18 1999.12.19-1.1 (入院250日目〜263日目) |
★ ちょっと寄り道(17) 出口が見えてきた | |
4月から延々と化学療法を続けてきて、やっとAFPが10以下の正常値に入るようになりました。もちろんまだアップダウンはありましたが、ベースとしては下がってきて、ようやく出口が見えてきたのがこの頃です。 それまでは「1年の入院」と言われていても「生きて退院出来るのだろうか・・・」と言う気持ちが常にあり、「いいや!退院できる!」という希望で必死にフタをしていたような状態でしたから、本心から「いけるかもしれない」と思えたのは、やはり7クール以降でした。 ただそれはあくまでも『退院』ということに関してのみで、まだ『小学校に入学する爽』や『爽が大人になったら・・・』などというこどもの将来の想像は全く出来ませんでした。私の『ぬか喜びはしない』という性格のせいもあるかと思いますが、『甘くみたらすぐに隙をつかれる病気』なので、「気を抜いたらやられる」という緊張感は解くことができなかったのです。 当時のこども医療センターの肝芽腫に対する治療方針は、プロトコールから見るとかなり『しつこい』治療でした。 何しろ化学療法は「術後1年間」というのが当時の基本方針だったのです。 たぶんこれを読んでいるのがドクターならびっくりするようなしつこさだと思います。現在のプロトコールでは、『AFPが正常値になって2クール』というのが治療終了のメドですし、実際には術後2〜3クールで治療が終わることが多いからです。けれども爽とその数ヵ月後に同じ肝芽腫で治療した子のどちらもが、「再発しても全然おかしくない状態」だったのに2人とも現在に至るまで再発をしなかったのは、その『しつこい』治療のおかげだと私自身は今でも考えています。 もちろん薬を多く使えば使うほど副作用は強く出てきますし晩期障害の問題もあるので、誰でもかれでも術後の化学療法をたくさんやればよいとは決して思いませんし、現に爽は今でも聴力がどうの、骨の成長がどうの、という問題をいろいろ抱えています。 ただ、再発してしまった場合に再び化学療法をやることを考えれば薬の総量は少なくてすんだわけですし、現在のプロトコールのように発症時の病期のみで治療が決まるのではなく、破裂や血管侵襲、転移などがあって高い確率で再発が予想されるケースには治療プロトコールにも再発率を極力低くするためのオプションがあったらよいのにと思います。(2006.7.11) |
★1999.12.19(日) こども医療センター入院 250日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.20(月) こども医療センター入院 251日目 帰院のち外泊 | |
AFP 10.0(↑) |
★1999.12.21(火) こども医療センター入院 252日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.22(水) こども医療センター入院 253日目 外泊・一時帰院 | |
[状態] |
★1999.12.23(木) こども医療センター入院 254日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.24(金) こども医療センター入院 255日目 帰院のち外泊 | |
AFP 10(→) |
★1999.12.25(土) こども医療センター入院 256日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.26(日) こども医療センター入院 257日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.27(月) こども医療センター入院 258日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.28(火) こども医療センター入院 259日目 帰院のち外泊 | |
爽之助3才! AFP 10(→) |
★1999.12.29(水) こども医療センター入院 260日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.30(木) こども医療センター入院 261日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.12.31(金) こども医療センター入院 262日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.1.1(土) こども医療センター入院 263日目 外泊 | |
[状態] |