8    1999.7/22-8/4 (入院100日目 〜 入院113日目)

★ ちょっと寄り道(7) 機関車トーマスと桜
爽は2才3ヶ月で入院するまでたぶん『機関車トーマス』はほとんど見たことがなかったと思います。
それが入院直後から病室のビデオを見て夢中になり、入院の全期間を通して毎日何度も繰り返しビデオを見続け、退院してからはまたあまり見なくなってしまいました。

本人はそれほど夢中になったことなどとっくに忘れてしまい、今ではたまにキャラクターを目にしても「ああ、これ入院している頃好きだったんだよねぇ」などと他人事のように言ってますが、親の私は退院してもうすぐ6年になろうとしている今でも『機関車トーマス』のオープニングテーマがどこかで耳に入ると、その時によって振り幅は違いますが大なり小なり胸がえぐられるような感覚に陥ることがあります。Bランクの部屋の匂い、部屋に差し込む光、ビデオの一場面、爽の声、当時の私の様々な思いがフラッシュバックするのです。
爽が入院中に夢中になったものは『ピングー』や『トムとジェリー』『Mr.ビーン』などいくつもあるのですが、他のものは「入院中これよく見ていたよねぇ」というだけで、もちろんいろいろなことを思い出しますがそれは「頭の中によみがえる」だけです。けれども機関車トーマスのオープニングテーマを聴いた時の感覚は、まるで当時にタイムスリップしたような触覚・嗅覚・視覚といった五感をともなうのです。とても不思議な感覚ですが、だからと言って「トーマスのテーマは聞きたくないわ」と避ける気持ちはありません。「自分から聞こうとは決して思わないけれど、耳に入ってきてしまうのはそれはそれで仕方がない」というくらいです。
そして、トーマスのテーマと同じような症状をきたす(大げさですが・・)スイッチが実は2年前までもう1つありました。
『桜の花が咲く頃』です。
爽が発症し入院した年はなぜか桜の開花が例年よりも遅く、4月中旬でした。
近所の小児科から地域の基幹病院へ腫瘍の疑いで一泊し、翌朝すぐに神奈川県立こども医療センターへ転院することになり、「救急車で行きますか?」と聞かれましたが、容態は安定していて元気もあったので外の景色を見れるほうがよいだろうと実家の車で転院することにし、病院を出てすぐそばのスーパーの駐車場まで爽を抱っこしていく時はとてもよく晴れた午前で満開の桜が少し散り始めていました。
柔らかくて暖かくてうきうきした空気と、その中を正反対の思いで通り抜ける私と夫の落差があまりにもすごすぎて、その後桜の季節になるとトーマスと同じ感覚にみまわれました。ようやくその感覚が薄くなり、「桜がきれい」と再び思えるようになったのは小学校2年になったおととしからでした。理由は自分でもよく分かりません。
「時間が経ったから」
と言えばそうなんでしょう。爽は退院する時に『5年生存率60%』と言われていました。そして小学校2年になった4月、「桜がきれいだ」と思えた4月がちょうど発症後5年の時だったのです。頭ではなく、身体や五感が少しホッとしたのかもしれません。
ただ、その年の桜の季節には退院後の主治医だったDr.Tが入院していました。一緒にお見舞いに行ったこうちゃんママと「先生のお部屋からは桜が見えないね。どこかの桜の枝をこっそり切って持っていこうか」などと悪事の相談をしつつも結局桜を切る決心がつかなくて持っていくことが出来ず、4月下旬にDr.Tは逝ってしまいました。だから桜の季節は今でもやっぱり頭の中では思い出すことがいっぱいです。 (2006.2.9)

1999.7.22(木) こども医療センター入院 100日目 1西隔離病棟

AFP       17(→)

[状態]
骨髄回復 ・ 発熱38度5分 ・ 体重11.25s

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        1224                          GOT          44
白血球        3600                          GPT          18
血小板        22万2000                  ヘモグロビン  10.3

○爽母
検査結果、午後3時すぎに出る。
好中球1224のため熱が下がり次第、第4回目の治療を開始することとなる。
熱のためか午後少し昼寝。夕食時、膝の痛みを訴え、熱も上がりややぐったりする。5時頃Dr.Aが診察に来るが、特に問題はなさそうだとのこと。7時に私が帰るまで元気なし。

[医師カルテ]
元気だったが、午後38度5分まで上昇。機嫌悪くなって元気なくなる。熱型みて治療延期も。

[看護記録]
9時45分帰院。機嫌よく「タクシー乗ったの」と言いながら帰棟。
午後より38度台あり。鼻汁(+)。昼寝後活気なく機嫌悪く、ぐずること多い。夕食食べ始めるがしゃがんだ姿勢で食べ、「座ってごらん」と母に言われるがぐずり、「足いたい」と泣き出す。食欲もないのかすすまず、母に抱かれている。
Dr.A、「CRP(*炎症反応を示す数値)も高くないし、ただのかぜでしょう。何もしないで経過見る」と母に言われる。

[食事]
○朝食        ごま入り茶漬け・野菜ジュース
○昼食        ふりかけごはん・豆腐の吸い物
○夕食        ふりかけごはん(少)

○爽母
下の子は10時頃就寝。


19997.23(金) こども医療センター入院 101日目 1西隔離病棟

[状態]
嘔吐 ・ 熱37度6分

[処置]
夜から水の点滴

[看護記録]
午前0時、突然起きたかと思ったらベッドに吐物がちらばっていた。「ばっちい」と言い、すぐ入眠。
午前2時、発熱あり。氷枕使用し様子みるも起床時37度台に解熱。
13時30分、母面会。午後37度6分の熱上昇あるが、その他の風邪症状なし。
昼寝してしまい、昼食食べず。水分は母が持ってきたココア牛乳をたくさん飲み、たくさん摂っている。夕食はまずまず食べられている。
薬嫌がり、母とナースに押さえられて飲んでいる。発熱あるが活気良好、食思もあり。おしゃべりも多い。
19時30分、ハイドレーション(*水の点滴)開始。(ST2・コンクライトMg)
本日はなかなか眠らず、21時ようやく入眠。

○爽母
午後1時に病室へ行くと、ベッドで眠っていた。この時の熱37度5分。昼食を持ってきたら椅子の上で眠っていたそうだが、よく落ちなかったと思う。近頃は『ミスタービーン』のビデオがお気に入りの様子。
(*同じ病院でも病棟によって微妙にいろいろなことが違い、とまどうことがありました。飲み物ひとつをとっても、ある病棟ではどうしても水分が摂れない時以外は持ち込み禁止で病院の麦茶だけなのに、別の病棟では同じく持ち込みは基本的にダメだが麦茶とりんごジュースは選べ、さらに別の病棟では基本的に何でも持ち込みOK、という具合です。ようするに規則の中には『患者の病状を考えて』ではなく、あくまでも病棟を管理する側が『ラク』かどうかという判断で出来たとしか思えないものもあるということです。こうした理不尽な規則については、きちんと要望として患者側から訴え続けていれば変わることもあります。事実麦茶以外禁止だった病棟も、さまざまな親の要望が出て『患者の立場に立つ』ことをもう一度考えるようになり、爽の退院後しばらくしてから飲み物の持ち込みがすべてOKになりました。)

[食事]
○昼食        うなぎ(吸い物つき)全く食べず!
○おやつ      ココア牛乳3本・茶
○おやつ       ポテトクッキー・ジュース


1999.7.24(土) こども医療センター入院 102日目 隔離病棟第4回抗がん剤投与開始

[状態]
微熱

[処置]
シスプラチン投与(24時間持続点滴)

○爽母
今週末は茨城の義母がいてくれるため、2人で病院へ行く。

[看護記録]
夜間良眠。7時、検温。8時声かけにて覚醒。主食はふりかけで全量摂取するが、副食は手をつけず納豆が好きと食べている。
午前中ビデオ見てすごす。微熱あるも活気あり。本日より治療開始となる。
10時、カイトリル (*制吐剤)30分点滴し、11時、ブリプラチン(*抗がん剤シスプラチンの商品名)開始。ブリプラチン開始後も利尿良好。尿テープチェックにて、潜血(+−)。
嘔気気分不快の症状なく、面会中はくつをはいて元気に過ごしている。夕方からも活気良好、食欲もあり。
21時入眠。22時、再びカイトリル投与。

[使用薬剤]
・ブリプラチン (*抗がん剤シスプラチンの商品名) 40r           ・カイトリル (*制吐剤) 0.4r 2回
・コンクライトMg(*鎮座剤) 5 ml                            ・ST2 500 ml

[食事]
○朝食        ふりかけごはん
○昼食        食べず
○おやつ      アイスクリーム・りんごジュース
○夕食        ごはん1杯
○おやつ       ジュース


1999.7.25(日) こども医療センター入院 103日目1西隔離病棟 第4回抗がん剤投与2日目 

[状態]
微熱 ・ 嘔吐

[処置]
シスプラチン投与(昨日の続き) ・ ピラルビシン(*抗がん剤THP-ADRのこと)投与

○爽母
私が偏頭痛の発作のため夫が行く。

○爽父
爽は点滴しているのであまり動き回れない。

[看護記録]
夜間良眠。朝7時すぎにやっと目覚め、いつもと比べると不機嫌でだるそうである。トーマスのビデオ見たいと言って見ている。
食事はごはんにふりかけをかけて、マイペースでゆっくりと食べている。食事中はテレビを見て機嫌よくすごし、嘔気嘔吐なし。
11時10分、カイトリル(*制吐剤)投与し、11時59分、ピノルビン開始。微熱続くも活気あり。泣くことが多くなった印象あり。
14時から父面会。テレビを見たり、一緒に遊びすごす。18時頃からおやつをを持ち、椅子に座りウトウトする。
父帰る際泣いてしまうが、
「おとうさんが、ガンバレ、ガンバレって言ってた」
と言う。その後軽くセキをし、食物残渣とファンギゾン嘔吐する。「ごはん、ドロッと出ちゃった。ゲェー出ちゃった」と、笑っている。
その後すぐに入眠する。22時、カイトリル投与。

(*『カルテの開示請求』をして初めて知った事実はいくつもありますが、この日の『父帰る際泣いてしまうが、「おとうさんが、ガンバレ、ガンバレって言ってた」と言う』を読んだ時は、さすがに泣きました。夫がそう言ったことはもちろん知りませんでしたし、夫自身も自分がそう言って帰ったあとの爽がその言葉を励みにして懸命に寂しさや辛さと闘ったことは知らなかったと思います。そう言った後にすぐに吐いているくらいですから、気分もすぐれなかったのだろうと思いますが、「お父さんがガンバレって言った」から、吐いてもおどけて笑っていたのかなあ・・・と。看護記録のコピーを取って本当に本当に本当によかったと思えた瞬間でもありました。)

[使用薬剤]
・ブリプラチン (*抗がん剤シスプラチン。昨日の続き)       ・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシン) 15 r
・コンクライトMg(*鎮座剤) 5 ml                        ・カイトリル (*制吐剤) 0.4r 2回
・ST2

[食事]
○朝食        ふりかけごはん
○昼食        ごはん2/3
○おやつ       パインジュース


1999.7.26(月) こども医療センター入院 104日目 1西隔離 第4回抗がん剤投与3日目

AFP       14(↓)

[状態]
倦怠感 ・ 骨髄抑制

[処置]
ピラルビシン投与 ・ 採血

[採血結果]
好中球        510                             血小板        13万9000
白血球        3400                           ヘモグロビン   10.9

○爽母
だんだん骨髄抑制が強くなる。

○爽父
3時に会社を出て病院に行く。

[看護記録]
嘔気嘔吐なし。やや不機嫌気味であるが、ビデオ見てご機嫌となる。
12時、カイトリル(*制吐剤)投与。12時30分、ピノルビン(2本目)開始。
テレビを見たり本を読んですごすも、昼寝2時間ほどしており、倦怠感ある様子。父母と機嫌よくすごす。
両親が帰った後泣いている。ナースが訪室しても、「看護婦さん、バイバイ」と言う。
イソジンうがいを嫌がり大声でわめくが、根気よくすすめると自分で1回だけやっている。トーマスのビデオ見て、20時すぎに入眠する。

[使用薬剤]
・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名) 15r                   ・ST2
・カイトリル (*制吐剤) 0.4r 2回


1999.7.27(火) こども医療センター入院 105日目 1西隔離第4回抗がん剤投与終了 

[状態]
微熱 ・ 骨髄抑制

[処置]
ハイドレーション(*水の点滴)

○爽母
下の子の6ヶ月検診が午後3時からあるため、夫が会社を早退し病院へ行く。

○爽父
今日は元気だが、点滴の管があり走り回れないので、ずっとビデオ(Mrビーン)を見る。

[看護記録]
ファンギゾン嫌がり押さえて飲ませると、しばらく機嫌悪くなる。
機嫌悪く「タクシー乗るの」「おそとに出るの」と言ってみたり、オムツ交換時なかなかズボンをはこうとせず遊んでしまう。はかせようとすると奇声を上げてしまうため、様子みていると自分ではいている。ほめるととても喜んでいる。
12時、ピノルビン終了。ST2(*水の点滴)60ml/hへアップ
夕方から37度台。活気あり、とてもおりこうさんである。注射器持って「これ楽しい」と言っていじっている。
(*もちろん針を取ったやつです(^-^;)。『お医者さんごっこ』は入院中も退院後も全くやりませんでしたが、入院中は外泊時にヘパ生プッシュ用の注射器をたくさん持ち帰るので、洗った使用済みの注射器で時々遊んでいました。)

[使用薬剤]
・ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名)                   ・ST2

[食事]
○朝食        ごはん1/4
○昼食        食べず
○夕食      ごはん1杯


1999.7.28(水) こども医療センター入院 106日目 外泊

爽 2才7ヶ月

AFP       18(↑)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲なし ・ 体重10.85s

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        208           血小板        13万5000
白血球        1600         GOT           86
ヘモグロビン   9.7           GPT            70

[看護記録]
夜間良眠。朝の薬、バクトラミン(*抗生剤。ファンギゾンとともに退院後まで服用)も嫌がり、1回自分で飲むと言ってわざとこぼす(^-^;)
押さえ込んでやっと飲ませる。隣の部屋のMさんを窓越しに「お姉ちゃん」と言っておしゃべりしている。
(*「なぜ隣の部屋の人と窓越しに話せるの?」と思うかもしれませんが、当時の病棟は隣の部屋との間が大きなアクリル板の窓というか壁というか・・そのようになっていてカーテンを閉めることもあまりなかったので、よく見渡せました。4、5年後からはプライバシーということで常にカーテンを閉めることになったのですが、子供にとってはたとえ個室でも他の子の様子が分かるほうが精神的にはラクなのではないかなぁと思います。隔離病棟にいた時は、私も隣室の赤ちゃんのお母さんと窓越しに挨拶しているうちに廊下などで話をするようになりました。)
10時、点滴終了しIVHヘパリンロック。包交時は大暴れし、抵抗する。ヘパロック後は病室内を走り回り活気大。
14時、外泊へ。祖父に抱かれ、うれしそうに出かけていく。

○爽母
好中球ギリギリ(208個)で金曜日まで外泊許可となる。
午後3時頃帰宅。今日は実家父の車で送り迎えしてもらう。元気はあるが、あまり食欲なく水分ばかり摂る。(*この日のGOT・GPTともやや高め)夜は「カレー」をリクエストしたくせに、結局ひとくちも食べず。

○爽父
今日は義父が会社を休む。

[医師カルテ]
AFP、7月26日提出分 14 (最高キロク!)

[食事]
○朝食        ごはん1/3
○帰宅後    お茶漬け2杯・水
○夕食    ヨーグルト1/2個・水・ファンタ(少)


1999.7.29(木) こども医療センター入院 107日目 外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲なし

○爽母
朝・昼・夜ともあまり食欲なく、水分を欲しがる。好きなココア牛乳も飲まず。
朝10時のヘパ生プッシュの後、義母帰る。12時から3時まで3人で昼寝。起きてからはブロックなどで遊ぶ。
夕食は好物のドリアを作ったが、ひとくちも食べず。ただし熱はないよう。
(*抗がん剤投与の時は他の子の比べてもかなり元気のあるほうでしたが、肝機能障害が起きるとさすがに元気はなくなりました。それと水分をとてもたくさん欲しがるようになりました。このことに気づいてからは『水分をやたらと欲しがる→肝機能が悪いのかな?』と思うようになり、ほぼ100%の的中率でした。そういう時は無理に食べさせるとすぐに吐いてしまうので、なかなかむずかしかったです。)

[食事]
○朝食        お茶漬け1/2杯・水2杯
○おやつ     ヨーグルト1/2個・バウムクーヘン(少)・水1杯
○昼食        ラーメン1杯・水1杯・ファンタ
○夕食        お茶漬け(少)・スープ(少)・ヨーグルト1個
(*今気づいたのですが、食事の内容はあくまでも爽が食べたものであって、これが我が家の毎日のメニューというわけではありませんので、どうか誤解のないようにお願いします(^-^;)。この日もドリアとかサラダとか作りましたが、爽が食べたのは『お茶漬け』・・・。)

○爽母
下の子は最近起きているときは「うー」とうなってばかりいる。少々うるさいが、爽もハイハイを始める前はそうだったことを思い出す。

○爽父
母、帰る。


1999.7.30(金) こども医療センター入院 108日目 帰院のち外泊

AFP       18(→)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲なし

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        405           GOT          68
白血球        1500         GPT           60
ヘモグロビン   9.8           血小板        11万

○爽母
7月26日のAFPが14となる。うれしい。
外泊は無理ではないかとのことだったが、4時すぎに許可が出る。食欲あまりなく、水っぽいものを欲しがる。
ややかぜ気味だが、CRPは問題ないとのこと。

○爽父
誰もが外泊出来ないだろうと思っていたので意外だった。Dr.Aも「午前中に出来なくてすみませんでした」と言ってたらしい。

[看護記録]
9時50分帰院。熱37度。今朝から鼻汁出始めたと母。活気あり、室内をよく動き回っている。
14時、IVH包交・フィルター交換。包交は大泣きして抵抗、不機嫌になる。
17時、外泊へ。元気にうれしそうに出かける。

[食事]
○朝食       ヨーグルト2個・お茶1杯・カルピス1/3杯
○おやつ     ヨーグルト
○夕食     ヨーグルト2個・みそ汁かけごはん1/4杯


1999.7.31(土) こども医療センター入院 109日目 外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲低下

○爽母
食欲あまりなし。夕方夫と散歩に行く。

○爽父
爽は外に出たいようで、外を見ている。
(*当時住んでいたマンションの部屋は、地下鉄の車庫が目の前に見えたり通りを走る車がよく見えたので、爽はよくベランダへ出て外を見ていました。特にゴミ収集車がお気に入りで、ゴミ収集車の音楽が聞こえると大喜びでベランダに出て飽きずに眺めていました。今こうして思い出してみると、無我夢中で毎日を過ごしていた当時よりずっと切ない気持ちになります。)

[食事]
○朝食        ヨーグルト2個・パン1口・カルピス1/2杯
○昼食        お好み焼き・スパゲッティ1くち・水1杯
○おやつ     チョコ菓子
○夕食     ヨーグルト1個・オレンジジュース


1999.8.1(日) こども医療センター入院 110日目 外泊 

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲低下

○爽母
食欲あまりなし。

[食事]
○朝食        ヨーグルト2個・りんごジュース(少)
○昼食        ざるそば・お茶
○おやつ     アイスクリーム・ポテトチップス(少)・ポカリ
○夕食        食べず

○爽母
午後から下の子38度7分の熱。明け方まで続くが、熱以外にこれといった症状はなし。心配であまり眠れず。

○爽父
明日はどうしようかと思いながら、暑くはないか、冷えないかが気になって眠った気がしない。
(*入院中は、下の子の調子が悪くなると義母や実家の母は一人で看るのを不安がってしまったので、やはり夫が休んで私と夫のどちらかが爽の面会に行くしかありませんでした。夫はこれまで取ることが出来ずに溜まっていた有給休暇とこの年の有給休暇と、勤続10年の特別休暇の全てをこの年に使い切りました。)


1999.8.2(月) こども医療センター入院 111日目 1西隔離病棟 Bランク

AFP       20(↑)
(*AFPが「横ばい」→「横ばい」→「上昇」と続き、生きた心地がしませんでした。)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        204                        GOT          49
白血球        1200                      GPT          36
血小板        4万6000                 ヘモグロビン  9.2

○爽母
下の子発熱のため、夫が会社を休み病院へ爽を連れて行く。

○爽父
昨晩あまり眠れなかったため、(病院で)4時頃爽を膝の上に抱えてコックリコックリしていると、爽も寝てしまった。

[看護記録]
10時10分、帰棟。父と一緒にすごす。
父昼食に行っている間、「おとうさーん」「看護婦さんバイバイ」と、大暴れする。「おそと行きたい」とも。
熱もなく、部屋中走り回って元気にすごす。
父と離れる際少し泣くが、その後1人で遊んでいる。なかなか入眠せず、22時頃からようやく眠り始める。

[食事]
○朝食        お茶漬け3くち・水1杯
○昼食        食べず
○おやつ     ヨーグルト
○夕食        ふりかけごはん

○爽母
午後4時前、下の子をTこどもクリニックへ連れて行く。
たぶん夏かぜとのことで、抗生物質ケフラールと解熱剤をもらう。夜また38.4度。


1999.8.3(火) こども医療センター入院 112日目 隔離解除 4東幼児内科転棟Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 体重10.74s ・ 食欲低下

[処置]
包交 ・ フィルター交換

[医師カルテ]
隔離解除、転棟

[看護記録] 1西病棟
夜間良眠。朝、声をかけるとパッと起き、「ごはん食べる」と言ってくれる。
9時内服。いざ薬を内服するとなると「抱っこするの」と言い、抱っこしたら顔をそむける。内服するまでに時間かかる。かなり嫌がられる。
10時、隔離解除となり、病棟内を走り回り興奮気味。プレイルームで遊び楽しそうにすごす。
(*1西病棟は奥が『隔離病棟』、入り口に近いほうが『一般病棟』になっていましたが、ずっと隔離だったのでこの日隔離解除になってから4東病棟にうつるお昼くらいまでの間、看護師さんが特別についてくれて病棟内を自由に動き回らせてくれました。さぞかしうれしかっただろうと思います。)

○爽母
食欲なく、顔色悪し。午後2時から4東幼児内科病棟へ移動する。午前中は10時に1西病棟で隔離解除となり、大喜びで廊下を走り回ったとのこと。
4東で午後4時までいたが、下の子の熱が39.2度まで上がったと義母から病棟に連絡があり、タクシーで帰る。帰宅後、座薬が効いたのか、熱が下がり始め、夜中もほとんどなし。ただし暑さのため寝苦しいのかゴロゴロ動く。

[看護記録] ここから4東病棟
(*4東病棟転棟後)ノイトロ(*好中球)204個のためBランクとなる。
15時、IVH包交。大泣きし抵抗する。「痛い」と嫌がる。テープはがした部位発赤しており、そこが痛かった様子。
転棟時泣いていたが、徐々に慣れて笑顔多く見られるようになる。
水分すすみにくく尿濃縮したもの小量。体温37度あり、気温高いので脱水になる可能性あり。
水分すすめる。→水分ジュース等で促すが、量的にはすすまず。
同室児に車のおもちゃ借りて遊び、とてもご機嫌。かかわるとよくおしゃべりしてくれ、表情よくすごしていた。20時、入眠。

[食事]
○昼食        小さいおにぎり1個・りんごジュース
○おやつ      ジョア
○夕食        ごはん3くち
○おやつ      食べず


1999.8.4(水) こども医療センター入院 113日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 熱37度8分 ・ かぜ

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        40                ヘモグロビン  9.2
白血球        800              血小板       1万6000

[看護記録]
(朝)尿量少なめ午前中微熱あるも自然に36度台へ。ナース抱っこしたり下におりて遊び、ご機嫌ですごす。
何でも「自分でやる」とやりたがり、ごはんは「看護婦さん、あっち行って!」と。1人でゆっくりと摂取する。
水分は欲しがる時に与えてまずまずすすむ。促すと嫌がってしまう。

○爽母
夕方かぜのため発熱37度8分。水分全く摂らないため、夕方のおやつにヨーグルトを2個もらう。
血小板1万8000しかないため、明日血小板輸血するとのこと。
7時前、Dr.A診察に来る。今日は5時すぎに夫も来る。

[看護記録]
夕方から37度台の熱持続。活気はあり。Dr報告するが、「様子みてよし」と。鼻閉感あり。水分促すが受けつけず。
18時、37度6分。少しでも水分のあるものを・・・と考え、母と相談しておやつはヨーグルト2個与える。ペロリと摂取。
微熱は感染によるものか脱水傾向によるものか判断つきにくいが、入眠後ゆっくり下がってきている。要観察。20時30分、入眠。

[食事]
○朝食        ごはん(少)
○昼食        ごはん
○おやつ      ヨーグルト
○夕食        ふりかけごはん
○おやつ     ヨーグルト2個

○爽母
下の子の熱、下がる。