと座り、不安そうな顔を私たちに向けたまま手術室に入っていく。
今のうちに腹ごしらえをと思い、売店で飲み物とお菓子・パンを買ってきて、持ってきたお弁当を食べる。


[手術室看護記録]
11時45分、泣きながら入室。時折他のことに興味示すが、また泣き出す。
挿管。末梢・Aライン確保。尿カテーテル留置。マルク(*骨髄穿刺) ・ IVHカテーテル入れ。

体温上昇 → ブランケット温度・室温下げる。

○爽母
やっと2時になった頃、Dr.Aが出てきて「今、首の管を入れるのと骨髄採取を終えたので、これからお腹を切ります」と言う。


[手術室看護記録]
14時13分、手術開始。腹部ポッテリしていて開腹後すぐ腫瘍出てくる。暗赤色でゴツゴツしたもの。周囲を丁寧に剥離していく。
15時途中胆嚢切除 → 病理へ。

○爽母
5時すぎに再びDr.Aがやってきて「まだ切除の最中ですが、今のところ問題はありません」と報告してくれる。
途中経過を知らせてもらえるのは実にありがたい。


[手術室看護記録]
17時、肝背側剥離。出血増。17時13分、輸血開始。17時53分、肝切除開始。
19時27分、肝切除終了。摘出し病理へ。

○爽母
19時40分頃、ようやく肝臓の切除が終り、外科の先生から切り取った肝臓を見せてもらう。思った以上に大きく、腫瘍も巨大だった。

(*後の『病理検査報告書』には、大きさ127o×75o×51o、重さ320gとある)

[手術室看護記録]
20時20分、肝切面へボンヒール噴霧、ドレーン挿入し、創部縫合(ステープラー使用)。ガーゼカウントOK。
20時40分、オペ終了。吸引。気管内分泌物中等量、白色のもの。自発呼吸ゆっくりと出現。
ゆっくりと待って抜管。21時18分、麻酔終了。

○爽母
名前を呼ばれ、手術室の前の部屋へ通される。そこで外科のDr.SやDr.N、Dr.F、内科主治医のDr.Aから説明を受ける。
大手術であったが、患部はすべて切除出来、手術としては成功とのこと。ひとまずホッとするが、合併症のこともあるので、まだまだ安心とはいかない。9時すぎにやっと手術室から出てくる。


[ICU患者管理表]
21時15分、ICU入室。O2(*酸素)吹流しにて入室。刺激に対してバタバタ暴れる。
痛み、エピドラ(*背中から硬膜につけた麻酔。持続して少量ずつ麻酔を注入する)効いているようで、バイタル(*血圧・脈)も大きな変化なく入眠できている。自分で時々動いている。両親はエピドラが抜けてしまって痛みで暴れるのではないかなど心配されていた。
抱っこしたいけどチューブ類が抜けたら怖いと、いろいろ思いはある様子。しかし児がスヤスヤ眠っているのを見て安心していた。
表情良い。時々笑顔も。

○爽母
5階のICUへ行った爽はその後レントゲンなどの処置をされ、面会できたのはすでに10時40分頃で、それから10分ばかり様子を見て帰宅する。あまりにも痛々しい姿でなかなかしっかりと見ることができなかったが、一方でどんな姿でも生きていてくれて良かったと心から思う。数日後に外科の看護婦さんから聞いた話によれば、エコーでいちいち確認しながら少しずつ切除したので思った以上に時間がかかったとのことであった。


○爽父
10時過ぎに爽に会う。両手・首・腰に管が入っていて痛々しい。ここまで来たとの思い

[手術室看護記録(全麻用)1]
麻酔  9時間33分 (11時45分〜21時18分)
手術  6時間27分 (14時13分〜20時40分) (*肝臓の切除のみの時間。IVHカテーテル入れや骨髄採取の時間は入っていません)
麻酔  ラボナール
体位  仰臥位
輸液  ソリタT1 (950ml)・5%bST1(550ml)
輸血  280ml  (濃厚赤血球150ml ・保存血(FFP)130ml)
出血  228ml  (ガーゼ146ml ・吸引232ml (生食150ml)


1999.4.17(土) 神奈川県立こども医療センター入院 4日目 ICU

AFP 1万8000(↓)

[状態]
発熱 ・ 体重10.693 s

[処置]
レントゲン ・ 採血 ・ 点滴

[採血結果]
GOT         
210                   白血球        8700
GPT         
123                    ヘモグロビン  10.6
LDH         
638                    ヘマトクリット 32.7

[ICU患者管理表]
午前11時。触れると少し腕を動かす。タオルケットをかけていると足で蹴っている。
顔・口唇・全身白っぽい。血圧・尿量安定しており、末梢冷感なくショック症状みられていないと思われる。
顔色・口唇色はすぐれず、オペ中の出血の影響か?創痛は覚醒してから出始め、少し体を動かすと「いたい」と言う。
覚醒してから不安げな表情で、最初はナースの声かけにも答えないでじっと見ているだけだった。
テレビを見ていても表情晴れず。少しずつ「うー」「いたい」と言うようになった。
見知らぬ環境で、不安で自分を出せないよう。これから創痛もでてくるので早めに対処していく。

9時。全身白っぽい。口唇色すぐれず。10時。悪寒出現。末梢ひんやり感あり。11時。熱上昇。体熱感あり。
時折腹部示し「いたい」と創痛訴えあり。アンヒバ(*解熱剤)挿肛。「バイバイ」「おしまい」と発語あり。意識クリア。
13時。解熱してくる。14時30分。面会あり。「だっこ、だっこ」と父母に甘えて足バタバタする。「納豆」と空腹訴え、口モグモグ。

○爽母
おじいちゃんも一緒に病院へ行く。
まだICUにおり、首・両手首・親指の点滴・脊髄への麻酔・導尿・腹部のリンパ液等を出す管(ドレーン)・胃の内容物をとるための鼻の管など8つの管につながれている。「抱っこ」をせがむが、まだとてもできそうにない。

○爽父
ICUに入るとすぐに目を覚ました。「だっこ」というが胴のところはしばられていて動けない。途中あきらめたように上を見つめる。爽の手をにぎるしか方法はない。来週火曜日にチームの先生方が会議を開くとのこと。そして化学療法をするにあたり承諾を得たいとのこと。車で帰るがこの5日間、あまりにも変動が大きく、頭がまとまらない


[ICU患者管理表]
覚醒時発語あり。ビデオや絵本見てすごす。やや人見知りするのか、ナースにはそっぽ向くことあるが、めそめそ泣くことはない。
17時、顔色白っぽい。両親、面会中心配そうな表情みられているが、父親はやさしく児に声かけ。母は疲れている様子でベッドサイドでウトウト。両親との別れ際「だっこ、だっこ」と泣いてしまうが、ビデオつけると泣きやむ。ビデオ見ながら入眠。面会終了後は眠ってすごす。
(*当時下の子が生後3ヶ月だったのでまだまだ夜中の授乳などが多く、病院へ来て爽の顔を見ると少し安心しイスに座って居眠りをしてしまうことが入院中よくありました)

○爽父
午前中、2人でヨーカドーへ買い物に行く。爽の服とオムツを買う)


1999.4.18(日) 神奈川県立こども医療センター入院 5日目ICU→5西幼児外科病棟
[状態]
悪寒 ・ 発熱38.6度 ・ 体重10.29s

[処置]
採血 ・Aライン抜去 ・ ST抜去 ・ 包交(包帯交換の略。IVHを固定している胸の部分を消毒する) ・ バルーン(*導尿の管)抜去

[採血結果] 
白血球          1万600 
ヘモグロビン     10.3
血小板         29万8000

[ICU患者管理表]
感染徴候なし。イレウス(*腸閉塞)症状なし。夜間浅眠。体に少し触れただけで覚醒してしまう。が、泣くことはなし。
キョロキョロしたり喃語を発するが、ナースにはなかなか意味が判らず。自動車や「機関車トーマス」の話をすると笑顔あり。
9時、各ルート抜去。「いたい」「おしまい」と発語あり。呼吸状態安定。表情よい。おもちゃ持って喃語のような声発する。
10時、麦茶すすめるが手で払いのける。座位でビデオ見てすごす。
10時50分、ICU退室。5西幼児外科病棟へ転入(ストレッチャーに座位で)
ベッドに移ってから、「抱っこ」と言い座位ですごしているも、ビデオ見ているうちにウトウトしだす。
12時、ベッド柵がカタカタ鳴るほどのふるえあり。末梢冷感あり、色も悪くなる。30分程するとかけもの全部はぎ、38.6度まで見られる。
12時40分、アンヒバ(*解熱剤)使用、後徐々に解熱。

○爽母
実家両親・茨城の義母も交代で病院へ行く。この日10時半に病院へ電話したところ、これから幼児外科病棟に移るという。
部屋は爽1人で、昨日よりは管が少ないが、まだまだ1人で爽を抱っこするのは難しく、1人が介助に回ってようやく抱っこできる。

○爽父
3時にお茶を飲む。6時にりんごジュースを飲む。おいしいと訊くと「おいしい」と言っておかわりを要求。元気を取り戻した爽を見ると気持ちが落ち着く。病から治れと祈る

[看護記録]
両親面会来ると、抱っこしてもらおうと両手挙げる。母に抱っこしてもらいながらしばらくすごす。「こわい」というも、母、児を抱っこする。
両親ともに児の表情見て安心したのか、落ちついてすごす。面会中は座位ですごし、機嫌まずまず。児から話しかけてくることあるが、まだ言葉は不明瞭で理解しにくい。「抱っこ」「いたい」「おくすり」は分かる。
面会終了後は気に入ったビデオを見ておとなしくすごす。19時半頃入眠する。

[食事]
水分のみ     ○17時 ポカリスエット

1999.4.19(月) 神奈川県立こども医療センター入院 6日目 5西幼児外科病棟

[処置]
採血 ・ 包交 ・ エピドラ抜去

[看護記録]
夜間突然目覚め泣き出すが、ビデオつけると眠り出す。肘関節帯使用しているが、嫌がることなく眠れている。
寝返りうまく出来ず泣き声出すことあり。麦茶促すと「いや、いや」と。りんごジュースは一気に飲み干す。
トーマスのおもちゃ近づけると少し笑う。
7時50分、エピドラ(*背中に管を入れ持続して少しずつ入れる麻酔)抜去。
8時採血。訪室し、オムツ交換や検温等で体に触れると「いたい、いたい」と訴えあり。
本日、昼より五分がゆとなるが、おかゆとみそ汁のみ摂取。
母面会に来ると笑顔見られ、ストレスによる訴えも考えられるため、できるだけ声かけしていく。

○爽母
夫はカゼ気味のため会社を休み、私だけ戸塚経由で病院へ行く。車だと15分だが、交通機関を使うと大きく迂回していくので50分ちょっとかかる。病室の爽は、私を見たとたん、泣きべそをかく。今までじっと耐えていたのだろう。「抱っこ、抱っこ」と言うが、今日から麻酔がとれたので、しばらく抱っこしていると
「いたーい」
というので、ベッドに寝かせる。しかししばらくするとまた「抱っこ」と言う。この日は昼から食事を摂れるようになり、おかゆとみそ汁を飲んだという。夕食も五分かゆを半分ほどと、マーボ豆腐風煮物・麦茶を摂る。6時のおやつはロールケーキとりんごジュースで、こちらも半分ずつ摂る。

[看護記録]
痛みの有無きくと「いたい、いたい」と顔をしかめながら答えるが、座位スムーズに出来ており、痛みの程度分かりにくい。
強いものではなさそう。恐怖心などもあるのだろう。母には歩行をすすめていくのでと話し、明日靴を持参するとのこと。

○爽母
帰り際に泣いてしまうのでかわいそうなのだが、「また明日ね」と言って帰る。 (*当時の面会時間は午後2時〜午後7時まででした)

[看護記録]
トーマスのビデオ見て機嫌よくすごす。IVH特にいじったりすることなし。抑制帯は使用せず様子を見る。


1999.4.20(火) 神奈川県立こども医療センター入院 7日目 5西幼児外科病棟
AFP 1万6000(↓)

[状態]
夜間創痛 ・ 微熱37度後半

[処置]
蓄尿 ・ Jバッグ抜去 ・ 包交 ・ 点滴

[看護記録]
夜間何度か目を覚まし、「いたい、いたい」と泣きながらの訴えあり。朝の起床時間帯に入眠している。
IVHのクレンメ、かなり気になっている。朝の検温時、オムツ交換時、本人の抵抗強く、看護婦の手払いのけようとする。その際ガーゼはがれ創部に本人触れるも創痛見られず。蓄尿のハルンパック、もれ多く陰部の発赤著明。本人も痛がる。
午後3時、Dr.Aに報告し蓄尿中止。

○爽母
夫はカゼで休み、近所の医院へ行く。その後茨城の義母とシチューを食べ、12時半すぎに1人で病院へ向かう。
病院に着いたあと、相談室で下の子の預け先について相談した後病室へ行くと、今日はもう1人4才くらいの女の子が入っていて、窓側の爽はちょうど看護婦さん2人にオムツを取られて尿パックを貼るかどうかの相談をしている最中だったが、私の顔を見ると大泣きする。
結局手術前のパックの跡が赤くただれて痛がるので、この日の採尿はなくなる。
爽は抱っこをしてやると少し痛いようなのだが、安心はするらしく身体の力を抜いてじっとしている。
この日は首の点滴だけになっていて、腹部の傷はホッチキスの親玉のような太い金属で留められていた。歩かせてもかまわないと言うので、おやつのあとプレイルームへ行ったら、またがって乗れる車やおもちゃがたくさんあって大喜びし、乗れる車に乗って少し走る。
夕食はおかずを食べないのにおかゆをおかわりし、1人居残っておかゆを食べる。6時のおやつはカップケーキを30分かけて全部食べる。この日より食堂で食事する。

[看護記録]
午後、37度台後半(*の熱)見られるが、クーリングのみで解熱。Jバッグ(*お腹の管)抜去。ぽっかり1pくらいの穴が開いている。

[使用薬剤]  
・ST3

1999.4.21(水) 神奈川県立こども医療センター入院 8日目 5西幼児外科病棟

[状態]
病理検査結果出る ・ 体重10.28s

[処置]
蓄尿(尿カテーテル挿入)24時間 ・ IVHフィルター交換 ・ IVHロック(*点滴終りという意味)

[看護記録]
6時に目覚め、「あーうーうー」とか甘え泣きする。トーマスや車の話をするとニッコリ。9時、点滴終了。ヘパリンロックする。

○爽母
1時45分頃病室に入ると姿がなく、ナースステーションから泣き声がするのでそちらに行くと、導尿の管をつけた爽が看護婦さんに連れられて出てくる。オシッコパックはやはり皮膚のただれが治らず導尿となったらしい。この日は点滴もすべてはずされ、胸の管(*IVH)がきんちゃく袋にいれられてあるだけだったが、「いたーい」は前日よりも多く言い、途中あまり痛がるので坐薬(*アンヒバ)を入れる。
夕方、Dr.Aから切断面の病理検査では悪いものは出ていないので、目に見えるガンは完全に取りきれたとの結果を聞き、少しほっとする。
(*手術で取った断面に腫瘍細胞があった場合は、目に見えない細胞単位での取り残しがあるという意味になります。なので「切断面の病理検査で悪いものは出ていない」ということは、きれいに取れましたということなのです。)
正式な結果は月曜日頃になるらしい。
4時頃プレイルームに行き、しばらくおもちゃで遊ぶが、夕食の時間になったため食堂へ行く。
全がゆを一気に食べたが、おかずは全く食べようとないのでやむなく病室に戻る。
しかし腹ペコらしく 「うあう(*ごはんの意)」と言って再び食堂に行く。
おかわりをもらい、ふりかけをかけて食べるが、食べ終わってもまだ足りないらしく、
「うあう」
を繰り返す。この時点で5時を少しすぎており、「6時におやつのケーキが出るから」と言われると大いに喜び、再びエプロンをして6時までそのまま食堂で待つつもりらしく、椅子から立とうとしない。
やっとのことで6時になり、カップケーキをもらうと大喜びし、20分かけておいしそうに食べ、麦茶を飲んで病室に戻る。
しばらくして実家父が私を迎えに来る。7時に帰る際大泣きし、かわいそうでならないが帰途につく。
(*当時我が家には車がなく、免許を持っていない私は近所に住む実家の父が東京の会社から帰宅してすぐに病院へ迎えに来てくれる車で帰っていました。)

[看護記録]
手術後5日目、排便みられず。

[医師カルテ]
〈病理〉  (*手術で取った腫瘍の病理検査の結果)
低分化型・高分化型が混在。低分化型がDominant? 
Surgical margin, negative. (*切断面に腫瘍細胞なし)
MHV 本幹に近いところに腫瘍塞栓あり (*中央肝静脈の中に腫瘍があって血管が詰まっているという意味です)
LN meta なし (*肺転移なし)  →  ステージVA

(*肝芽腫の分類方法は複数ありますが、そのひとつが低分化型・高分化型・間葉型に分類する方法で、一般に低分化型は悪性度が高い、つまり予後が悪いと言われています)


1999.4.22(木) 神奈川県立こども医療センター入院 9日目 5西幼児外科病棟

[処置]
蓄尿(午前9時終了) ・ 骨シンチグラム(全身骨転移の検索) ・ 抜糸 ・ 採血 ・ 包交

[採血結果]                  
GOT    45     GPT   49     LDH  586

[看護記録]
夜間良眠。覚醒後はナースが近づいてルート点検しているだけで泣き出すが、終われば泣きやむ。
動き始めると(*導尿の)ペニス先のカテーテルがこすれて少し痛がるが、じっとしていれば痛がらない。
「いたい、いたい」と、何をするにも口癖のように言う。
13時から骨シンチ(*放射性物質を体内に注入し、骨に転移がないかどうかを調べる)。ネンブタール(*麻酔)0.7mlで鎮静。

[骨シンチグラム結果]
Normal bone sintigraphy (*骨に異常なし)

○爽母
1時45分に病室に行くと、検査のためどこかへ行っていた。まもなく戻ってきたのでDr.Aに訊くと、骨の検査に行っていたとのこと。確認のためなので悪い結果は出ないでしょうと言う。麻酔のためしばらく眠る。今日は点滴の管はなし。
抜糸。(中央から右に21個、左に5、6個、上に11個)金属をとる。(Dr.F(*肝芽腫の会協力医で爽の執刀医)が処置室にて施行)
5時頃夫来る。

○爽父 
5階に行くとベビーカーに乗っていた

○爽母
病院の食事で爽が食べられるのはおかゆくらいなので、量を倍にしてもらったが、足りないらしく、「うあう、うあう」と言っている。今日はふりかけと煮魚をまぜて食べる。プレイルームでも少し走るが転ぶ。

○爽父
6時のおやつが待ち遠しいらしく5時50分には「手っ手」と言って食堂で手を洗い、一番に席につく。カップケーキを「おいしい」と言って食べる

[看護記録]
「いたい、いたい」と自分にとって気に入らないことがあると訴え、ナースを拒否するが、父母とすごしている時は動き活発で、プレイルームで楽しそうにすごす。
(面会終了時)父母と別れがたく、父母も分かれがたい様子。しばらく泣くが、ナースが抱っこするとベッドに戻りたがる。21時すぎ入眠。

[食事]      
○朝食        検査のため禁食
○昼食        検査のため禁食
○夕食        おかゆ
○おやつ     カップケーキ (*病院では午後3時と午後6時半におやつがでる)

○爽母
この日、下の子は午前中隣家のガッチャンママのところで1時間半ほどすごす。まだ生後3ヶ月なので、今後預かるために慣れておきたいのでとのこと。感謝。は自力でウンチ(*当時毎日のように便秘で、綿棒で浣腸しないとなかなかでなかったのです)


1999.4.23(金) こども医療センター入院 10日目 4東幼児内科病棟転棟

AFP 9600(↓)

[状態]
体重 10.31 s

[処置]
心臓超音波検査 (*今後の治療で心筋障害の副作用がある薬を使うため) ・ 包交 ・ フィルター交換

[看護記録]
夜間良眠。オムツ交換などでナースが近づくと、「いたい、いたい」と繰り返す。痛くないと分かると泣きやむ。「食堂へ行く」「バギーに乗る」など要求してくる。だいぶ病棟に慣れてきている。食欲旺盛で朝食ペロッと食べてしまう。
9時、包交・フィルター交換。包交も恐怖感強いようで、ずっと泣いている。
終わってプレイルームへ連れていくと、自分のペースで遊べている。14時、4東へ転棟。

○爽母
下の子のポリオは天気も悪いので見送り、5月のツベルクリンとBCGを先にすることとする。
爽は今日から再び4東幼児内科に移る。407号室。同室の男の子は4才(5月で5才)、白血病で昨年の8月から入院しているとのこと。
4時から心臓の検査。いったんは検査室に行ったが、なかなか眠くならず、部屋へ戻って抱っこしているうちにようやく眠くなり、抱っこのまま検査室へ行く。検査中、私は売店でアイスとジュースを買いひと休みする。
5時半頃夫が検査の終わった爽と一緒に病室に来る。麻酔は6時40分になっても覚めず、この日は早めに帰宅する。

○爽父
5時にこども医療へ車で行く。少々カゼ気味なので4階のエレベーター前のソファに座っていると、Dr.Aが寝ている爽を下からエレベーターで連れてきた。心臓の検査をしたとのことで、まだ寝ている。昨日骨に転移していないか検査をしたが、転移はないとのこと

○爽母
下の子は相変わらずご機嫌。9時すぎに眠る。


1999.4.24(土) こども医療センター入院 11日目
[状態]
微熱37.6度

[処置]   
包交

[看護記録]
朝起きてから「くつ!くつ!」と廊下に出たがる。ビデオつけるが、しばらくすると泣き出してしまう。
ナースが何かしようとすると「いたい!いたい!」と言う。恐怖心のある様子。検温も「いたい、いたい」と怖がる。体に触れられるのを嫌がる。トントン(*背中をトントン叩いてあやす)も嫌がる。

○爽母
実家の車を借り病院へ行く。昼食のスパゲッティーをよく食べたとのことで、少し安心する。着いてすぐにおやつのアイスクリームをもらい、うれしそうに食べる。入院以来やせたようなので心配。夫はすぐに帰るつもりだったが、帰りがたいらしく、結局最後までいる。

○爽父
爽は元気だが、力が出ないようだ。3時のおやつを「アイス」と言いながら喜んで食べる。外は雨でくもっている

○爽母
夕食後、部屋がBランクとなり不自由になる。爽がBランクなのではなく、週末の部屋割りの都合上、Bランクの子と同室になった。

(*骨髄抑制がひどくなると感染症を避けるために個室管理となり、それを入院していた病院ではBランクと呼んでいました。Bランクになると子供は部屋から出られなくなり、面会者は入り口でマスクとガウンを着て、必ず手を消毒しなければならなくなります。ちなみにAランクは骨髄移植のための無菌室のことをそう呼んでいました。呼び方は病院によって違うみたいです)

[看護記録]
「おしまい」「ナイナイ」「バイバイ」などこちらの言うことよくわかる。
「ごろん」「ねんねは?」と入眠促すと、「いやー」と。少しして自分から「ねんね」と言い入眠。

[食事]
○おやつ     アイスクリーム・麦茶・ポカリ
○夕食      ごはん
○おやつ     サッポロポテト・りんごジュース

1999.4.25(日) こども医療センター入院 12日目

[状態]
創部の左はじ少し発赤

[看護記録]
朝食ほとんどこぼさず食べる。包交・検温・入浴等、「いたい」と言うが、両親に抱っこされている時は痛み訴えなし。
母が創部の左はじのほう、腫れている感じがすると心配。当直のドクターに一応診てもらうが問題なさそうだとのこと。
面会終了時泣くが、「ねんね」と言ってごろんと横になり入眠。

○爽母
先生の所見はなし。6時すぎ、やや腹部が腫れていて痛みを訴えるが、当直医の診察では腹水や膿はなさそうとのこと。一応明日Dr.Aには伝えてくれると言う。
プレイルームで少し遊んだほかは、ほとんど夫に抱っこしてもらう。最近は「機関車トーマス」が好きらしい。おやつと夕食の間にポカリスエットを150t飲む。
「おっかあ」と呼んでいたのに、「おかーしゃん」になりつつある。

○爽父
車を借り2人で病院へ行く。手製のIVHの袋を首から下げてやる。食べず嫌いが多いため爽は少しやせたよう。3時のおやつはプリンとりんごジュース。夕食のシューマイとご飯、6時のおやつ、りんごジュースとクレープをおいしいと言って食べる。食べる姿がみたくて来るような感じだ


(*IVH(アイ・ブイ・エイチ)・・・「中心静脈カテーテル」という点滴のための管を鎖骨下の静脈に手術で直接つなげているので、こんなふうに胸から管がぶらさがっている状態で、先端にフィルターがついています。
当時は管もけっこう長かったので入浴時も湯船に肩までつかることは退院してこれを取るまで出来ませんでしたし、シャワーを浴びるにも刺入部と管が水に濡れないようビニールで保護するのにいろいろ工夫が必要でした。でも最近のIVHはずっとコンパクトになっているそうです。こんなところにも医学の進歩を感じます。
子供は血管が細いため点滴もれを起こすことがありますが、抗がん剤の中には点滴が皮下にもれるとそこが壊死してしまうものがあり肝芽腫でもそういった薬を使うことと、治療のための点滴量が多いため固形腫瘍の場合はIVHをつけることが多いようです。カテーテル(管)の種類によって違いますが、爽の病院ではここから採血も出来るタイプを使っていました。これだと採血のたびに皮膚に針を刺さなくてすみます。
検査の種類によってはそれでも直接針を刺さなくてはならないものもありましたが、子どもの負担は少なくてすみました。
刺入部はフィルムを貼って保護していますが、管の部分は手製の巾着袋に入れて首のところで結んで保護します。
[処置]によく出てくる「包交」はフィルムをはがして消毒すること、「フィルター交換」はフィルター部分の交換のことです。)

1999.4.26(月) こども医療センター入院 13日目
AFP 6900(↓)

[状態]
微熱37.7度

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]                  
GOT    42             白血球     1万400
GPT    27             血小板      34万3000
LDH    560           ヘモグロビン 10.3

[看護記録]
夜間良眠。ドレーン(腹部)抜去部発赤みられ、浸出液うっすら。
検温時など触れるだけで「いたい、いたい」と涙を流し、「イヤだ、イヤ」と拒否する姿が多く見られる。
入浴時、四肢・背中は静かに拭かせてくれるが、胸部・腹部は、「いたい、いたい」と怖がっている。

○爽母
昨日の腹部の腫れはやはり特に心配ないとのことだが、2時すぎの検温で37.7度あるので心配。

[食事]      
○おやつ     いちごヨーグルト ・ りんごジュース
○夕食      炊き込みご飯 ・ 煮魚1/5
○おやつ     ウエハース ・ ビスケット ・ オレンジジュース

1999.4.27(火) こども医療センター入院 14日目 病理検査報告治療説明

[状態] 
悪寒 ・ 発熱38度 ・ 内服薬(ファンギゾン・バクトラミン)開始

[処置]   
包交

[看護記録]
午前中ボランティアの人とずっと一緒に遊んですごす。本人、ごはんの時が最も機嫌よく、「ごはん、ごはん」と周囲に訴えている。
初めての内服は泣いて暴れて嫌がり、両親に手足を抑えてもらい、ナースが鼻をつまんでスポイトで服用する。
母親「他の子みたいにうまく飲めるようになるんでしょうか?」と不安気。
「みんな初めは手こずってますよ。慣れてくれば上手に飲めるようになると思います。がんばりましょう」と話す。
内服については児にとって相当大きなストレス因子となっているが、励まして服用させていく。
(*ファンギゾンとバクトラミンは1年5ヶ月飲みましたが、特にファンギゾンは最後まで結局慣れることはなく、私が馬乗りになって飲ませることが多かったです。もちろん薬の重要性は話しましたし、爽も2才児ながら「大事、大事」と大事であることは理解していました。
ただ、理解はしていても特にファンギゾンのまずさは大人が飲んでも半端なものではなく、そのために爽は家中を泣きながら逃げ回り、私は薬を持って「待ちなさい」と言いながら追いかける。知らない人が家の外でこの様子を聞いていたら、「この家では朝晩子供を虐待している」と思われたかもしれません(^_^;)。飲まなくてよくなった時は、親子ともどもホッとしました。朝晩ファンギゾンを 飲ませずにすむのがこんなにラクなものかと思いました)


[看護記録]
15時30分、ゴールデンウィークの外泊に向けてヘパ生プッシュの練習を始める。
(*ヘパ生プッシュ: 鎖骨下の静脈に直接つけている点滴のための管(IVH)は12時間毎にヘパリン生食液を注射器で入れなければなりません。それをしないと管と血管の接合部分などの血が固まり血栓が出来て詰まってしまうのです。
この処置をきちんと親が覚えないと外泊は許可されません。
今は薬が必要量あらかじめセットされた注射器でやるそうですが、当時は自分で注射器に注射針を接続し、薬の瓶に針を刺して注射器に薬を定量入れなければなりませんでした。それをIVHのフィルター部分につなげて薬を注入するという動作を消毒綿を使って素手で触らないように行うことは素人にはかなり怖い作業でした。手順はすぐに覚えましたが、雑菌が「ぽちっ」とでもつかないように終えなければならないので慣れることでいいかげんにならないよう、最後まで緊張感を失わないように心がけました。)


○爽母
夫が3時半頃来たので大喜びする。夕食後の2種類の飲み薬始まる(ファンギゾン・バクトラミン)が、大泣きして抵抗する。おやつ後のイソジンでの歯磨きも始まる。こちらも嫌がってなかなか出来ない。薬も歯磨きも治療が始まると免疫力が大幅に落ちるので、普通の人には何でもない菌やカビで重篤になったりするので、その予防上不可欠とのこと。
(*後にDr.Aから聞いた話では、ファンギゾンやバクトラミンがなかった頃は、免疫力低下による感染症で命を落とす子供が大勢いたそうです。最後まで飲むのも飲ませるのも苦労しましたが、この薬によって守られていたことも多かったのです。)
5時より最終検査報告。Dr.Aと血液科部長のDr.Kから説明を受ける。

[報告内容]
肝芽腫。4つの肝区域のうちの3つを占拠しており、ステージVA。
腫瘍が破裂していたことと、血管内に腫瘍塞栓があったことからすると、微小残存病変(*目に見えない細胞単位のがん細胞)があると考えて強い治療が必要。(*破裂していたり血管の中に腫瘍があると言うことは、がん細胞がお腹全体に飛び散っていたり、血流に乗って全身に回ってしまっていると考えたほうが自然なのです)
全身的な抗がん剤投与を28日間×6コース予定。2つの抗がん剤は

 (1) CDDP(*シスプラチン) 80r/m3×6=480r/m3
    シスプラチンの副作用として、著明な(*抗がん剤の中でも特にという意味)悪心・嘔吐・腎障害・
    低カルシウムマグネシウム血症・聴力障害。聴力障害(高音域)は総量300rからその症状が出る可能性あり。
    600rで難聴となる。そういった場合は中止や減量もありうる。

(2) THP-ADR(*THPアドリアマイシンまたはピラルビシン)30r/m3×2×6=360r/m3
    THPアドリアマイシン(*ピラルビシン)の副作用としては、心筋障害。200rから出るので、エコー等でフォローしていく。

治療効果の判定はAFPの推移を見てチェックする。半減期3から4日なので、そのように下がってきて最終的にAFP10以下を目指すが、途中で下がり止るとなると腫瘍残存と考えて更に治療を追加することが必要。
肝芽腫は症例少ないので、JPLT(日本小児肝がんスタディグループ)のプロトコールに登録してこれにのっとって治療をすすめ、あとで同じような病気の子の治療に役立てたい。

○爽母
面会終了時、「おかあしゃん」と言って泣く。

[看護記録]
19時40分、IVHに点滴つなぐ。20時45分、訪室すると体をガタガタふるわせている。体熱感あり。熱38度。
Dr.n(*当直医)コールし、採血・血液培養・咽頭培養を行う。採血結果はCRP(*炎症反応)0.2。普通のカゼか?とDr.n。
21時30分、クーリングし悪寒は消失。22時30分、37度4分で入眠中。24時、36度1分。

[医師カルテ] 
【病理】組織 低分化型・高分化型混在。低分化型主流 (embryonal type 胎児型)
macrotrabecular pattern (*間葉型)のような部分もある。
RHV(*右肝静脈) →腫瘍塞栓(*がん細胞で血管内がふさがっている)
大網(破裂した部分にくっついていたところ) → 免疫染色でも腫瘍細胞あり。間葉型への分化なし(殆ど上皮成分)
HBL(*肝芽腫) poorly differentiated type (*低分化型)ステージVA。T3 C3 V1 N0 M0
(*T=肝内局在*肝臓の4つの区域のうち3区域に渡り腫瘍がある)。 C=局所進展度
V=血管侵襲レベル。 N=リンパ節転移(なし)。 M=遠隔転移(なし))
(*大きさ) 12.7p×7.5p×5.1p
dissemination (*幡腫)はあると考えるべき
ステージVAだが、rapture(*破裂)しているので、dissemination(*幡腫)否定出来ず。
またinvolvement (*血管内侵襲)もあるので、ステージVBのような扱いで(*プロトコールの→)91B2のコース 6コース予定

[使用薬剤]  
・ファンギゾンシロップ 10ml (*体重1sあたり 1ml)。朝晩2回(*以降退院後3ヶ月まで毎日2回服用)
・バクトラミンC     50ml (*体重1sあたり5r)。 朝晩2回月火水のみ。(*以降退院後5ヶ月まで毎週月火水の朝晩2回)
・ST3     ・コンクライトMg

[食事]      
○朝食        ごはん1/3・みそ汁
○昼食       うどん
○おやつ     ヤクルトミルミル
○夕食       ごはん1杯・焼き魚
○おやつ     スィートポテト・ヤクルトミルミル