9 1999.8/5-8/20 (入院114日目 〜 入院129日目) |
★ ちょっと寄り道(8) 「看護婦しゃんパイパイ」 | |
言葉が遅かった爽ですが、入院してからずいぶんしゃべるようになりました。 ただ語彙はまだ少なく、看護婦さんにそばにいてほしくない時や大嫌いな処置などの時によく使っていた表現が、この「バイバイ」です。 「あっち行って」だの「やめて」だの「嫌い」だの「イヤだ」といったボキャブラリー自体はあったと思うのですが、なぜかそうした言葉はあまり使わず、これらの感情を「バイバイ」という言葉で表していました。嫌いな処置の場合は「もうおわりーっ」というのもありました。 面会中で私が爽と話をしている時に看護婦さんが入ってきたとたん、 「看護婦しゃん、バイバイ」 と言われるのは、親としてはちょっと冷や汗ものですが、独特の言葉遣いを面白がってくれる看護師さんや先生たちが多かったので助かりました。 看護記録でもしゅっちゅう「かんごふさんバイバイと言う」などと記録されていますし、退院直後から1年目くらいまでは、外来に行ってたまたま入院中お世話になった看護師さんにバッタリ会うと『知らないふり』をしたり、『回れ右』をして避けようとするなど、入院中他の子に比べて『よく笑う』と言われていた爽でさえ心の中では入院はかなり辛い思い出として残ってしまっていました。 けれども数年経った頃から、辛い記憶としてしか残っていなかった入院中の出来事の中で、なかなか寝つけない時によく『添い寝』をしてくれた看護師さんのことをたまに思い出すようになりました。 大人でもそうですが、人間非常に嫌な体験をすると一度はその全てを否定し『嫌なこと』としてひとかたまりに記憶してしまいますが、時が経ちもう一度見つめなおしてみると、案外『ここは今でもイヤだけど、ここは今ではそれなりにいい思い出』と感じる冷静さを取り戻せることも多いと思います。 2才だった爽も、退院直後から2、3年くらいは『全てがイヤな思い出』で、夜の病棟を思い出させる薄暗いところはパニックに近いほど嫌がりました。特に横浜の八景島水族館に行った時には泣いて怖がり『いや〜!おそと出る〜』とふるえてしまい、全順路をほとんど見ることなく走り抜けるように外へ出たこともありました。 彼にとっては『看護婦さんはすべてバイバイ』であり、『入院もすべてバイバイ』だったのですが、時が経つことによって『看護婦さんバイバイ』ばかりではなかったという思い出もほんのわずかですが取り戻しつつあるのです。 (2006.2.23) |
★1999.8.5(木) こども医療センター入院 114日目 Bランク | |
AFP 23 |
★1999.8.6(金) こども医療センター入院 115日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.7(土) こども医療センター入院 116日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.8(日) こども医療センター入院 117日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.9(月) こども医療センター入院 118日目 Bランク | |
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★1999.8.10(火) こども医療センター入院 119日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.11(水) こども医療センター入院 120日目 Bランク 病棟花火大会 | |
AFP 18(↓) |
★1999.8.12(木) こども医療センター入院 121日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.13(金) こども医療センター入院 122日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.14(土) こども医療センター入院 123日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.15(日) こども医療センター入院 124日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.8.16(月) こども医療センター入院 125日目 外泊 | |
AFP 14(↓) |
★1999.8.17(火) こども医療センター入院 126日目 帰院のち外泊 | |
[状態] |
★1999.8.18(水) こども医療センター入院 127日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.8.19(木) こども医療センター入院 128日目 帰院のち外泊 | |
AFP 13(↓) |
★1999.8.20(金) こども医療センター入院 129日目 外泊 | |
[状態] |