1 4/12-27 |
2 4/28-5/11 |
3 5/12- |
4 5/26-6/8 |
5 6/9-6/23 |
6 6/24-7/7 |
7 7/8-7/21 |
8 7/22-8/4 |
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9 8/5-8/20 |
10 8/21-9/3 |
11 9/4-9/17 |
12 9/18-10/2 |
13 10/3-10/17 |
14 10/18-11/1 |
15 11/2-11/16 |
16 11/17-12/1 |
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17 12/2-12/16 |
18 12/17-12/31 |
19 1/1-1/15 |
20 1/16-1/30 |
21 1/31-2/14 |
22 2/15-2/29 |
23 3/1-3/15 |
24 3/16-3/30 |
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25 3/31-4/14 |
26 4/15-4/18 |
1 1999.4/12 - 4/27 (発症 〜 入院14日目) |
プロフィール (発症時2才3ヶ月) | ||
病 期: 手 術: |
ステージVa (腹腔内破裂・血管侵襲あり) T3 (肝内局在=肝臓4区域のうち3区域に腫瘍あり) C3 (局所進展度=3) V1 (血管侵襲レベル=1) N0 (リンパ節転移=なし) M0 (遠隔転移=なし) 拡大肝右葉切除 (肝芽腫の手術は胆のうも全摘します) |
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組 織 型: | 低分化型 (Poory differenciated type)。高分化型・macrotrabecular pattern混在。aneuploid。 | |
化学療法: | CITA( シスプラチン・THP−アドリアマイシン) 6クール & ITEC(カルボプラチン・イフォスファミド・エトポシド) 6クール (計12クール) |
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入院期間: | 1日+371日=372日間 |
★1999.4.12(月) 発 症 | |
○爽母 夜9時前に夫帰宅。マクドナルドのチーズバーガーセットを買ってきたため、爽は大喜びでフライドポテトをパクパク食べ、ファンタグレープをほとんど1人で飲んでしまう。 10時前にそれまでテーブルの回りを走り回っていた爽が突然 「いたーい」 とお腹を抱えてうずくまり、嘔吐する。数回の嘔吐の後、夫は爽の腹部を触りしこりがあることに気づくが少し落ち着いたため入浴。いったんおさまったかに見えたが、再び嘔吐。夜中の3時頃まで寝つけず。(ただしこの時点で救急外来に連れていくほどの状態とは認識せず) ○爽父 会社の帰りにマックのセットを買って帰る。爽は喜んでジュースをがぶ飲みし、ポテトを食べ、テーブルの回りをグルグル走っていたが、私のところで痛いと言ってもたれかかり吐く。また食べ過ぎてと思う。すぐに風呂に入れるが元気がない。腰の左(*向かって)のところを押すと固まりがあるよう。泣いて胃がこうなったのかと思う一方で、このしこりはおかしいとの思いが離れず。 |
★1999.4.13(火) こどもクリニック受診 ・ 地域の基幹N病院入院 | |
○爽母 朝起きてお茶を飲むというので与えたところ、40分ほどして再び嘔吐。その後は昼11時すぎまで眠る。 12時半頃ヨーグルトを食べ、しばらくして 「いたい」 というも嘔吐はせず、元気も出てくる。隣家のママがお好み焼きを作って持ってきてくれる。 夫から電話があり、爽の容体を訊くので「大丈夫でしょう」と答える。再び夫から電話があり 「いま東京駅でこれから帰る」とのこと。 大丈夫なんだけどと思いつつ帰宅を待つ。(*当時爽の弟はまだ生後2ヶ月だったので、具合の悪い爽を病院に連れて行くには爽の弟を見ていてくれる人が必要だったのである) 夫の帰宅後もいったんは「元気も出てきたし、病院へは連れて行かなくてもいいんじゃない」となったが、インターネットの医事情報を見た夫がまたまた心配になり 「一応念のため」 近所のTこどもクリニックヘ4時すぎに行く。5時すぎに診察。触診するなり 「お母さん、これは大きい病院に行ってもらうかもしれないよ」とのこと。 「腸重積」のようだが、それにしては元気がありすぎるので何だろう、と先生も首をひねっている。一応完腸をしてみるが、やはりよく分からずN病院の先生と電話でやりとりをし、これからすぐに行くようにと言われる。たまたま医療費が無料になる『乳児医療証』を家に忘れてきたので 「取りに行ってからすぐ行きます」と言ったが 「そんな時間はない。ベビーカーで来たの?じゃあベビーカーもここで預かるからすぐにタクシー呼んで行って」 とのことなので、タクシーを呼んで病院に向かう。 6時5分に港南台のN病院到着。すぐに夜間救急外来で受付をすませる。まわりにはかなり具合の悪そうな大人が4、5人おり、その中で爽は 「きゃー」 などと声をあげながら走り回る。 しばらくして診察してもらうと、やはり「腸重積」の疑いが強いとのことで、レントゲンと高圧浣腸を行う。レントゲン室の外で待っていた時、中が急にバタバタし、緊迫した声で 「肝臓にマス!」 と行っているのが聞こえたが、意味が判らずそのまま終わるのを待つ。(*後にマスというのは腫瘤を意味することぱだと判る) 結果は腸重積ではなく 「肝臓の腫瘍」 の可能性ありとのことで、明日もっと詳しく検査をするので入院となる。 小児科の2人部屋に1人で入り、私は補助ベッドで一晩付き添うこととなる。麻酔が覚めない間に夫に電話をし、家に忘れた乳児医療証やその他のものを持ってきてもらう。その間爽の弟は近所の私の実家の母にみてもらうこととする。夫はおにぎりとサンドイッチを買ってきてくれるが全く食欲を感じない状態で、やっとお茶を2口ほど飲む。 ○爽父 入院が決まり夜8時半、N病院から茨城の母へ明日急だが来てくれるようお願いする。「よし、わかった」の一言で受けてくれた。(*の母は病弱で長時間やコンスタントな子供の世話は出来ないため) ○爽母 夫が帰りしばらく興奮していた爽が眠った11時頃、夜間当直の女医さんがエコーを自分で持ってきて「明目のCTの前にもう一度診たいので」と、20分ほど丹念にエコーで診た後、「やはり腫瘍は間違いありませんが、現段階では良性か悪性かは判りません」と言う。 (*後にカルテで確認すると、先生はこの時点ですでに悪性の『肝芽腫』を疑っていた) [医師カルテ] 23時、Dr.Nエコー施行。肝右葉に直径6×6p程度の充実性のMass(*腫瘤)あり。内部やや不均一。 周囲との境界明瞭 → Hepatoblastoma(*ヘパトブラストーマ・肝芽腫)の疑い。 (*たまたまこの日の夜間当直だったDr.Nが、たまたま半月前まで『神奈川県立こども医療センター腫瘍科』に勤務していたため、これだけの検査と所見で肝芽腫を疑えたのかなと今になって思います。さらに「肝芽腫でしかも腹腔内破裂を起こしている可能性あり」という状態が意味することが分ったからこそ当初続ける予定だった検査をやめて翌朝すぐに転院の手続きを進めてくださり、それが後々爽の救命にも大きな影響を与えたのだと感謝しています。) [採血結果] (*正常値より高いものは赤、低いものは青、で書いてあります) CRP(*炎症反応・正常値0) 1.08 白血球 1万4600 血小板 35万 ヘモグロビン 10.0 |
★1999.4.14(水) 神奈川県立こども医療センター入院 1日目 | |
AFP 3万9000 (*AFPは腫瘍マーカーのひとつで、肝臓のガンの場合異常高値となる。特に肝芽腫では敏感に反応する ・ 正常値10以下) [状態] 体重10.685s ・ 身長84p [処置] レントゲン・CT・心電図・採血・点滴 [採血結果] 白血球 1万1000 GOT 48 HCT 30.6 ヘモグロビン 9.8 GPT 16 血小板 25万6000 CRP 0.69 ○爽母 朝、昨夜の女医さんが来て 「ここで検査をするよりも、腫瘍があることははっきりしているので子供の腫瘍の専門家がいるこども医療センターで診てもらった方がいいと思うので、これから転院して下さい」と言う。 とにかく急いでという様子なので、夫に電話をし、私の実家に爽の弟を預け、車を借りてきてもらうこととする。 爽は昨夜以来、点滴のためにグルグル巻きにされた手が気に入らず 「はーい」 と手を差し出しては取れと言う。取れないというと怒って手を支えている板でぶったり、空いている手でひっかいたりする。 ○爽父 朝、家の中をきれいにする。10時、義母が来て私は車を取りN病院へ行く。(こども医療センターへ移ることは出る前に電話で知る)こども医療センターへ転院し、CTスキャンで腹部を写す。爽は安定している。 夜7時すぎ、先生からCTとともに肝芽腫(ガン)である旨伝えられる。そして1年近く入院を要すると。 2人とも「何で爽が・・・」との思いで頭が真っ白に。病院を出る時、爽は薬で眠っていた。ヨーカ堂で爽のパジャマを買う。つらい思い ○爽母 やっと夫が到着し、急いで退院手続きやら紹介状をもらったりして、神奈川県立こども医療センターへ向かう。着いたのは12時少しすぎ。すぐに受付をすませ、内科のそばで計測をし、腫瘍科のDr.Tに診てもらう。やはり腫瘍の疑いが濃いと言われる。 いったん病室(4東幼児内科病棟412号室)へ入り、その後麻酔をしてCTスキャンなどの検査をする。 [看護記録] 13時、抱っこにて泣きながら入院。13時25分、採血・点滴。顔色不良。体熱感あり。 父母に抱っこされてもずっと泣いている。泣いていて肝触れず。ネンブタール(*麻酔)にて鎮静し、14時レントゲン。 14時30分、CT。16時、心電図。 1回覚醒するが、ふらついており危険。DIV(*点滴)抜こうとするため、抑制帯・肘関節帯使用。 ○爽母 午後6時半になってナースステーションに呼ばれ、Dr.Tと入院時の主治医Dr.Aから検査結果を聞く。 「肝芽腫」とのこと。金曜日か遅くとも来週初めには手術することとなる。 爽の肝臓は約4分の3が腫瘍に侵されており、下の一部は腫瘍が破裂して出血し、そのために腹痛と嘔吐を起こしたらしい。 [看護記録] (Dr.T) (CTの写真を見せながら)肝臓の周りの色と違うものが見えるのは、肝臓の中に出来た腫瘍。肝芽腫と思われる。肝臓の右の方に出てきており、もしかすると腫瘍の一部が破れている可能性もある。嘔吐や腹痛はそのせいかもしれない。出血もあるかもしれない。 治療は手術・化学療法・放射線があるが、肝芽腫は放射線が効きにくいので、手術と化学療法両方やる。肝臓は左だけでも生きていける。残ったほうは徐々に大きくなって機能も果たせるので、左を残して手術できるのではないかと思う。 数日中に手術できない、またはしないということであれば、まず化学療法して腫瘍を小さくしてから手術を考えていく。化学療法だけで腫瘍を消すのは難しい。 (母) 今のところ転移は? (Dr.T) 肺に転移すること多いが、今のところはない。しかし細かいところでは分からない。 できれば今週中に手術したい。 (父) 分かりました。 母はショックな様子で涙ながらに聞いていたが、質問もできており、理解出来ている様子。 [腹部エコー検査結果] Liver(*肝臓)右葉内に巨大なtumor(*腫瘍)を認める。 境界は不明瞭。結節状のtumor(*腫瘍)がいくつか集簇した形態で肝右葉後区域に張り出した形状である。 周囲にはdaughter module(*娘結節)と思われるmass(*腫瘤)も認められる。mass(*腫瘤)の全体像・サイズはエコーでは捉えきれない。 Right hepatic vein(*右肝静脈)は途中で完全にmass(*腫瘤)によって途絶。Middle hepatic vein(*中心肝静脈)もかなり末梢まで追えるが、末梢でmass(*腫瘤)によって途絶しているため、S4にも及んでいると考えられる。 IVC(*下大静脈)はclear(*明瞭)。 Portal vein(*門脈)は本幹は明瞭だが、右枝は腫瘤で圧排している。 肝右葉外側区には、明らかなmass legion(*腫瘤性病変)はない。肝S6表面にややhigh echoなところがあり、モリソン蕎に少量だが腹水があり、tumor rapture(*腫瘍の破裂)も否定出来ない。 [胸部・腹部CT検査結果] (胸部) No evidence of pulmonary metastasis (*肺転移なし) (腹部) 不整形で大小のmodule(*結節)が癒合したよう な形をとるtumor(*腫瘍)を認める。 明らかな石灰化はない。 内部は不均一で周囲に散在性のdaughter module(*娘結節)を伴う。 [医師カルテ] 肝腫瘍。AFP異常高値と画像所見から合わせて、Hepatoblastma(*肝芽腫)が濃厚。16日(金)手術予定。 S4には及んでいるが、外側区は画像上保たれているので、拡大右葉切除術を予定。 [使用薬剤] ・ST3 ・ネンブタール(*麻酔) |
★1999.4.15(木) 神奈川県立こども医療センター入院 2日目 | |
[状態] 貧血 ・ 腹痛 ・ 下痢 [処置] MRI ・ 腹部エコー ・ 蓄尿 ・ 採血 ・ 点滴 [採血結果] 白血球 7700 ヘモグロビン 11.2(↑) ヘマトクリット 34.3(↑) [看護記録] 午前7時30分、蓄尿開始。 朝食は1人でこぼしながらもよく食べられる。 9時半、採血のちシャワー。採血やシャワーは嫌がり大暴れ。ナース2人で行う。 両親がそばにいるとまずまず落ち着き、暴れずに処置を受けられる。 看護婦の関わりに対して泣いていること多いが、「きゅうきゅうしゃ」「くつ」などの発語みられ、欲求が少し満たされると落ち着く。 食事の時間は「おいしい」という言葉も聞かれ、笑顔みられる。 ○爽母 午前中Dr.Aから電話があり、手術を明日昼前に行うことに決まったとの報告を受ける。そのため麻酔科の外来受診が2時半からあり、その後外科医からも説明を受ける。 [看護記録] 13時45分、腹部エコー。14時30分、麻酔科受診。 15時から父親に抱かれ、病棟内散歩。プレイルームでは泣かずに過ごせる。 15時35分、両親にムンテラ(*医師からの説明)。(外科 Dr.F(*肝芽腫の会協力医のあのF先生)、Dr.S 内科 Dr.A 看護婦K 同席) [ムンテラ内容] 手術は右葉切除術、あるいは拡大右葉切除術。 【術後の合併症について】 出血(大出血の可能性もあり)・ 周辺臓器損傷 ・ 肝不全 ・ 無気肺 ・ 輸血による影響 【術後の経過】 麻酔の覚醒の状態によって、幼児外科あるいはICUに転棟。3日ほどして腸管の調子がよくなれば食事開始。1週間から10日で創部・全身状態良ければ内科へ再転棟。内科にて化学療法を開始。 ○爽父 手術の同意書・輸血に関する書類にサインする。爽は昨日から手に点滴をしており、手が痛いと言う。 [看護記録] 17時、ネンブタール(*麻酔)にて鎮静しMRIへ。18時30分帰室。MRIの後、抱っこされていても少し暴れたりする感じあるが、呼吸状態は変わりなし。父母帰る際大泣きし、ナースがいても 「あっちいってよー」 と言い嫌がってしまう。入院して間もなく恐怖心やストレスが強いよう。 ○爽父 MRI6時半頃出てくる。目を開けて「抱っこ」と言う。明日オペしてもらえる事で少し気が安まるが、つらい [MRI検査結果] 下縁部に肝表面への露出が見られ、edge(*縁)近くにわずかなascites(*腹水)が存在。 左葉外側区には病変の存在を示唆する所見は認められない。 [使用薬剤] ・ST3
・ネンブタール 0.7ml
・ケイツー 4r |
★1999.4.16(金) 神奈川県立こども医療センター入院 3日目 手術・ICU | |
[状態] |
★1999.4.17(土) 神奈川県立こども医療センター入院 4日目 ICU | |
AFP 1万8000(↓) |
★1999.4.18(日) 神奈川県立こども医療センター入院 5日目ICU→5西幼児外科病棟 | |
[状態] 悪寒 ・ 発熱38.6度 ・ 体重10.29s [処置] 採血 ・Aライン抜去 ・ ST抜去 ・ 包交(包帯交換の略。IVHを固定している胸の部分を消毒する) ・ バルーン(*導尿の管)抜去 [採血結果] 白血球 1万600 ヘモグロビン 10.3 血小板 29万8000 [ICU患者管理表] 感染徴候なし。イレウス(*腸閉塞)症状なし。夜間浅眠。体に少し触れただけで覚醒してしまう。が、泣くことはなし。 キョロキョロしたり喃語を発するが、ナースにはなかなか意味が判らず。自動車や「機関車トーマス」の話をすると笑顔あり。 9時、各ルート抜去。「いたい」「おしまい」と発語あり。呼吸状態安定。表情よい。おもちゃ持って喃語のような声発する。 10時、麦茶すすめるが手で払いのける。座位でビデオ見てすごす。 10時50分、ICU退室。5西幼児外科病棟へ転入(ストレッチャーに座位で) ベッドに移ってから、「抱っこ」と言い座位ですごしているも、ビデオ見ているうちにウトウトしだす。 12時、ベッド柵がカタカタ鳴るほどのふるえあり。末梢冷感あり、色も悪くなる。30分程するとかけもの全部はぎ、38.6度まで見られる。 12時40分、アンヒバ(*解熱剤)使用、後徐々に解熱。 ○爽母 実家両親・茨城の義母も交代で病院へ行く。この日10時半に病院へ電話したところ、これから幼児外科病棟に移るという。 部屋は爽1人で、昨日よりは管が少ないが、まだまだ1人で爽を抱っこするのは難しく、1人が介助に回ってようやく抱っこできる。 ○爽父 3時にお茶を飲む。6時にりんごジュースを飲む。おいしいと訊くと「おいしい」と言っておかわりを要求。元気を取り戻した爽を見ると気持ちが落ち着く。病から治れと祈る [看護記録] 両親面会来ると、抱っこしてもらおうと両手挙げる。母に抱っこしてもらいながらしばらくすごす。「こわい」というも、母、児を抱っこする。 両親ともに児の表情見て安心したのか、落ちついてすごす。面会中は座位ですごし、機嫌まずまず。児から話しかけてくることあるが、まだ言葉は不明瞭で理解しにくい。「抱っこ」「いたい」「おくすり」は分かる。 面会終了後は気に入ったビデオを見ておとなしくすごす。19時半頃入眠する。 [食事] 水分のみ ○17時 ポカリスエット |
★1999.4.19(月) 神奈川県立こども医療センター入院 6日目 5西幼児外科病棟 | |
[処置] |
★1999.4.20(火) 神奈川県立こども医療センター入院 7日目 5西幼児外科病棟 | |
AFP 1万6000(↓) [状態] 夜間創痛 ・ 微熱37度後半 [処置] 蓄尿 ・ Jバッグ抜去 ・ 包交 ・ 点滴 [看護記録] 夜間何度か目を覚まし、「いたい、いたい」と泣きながらの訴えあり。朝の起床時間帯に入眠している。 IVHのクレンメ、かなり気になっている。朝の検温時、オムツ交換時、本人の抵抗強く、看護婦の手払いのけようとする。その際ガーゼはがれ創部に本人触れるも創痛見られず。蓄尿のハルンパック、もれ多く陰部の発赤著明。本人も痛がる。 午後3時、Dr.Aに報告し蓄尿中止。 ○爽母 夫はカゼで休み、近所の医院へ行く。その後茨城の義母とシチューを食べ、12時半すぎに1人で病院へ向かう。 病院に着いたあと、相談室で下の子の預け先について相談した後病室へ行くと、今日はもう1人4才くらいの女の子が入っていて、窓側の爽はちょうど看護婦さん2人にオムツを取られて尿パックを貼るかどうかの相談をしている最中だったが、私の顔を見ると大泣きする。 結局手術前のパックの跡が赤くただれて痛がるので、この日の採尿はなくなる。 爽は抱っこをしてやると少し痛いようなのだが、安心はするらしく身体の力を抜いてじっとしている。 この日は首の点滴だけになっていて、腹部の傷はホッチキスの親玉のような太い金属で留められていた。歩かせてもかまわないと言うので、おやつのあとプレイルームへ行ったら、またがって乗れる車やおもちゃがたくさんあって大喜びし、乗れる車に乗って少し走る。 夕食はおかずを食べないのにおかゆをおかわりし、1人居残っておかゆを食べる。6時のおやつはカップケーキを30分かけて全部食べる。この日より食堂で食事する。 [看護記録] 午後、37度台後半(*の熱)見られるが、クーリングのみで解熱。Jバッグ(*お腹の管)抜去。ぽっかり1pくらいの穴が開いている。 [使用薬剤] ・ST3 |
★1999.4.21(水) 神奈川県立こども医療センター入院 8日目 5西幼児外科病棟 | |
[状態] |
★1999.4.22(木) 神奈川県立こども医療センター入院 9日目 5西幼児外科病棟 | |
[処置] |
★1999.4.23(金) こども医療センター入院 10日目 4東幼児内科病棟転棟 | |
AFP 9600(↓) |
★1999.4.24(土) こども医療センター入院 11日目 | |
[状態] 微熱37.6度 [処置] 包交 [看護記録] 朝起きてから「くつ!くつ!」と廊下に出たがる。ビデオつけるが、しばらくすると泣き出してしまう。 ナースが何かしようとすると「いたい!いたい!」と言う。恐怖心のある様子。検温も「いたい、いたい」と怖がる。体に触れられるのを嫌がる。トントン(*背中をトントン叩いてあやす)も嫌がる。 ○爽母 実家の車を借り病院へ行く。昼食のスパゲッティーをよく食べたとのことで、少し安心する。着いてすぐにおやつのアイスクリームをもらい、うれしそうに食べる。入院以来やせたようなので心配。夫はすぐに帰るつもりだったが、帰りがたいらしく、結局最後までいる。 ○爽父 爽は元気だが、力が出ないようだ。3時のおやつを「アイス」と言いながら喜んで食べる。外は雨でくもっている ○爽母 夕食後、部屋がBランクとなり不自由になる。爽がBランクなのではなく、週末の部屋割りの都合上、Bランクの子と同室になった。 (*骨髄抑制がひどくなると感染症を避けるために個室管理となり、それを入院していた病院ではBランクと呼んでいました。Bランクになると子供は部屋から出られなくなり、面会者は入り口でマスクとガウンを着て、必ず手を消毒しなければならなくなります。ちなみにAランクは骨髄移植のための無菌室のことをそう呼んでいました。呼び方は病院によって違うみたいです) [看護記録] 「おしまい」「ナイナイ」「バイバイ」などこちらの言うことよくわかる。 「ごろん」「ねんねは?」と入眠促すと、「いやー」と。少しして自分から「ねんね」と言い入眠。 [食事] ○おやつ アイスクリーム・麦茶・ポカリ ○夕食 ごはん ○おやつ サッポロポテト・りんごジュース |
★1999.4.25(日) こども医療センター入院 12日目 | |
[状態] |
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(*IVH(アイ・ブイ・エイチ)・・・「中心静脈カテーテル」という点滴のための管を鎖骨下の静脈に手術で直接つなげているので、こんなふうに胸から管がぶらさがっている状態で、先端にフィルターがついています。 当時は管もけっこう長かったので入浴時も湯船に肩までつかることは退院してこれを取るまで出来ませんでしたし、シャワーを浴びるにも刺入部と管が水に濡れないようビニールで保護するのにいろいろ工夫が必要でした。でも最近のIVHはずっとコンパクトになっているそうです。こんなところにも医学の進歩を感じます。 子供は血管が細いため点滴もれを起こすことがありますが、抗がん剤の中には点滴が皮下にもれるとそこが壊死してしまうものがあり肝芽腫でもそういった薬を使うことと、治療のための点滴量が多いため固形腫瘍の場合はIVHをつけることが多いようです。カテーテル(管)の種類によって違いますが、爽の病院ではここから採血も出来るタイプを使っていました。これだと採血のたびに皮膚に針を刺さなくてすみます。 検査の種類によってはそれでも直接針を刺さなくてはならないものもありましたが、子どもの負担は少なくてすみました。 刺入部はフィルムを貼って保護していますが、管の部分は手製の巾着袋に入れて首のところで結んで保護します。 [処置]によく出てくる「包交」はフィルムをはがして消毒すること、「フィルター交換」はフィルター部分の交換のことです。) |
★1999.4.26(月) こども医療センター入院 13日目 | |
AFP 6900(↓) [状態] 微熱37.7度 [処置] 採血 ・ 包交 ・ フィルター交換 [採血結果] GOT 42 白血球 1万400 GPT 27 血小板 34万3000 LDH 560 ヘモグロビン 10.3 [看護記録] 夜間良眠。ドレーン(腹部)抜去部発赤みられ、浸出液うっすら。 検温時など触れるだけで「いたい、いたい」と涙を流し、「イヤだ、イヤ」と拒否する姿が多く見られる。 入浴時、四肢・背中は静かに拭かせてくれるが、胸部・腹部は、「いたい、いたい」と怖がっている。 ○爽母 昨日の腹部の腫れはやはり特に心配ないとのことだが、2時すぎの検温で37.7度あるので心配。 [食事] ○おやつ いちごヨーグルト ・ りんごジュース ○夕食 炊き込みご飯 ・ 煮魚1/5 ○おやつ ウエハース ・ ビスケット ・ オレンジジュース |
★1999.4.27(火) こども医療センター入院 14日目 病理検査報告治療説明 | |
[状態] |