7    1999.7/8 - 7/21 (入院86日目 〜 入院99日目)

★ ちょっと寄り道(6) 知らないって怖い
『帯状疱疹(たいじょうほうしん)』っていう病気があることは知っていました。知ってはいましたが、どんな症状で何が原因かなんて夫が罹るまで全く知りませんでした。
実は病気が分かる何日か前から夫は「お腹と背中に何かポツッと出来ててそれが痛い・・」と訴えていました。
でも私は「なにこれ、『毒虫』にでも刺されたんじゃないのぉ。何か塗っとけば」とあまりにも冷たいコメントと一瞥(いちべつ)を与えただけで気にも留めていませんでした。いや、本当は優しいんです(汗)。優しいんですが(?)、爽のことで頭がいっぱいでしたから皮膚に出来た『ポッチ』なんかにかまっていられなかったのです。でも夫は今でもたまに「あの時、『毒虫にでも刺されたんじゃないのぉ』って冷た〜く言ったんだよな」と言っています(^o^;)。
夫は病院嫌いなんですが、どうにも痛いらしく昼間半休を取って病院へ行き、診察してもらって帰宅してからまた会社へ出かけました。私は夫が出社したあとに外泊になった爽を連れて帰宅したのですが、何げなく見たパソコンのそばにプリントアウトした紙があり、そこに『帯状疱疹』のことが書かれていたので「なんだ、毒虫じゃなくて帯状疱疹だったのかぁ」と、これまた何となく読んでみました。するとそこには『水痘ウィルスが原因』、『帯状疱疹から帯状疱疹はうつらないが、水痘をやっていない子供にはうつる』などと書いてあったのです。
その時初めて「えっ! 水ぼうそうと同じウィルスってことは大変じゃないの!」と慌てて夫に確認の電話をすると、たしかに帯状疱疹だと言われたとのことで、それからさらに慌てて病院の主治医に連絡したのです。
幸い接触からまだ日が浅く、爽からさらに他の子供へうつしてしまう『感染期間』にはまだなっていませんでしたが、あの時夫が病院嫌いを発揮して我慢強く病院へ行かずにすませていたら、あるいは病院へ行ったのが数日遅かったら、病棟のほかの子供たちにもウィルスをばらまいてしまう結果になったでしょうし、爽もAFPが正常値になっていなかったあの時期に水痘を発症していたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

その後も病棟では『水痘ウィルス接触』による騒ぎは何度かありましたが、親や周囲の人間が『知らなかった』ために接触してしまったという話が多かったように思います。帯状疱疹は普通あまり若い人はならないようですが、お年寄りなどでこれに罹ることはわりとあるようです。私が聞いたのも、親戚の集まりに連れて行ったらそこに来ていた親戚のおじいさんだかおばあさんだかが帯状疱疹になっていて、なっている本人も水痘ウィルスががん治療中の子供には大敵であることを『知らない』ので、特にその時自分が帯状疱疹に罹っていることは言わず、あとから何かの話のついでに判明したというような内容でした。

もしこれを読んでいるお医者さんがいましたら、『感染症には気をつけて』『水ぼうそうは特に気をつけて』『本人家族に発疹が出た場合はすぐに連絡するように』だけではなく、ぜひ『帯状疱疹は水ぼうそうと同じウィルスなので、痛みのある発疹が出たら至急連絡するように。またそのことを子供と接触する可能性のある親族にも説明するように。』ということを患者の親に説明するようにしてください。
水ぼうそうになった子供は家でとりあえず寝ていますが、帯状疱疹に罹った大人はそのへんを普通に歩いています。うちの主人もたしか会社は休みませでした。(2006.1.26)

1999.7.8(木) こども医療センター入院 86日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制 ・ 水痘及びおたふくの抗体陰性(*!!!!!)(T_T)

[処置]
採血

[採血結果]
好中球       138                     GOT          38
血小板       2万3000              GPT           27
白血球       2000                   ヘモグロビン   9.1

○爽母
水痘の抗体が陰性だったため、8月2日まで隔離となる。予防接種はしているのだが、抗がん剤治療で抗体が消えることがあるとのこと。ここは病室が何となく暗く(昔の病院っぽい)、監視カメラ(*声もひろってる!)もあり、気が重い。
(隔離病棟は完全個室で二重扉。入り口で履物を専用のものにはきかえ、最初のドアの中で白衣を着て消毒用イソジンで手を洗い、ペーパータオルで拭く。それから中扉を開けて中に入る。コップ・食器類は全て第一扉と第二扉の間の流しでミルトン消毒。トイレもここにあるので、大きな子はそこでする)

(*保健所の無料のものではなく、高いお金を払って接種した『水痘』と『おたふく』がよりにもよって消えていました。一応隔離病棟には入っていましたが私も主治医も、『まっ、抗体の結果が出るまでのことだから』という気持ちだったので、特に私はショックでした。二重扉でいちいち履物まで変えなくてはならないので、看護婦さんもあまりちょくちょく来てはもらえず、私が面会に行くと爽はいつもくつをはいて狭い部屋のわずかなスペースを行ったり来たり走っていました。転ぶと危ないので走らないようにということは4東病棟の時から言われていましたが、元気はありあまっているのに広い公園どころか病棟の中を歩くことさえ出来ないのですから『せめてそれくらい』という気持ちでした)

[看護記録]
夜間良眠。食事はいつものようにパンのみ。服薬は拒否しながらも最後は自らスポイトを持って飲んでいる。
午前中ビデオを見たり、おもちゃで遊んだりしている。面会あり。とても喜んでいる。
母が帰る時泣いたが、姿が見えなくなると一人遊びし、ほとんどすぐにベッドに臥床して入眠してしまった。

[食事]
○朝食        パン・ジュース
○昼食        パン2枚・ジュース
○夕食        パン2枚


1999.7.9(金) こども医療センター入院 87日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制

[処置]
包交 ・ フィルター交換

○爽母
血小板少ないため、明日輸血。

[看護記録]
夜間良眠。今朝はパン食べず。シャケフレークとみそ汁の豆腐のみ。
機嫌はよいが、時々キャーッと泣く。IVH包交時も泣く。
母の面会が終わると間もなく入眠する。
服薬はいつものように抵抗大だが、吐き出すことなく飲める。

[食事]
○朝食        シャケフレーク・みそ汁の豆腐のみ
○昼食        パン
○おやつ     ココア牛乳


1999.7.10(土) こども医療センター入院 88日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制 ・ 輸血によるアレルギー

[処置]
血小板輸血

[看護記録]
夜間良眠しているが、2日くらい大きな寝言を言っている。おもちゃの車を持ったまま入眠。朝食はパンのみ。
ゾビラックス(*抗ウィルス剤)は嫌がらないが、ファンギゾンは嫌がり大泣きする。顔色は白っぽい。
(午前中は)機嫌よくテレビを見たり、ミニカーで遊んですごす。

○爽母

午前中、病院の講堂で『血液腫瘍科の親の会』が催され、夫は帯状疱疹で行けないため、私だけ出席する。
4時20分から血小板輸血開始。
5時15分頃、おでこにピンクの発疹が現れ、ナースコールして看護婦さんが来た頃には、鼻・足にも出る。
6時頃には背中以外ほぼ全身に出る。特にお尻・太股・足・手がひどく、大きな島のようになっている。当直医にIVHからポララミン(*抗ヒスタミン剤)を入れてもらい様子を見る。その後ややおさまってきたので、7時45分に病院を出る。

[看護記録]
母面会後は母に甘え、母の姿見られなくなると泣く。「キャー」と高い声を出す。
16時5分、ポララミン内服。16時40分、ST3で点滴開始。
血小板約半量入ったところで発赤疹。
額・足背に散在、しだいに顔・頬・手・臀部・大腿から下腿とじんましん広がり、特に膝は膨隆疹となり掻痒感あり。
当直医に報告し、ポララミン注入後30分くらいで下腿以外は消失する。
再び輸血開始するが、終了間際でじんましん再び出現。主治医報告し、そのまま様子見る。

[医師カルテ]
18時30分、PLT(*血小板)輸血約40mlのところで膨隆疹出現とコールあり、額・手・足背などに認める。
呼吸困難なし。聴診にて喘鳴なし。血小板輸血によると考え、輸血中止し経過観察。
19時30分、膨疹消失傾向なくむしろ増強しているため、ポララミン0.4ml iv(*注射)。
22時、輸血終了。まだ顔面・足首・上肢に膨疹あり。本人は入眠出来ている。

○爽母
9時45分に病院に電話。その後輸血再開し(足にはまだ残っているそう)、現在は眠っていて、以降じんましんの兆候もないようだとのこと。10時終了の予定。
(*輸血によるじんましんが初めて出て、私もびっくりしてしまいました。その後も何回か出ましたが、特徴は急激に広がることで、かゆみよりも痛みがひどいようでした。本当に見ている間にどんどん増えてしかも大きな島のようになっていくのです。爽も「いたい、いたい」と泣き叫んでいました。これ以降はじんましんが出ないで輸血が終了するとホッとするようになりました。)

[看護記録]
母も「初めてで」と不安あり、帰院後も心配でと電話あり。対応すると、「よかった、これで眠れます」と安心されたようであった。
0時でまだ下腿・顔に赤みが残る。


1999.7.11(日) こども医療センター入院 89日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制 ・ 夕方微熱

○爽母
昨日のじんましんは全て消える。
アンパンマンのハンドルのおもちゃを買ってもらい大喜びする。何でも自分でやりたがり、「じんびる」(自分でやるの意味)と言い張る。
(*この日はたまたまビデオカメラを病院に持って行ったのですが、4東の骨髄移植をした子の様子を見に来た主治医のDr.Aが病室に寄ってくれて、ずいぶん遊んでくれました。今でも時々その時のビデオを見ることがあります。そしてビデオの中で爽はやっぱり個室の中を走り回っています(笑)。)

[看護記録]
午前2時には下腿・顔の赤み消失。夜間良眠している。
朝食は、パンとみそ汁のみで副食は嫌がる。ビデオ・おもちゃなどで機嫌よくすごせる。
面会終了時大泣きするが、1人でおもちゃで遊ぶ。おもちゃを持ったまま入眠。

[食事]
○朝食        パン・みそ汁
○おやつ     ヨーグルト・ココア牛乳2本
○夕食        パン・シチュー(少)・ココア牛乳
○おやつ     スィートポテト・オレンジジュース

○爽母
下の子
は、先週から離乳食を始める。今日は野菜がゆをこしたものを少々。


1999.7.12(月) こども医療センター入院 90日目 1西隔離病棟

AFP        21(→)

[状態]
骨髄抑制 ・ 体重10.625s

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        153                GOT          26
白血球        1700              GPT           12
ヘモグロビン   8.4                 血小板        11万4000

[看護記録]
夜間良眠。目覚めたとたん、おもちゃを手にし「トーマス見る」と騒ぐ。テレビ見ながらなかなか食事すすまない。主食のみ摂取。
薬は途中までスプーンで上手に飲める。
面会時、母と遊んでいる際、転んで上唇切れ、じわっと出血。出血少量で問題ないよう。元気に過ごせる。
母希望で米飯に変更。面会終了時大泣きするが、ナースとおしゃべりするとすぐに泣きやみ、ビデオやおもちゃで遊べる。

○爽母
初めてファンギゾンを自分でスポイトを持って飲む(*ただしこの時限りだった)。今日はわりとビデオをよく見る(ミッキー・アンパンマン)。アンパンマンのハンドルで遊ぶ。

[食事]
○おやつ     ココア牛乳3本・野菜フルーツ牛乳1本
○夕食        ふりかけごはん・肉団子1個
○おやつ     ジュース


1999.7.13(火) こども医療センター入院 91日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制

[処置]
蓄尿(24時間) ・ 包交 ・ フィルター交換

○爽母
午後4時、夫を電話で呼び、帯状疱疹のところ治ったかどうか病院の入り口でDr.Aに診てもらう。少し赤いところがあるので、感染症科のドクターをコールし診てもらうと、「大丈夫。治っている」とのことで、爽への面会許され、5時半、久しぶりに爽に面会する。

[医師カルテ]
父、感染症科医師にも診察していただき、背中の疱疹跡痂皮化しているのでOKとのこと。
次回chemotherapy(*化学療法・抗がん剤治療)第4コース(7月22日予定)予定通り行う。
(*『病院の入り口で』というところがミソです。ようするに病院入り口の「外」のところで、主人は服をめくって背中の帯状疱疹の状態をチェックしてもらいました(^o^;)。しかもその状態で今度は感染症科の先生を呼び、もう一度同じ状態で見てもらいました。もし完全にかさぶたになっていなければ病院の中に入るわけにはいかないのでそういう事態になったのですが、たまたま通りかかった人はビックリしたかもしれません。
この日やっと夫の帯状疱疹が治り、夫は7/5の朝以来初めて爽に会うことが出来ました。2人とも対面した時にとてもうれしそうな顔をしていたことを覚えています。)


[看護記録]
顔色すぐれず貧血色。
午前3時から起きる。カミナリでさらに眠れなくなり、5時頃までビデオ見ていた。
10時、蓄尿開始。バルーン挿入試みるが入らず、採尿パックの跡が色素沈着し残っており本人とても嫌がるが、パックを貼付しトライする。処置以外はとても機嫌よく元気。
17時30分、父親面会。感染症科ドクター、Dr.A、父の帯状疱疹を診察し、面会許可となる。
採尿嫌がり逃げる。モレ多い。なかなか入眠せず、23時すぎようやく入眠。

[食事]
○おやつ     コアラのマーチ・ジョア


1999.7.14(水) こども医療センター入院 92日目 外泊

[状態]
骨髄抑制

[看護記録]
夜間良眠。薬嫌がり大暴れする。10時蓄尿終了。
母の迎えあって10時30分外泊へ。洋服に着替え、はしゃぎまわって嬉しそう。
(*外泊へは1階非常口から他児と接触しないよう外へ出る)
(*夫の帯状疱疹が治ったので、ようやく外泊も出来るようになりました。10時に畜尿が終了してからは病棟の廊下へも始めて出してもらえたようで、「もううれしくてうれしくて、何度も病棟の廊下を走って往復していましたよ」と看護婦さんが教えてくれました。本当にもう「感染症で隔離されるのはこりごり」と思いました。)

○爽母
昼食時37度1分。その後上昇なし。

○爽父
8時前に家に帰る。ドアを開けると爽がタッタッタッと走ってくる。
(*夫は何も言いませんでしたが、「自分の帯状疱疹のために爽が隔離されて外泊も出来なくなってしまった」と、たぶん辛かっただろうと思います。夫の年齢で帯状疱疹になるというのはよほど免疫力が落ちてしまっていたということで、仕事と子供の病気のストレスは相当大きかったのです。このように若くして帯状疱疹になる親は何人もいました。親にかかる精神的肉体的ストレスがいかに大きいかが分かりますが、なぜかお母さんではなく、お父さんがなることが多いので主治医も「何ででしょうかねぇ・・」と首をかしげていました。やはり『母は強し・・』でしょうか?)

[食事]
○おやつ     牛乳プリン・ヤクルト
○昼食       ミートスパゲッティ1皿・ココア牛乳・ポカリ
○おやつ     バウムクーヘン1個・ココア牛乳
○夕食    カレー2皿・お茶


1999.7.15(木) こども医療センター入院 93日目 1西隔離病棟

AFP       17(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        91                           GOT          32
白血球        2500                       GPT           12
ヘモグロビン  8.2                           血小板        24万1000

○爽母
てっきり外泊と思っていたらお泊まりになった。夕方夫も病院に来る。

[看護記録]
10時帰棟。微熱みられるが、母と遊び機嫌よくすごす。
11時30分、採血・包交・フィルター交換。包交時大泣きするも、すぐ機嫌よくなる。
好中球91で外泊に行けず。
両親帰宅時大泣きしたが、すぐに泣きやみ、ビデオの話をしてくれる。退室したらすぐに入眠。

[食事]
○朝食        ごま入り茶漬け2杯・ココア牛乳・水
○おやつ      プリン


1999.7.16(金) こども医療センター入院 94日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制 ・ 熱37度6分

[看護記録]
夜間良眠。夜泣きなし。活気あり、部屋から出たがる。
午後からはベッドから下り、室内を走り回る。時々ドアに体当たりして、注意すると面白がってしまう。
体温37度6分に上昇あるが、他かぜ症状等なし。夕方からは36度台へ。
母帰宅時大泣きするが、すぐに泣きやみビデオ見てすごし、そのまま入眠する。

○爽父
茨城へ母が帰る。義母がこちらへ来て下の子の世話をしてくれる

[食事]
○おやつ     ゼリー
○おやつ     りんごジュース


1999.7.17(土) こども医療センター入院 95日目 1西隔離病棟 

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱37度4分

○爽母
下の子を実家に預け、2人で病院へ行く。

[医師カルテ]
看護婦さんにたくさん遊んでもらって機嫌よい。

[看護記録]
朝からトーマスのビデオ見て機嫌よい。ふりかけで主食のみ食べられる。
午後に37度4分の微熱あるが、その他は落ち着いている。
トーマスのビデオやライオンキングを見てすごしている。ベッドから下りるが部屋から出ることはなく、部屋中を歩き、時には小走りに走っている。面会よりとても表情よい。面会中はずっとベッドから下りてすごしている。楽しげな声がきかれ、表情もよい。活気あり。
面会終了後、まもなく入眠。

[食事]
○朝食        ふりかけごはん
○おやつ     アイスクリーム
○おやつ     カップケーキ・ジュース


1999.7.18(日) こども医療センター入院 96日目 1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制

○爽母
私、かなり疲労を感じる。

[看護記録]
夜間覚醒し、トーマスのビデオ見ながら再入眠する。
朝食は「パンだけ食べる」とパンのみ摂取。
(午前中)活気あり。トーマスやアンパンマンのビデオ見て機嫌よくすごす。
母親が帰宅したあともビデオ見てすごす。


1999.7.19(月) こども医療センター入院 97日目 外泊

AFP       17(→)

[状態]
骨髄抑制

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        312                        GOT          37
白血球        2400                      GPT          14
ヘモグロビン   9.9                        血小板        7万3000

[看護記録]
午前3時、訪室すると覚醒していて、オシッコと言う。オムツ交換するが眠る様子なく、「おっきする」と座っておもちゃで遊び始める。
その後腹臥位になって入眠している。
朝食はごはんは全部食べ、みそ汁の汁だけ飲んであとは手をつけていない。薬は嫌がるが、最後まできっちり飲めている。
顔色はすぐれず。14時、外泊へ。

[食事]
○朝食        ごはん・みそ汁の汁のみ
○おやつ     ココア牛乳・野菜ジュース
○夕食    ごま入り茶漬け・パン1個半・ココア牛乳・りんごジュース


1999.7.20(火) こども医療センター入院 98日目 外泊

[状態]
便の色が変

○爽母
昨日フィルター交換をせずに帰宅したので、一応病院に電話するが、1週間に一度でも問題ないとのこと。夕方、下半身シャワー。

[食事]
○朝食        コーンラーメン・野菜ジュース
○昼食        ふりかけごはん・コロッケ・りんごジュース
○夕食        ふりかけごはん・みそ汁・アイスクリーム

○爽母
下の子はノドが渇くのか、ずいぶん泣く。


1999.7.21(水) こども医療センター入院 99日目 外泊 

[状態]
便の色が変 ・ 寝汗

○爽母
夜間、寝汗をかく。
6時、下の子起床。6時45分、爽起床。2人とも暑さのためか寝苦しかった様子。
外泊中、便の色がおかしい。黄色味なく、ファンギゾンのようなオレンジっぽい色。その後、ファンギゾンに茶色を混ぜたようになる。
(*本当に変な色でした。結局原因は分からず、しばらくしたらまたもとの便の色になりました。こういったわけの分からない不調があるたびに神経が必要以上にピリピリしてしまいました。)

[食事]
○朝食       目玉焼き1/4・ウィンナー1/2本・お茶漬け・ココア牛乳
○昼食       クリームスパゲッティ(少)・ヨーグルト2個
○おやつ     アイスクリーム・ヨーグルト・ココア牛乳
○夕食     チキンライス(少)・みそ汁・クリームコロッケ1個