10 1999.8/21-9.3 (入院130日目 〜 入院143日目) |
★ ちょっと寄り道(9) タクシー貧乏 | |
小児がんの場合、『小児慢性特定疾患』という国でやっている補助を受けられますので保険診療分の医療費は自己負担がありません。 けれども長期の入院は様々な出費が多く、なかなか大変でした。爽の病院は24時間付き添いではないので『補助ベッド代』などの出費はありませんでしたが、入院中も外泊が多かったので、タクシー代がべらぼうにかかりました。 うちは車だと病院まで約15分ですが、公共の交通機関を使うと大きく迂回するルートしかなく、小1時間かかってしまいます。治療の性質上感染症はとても怖いですし、私は運転免許を持っていません。さらにタクシーでの往復をあきらめなくてはならないほど遠くもなく、『微妙に遠い』状況でしたので、子供の体力の消耗や感染の危険を考えるとどうしてもタクシーでの往復にならざるを得ませんでした。車を呼んで片道多くても2000円は超えない。帰りは病院の前から乗車するので1300円くらい。で、翌年の医療費控除のための計算をしたら、何と 『27万円超!』 でした。 これでも爽の病院は公立のこども病院でしたから個室料や差額ベッド代などはかかりませんでしたし、補助ベッド代もありませんでしたが、大学病院などではこうしたお金がかなりかかるそうです。これで手術代を含めた医療費を払わなくてはならなかったとしたら、全ての貯金をはたいても払えなかったでしょうし、かなりの借金をしなくてはならなかったと思います。小児慢性特定疾患と乳児医療証があったので助かりました。 『小児慢性特定疾患』という公費負担がなかった頃は小児がん自体もまだ『まず治らない病気』であり、そういう治らない病気になった我が子のために全財産を使い果たす親がたくさんいたそうです。また、親の所得によってはよく効くと分かっていても高い薬を治療に使うことが出来ないこともあったそうです。そしてこの『小児慢性特定疾患』の公費負担は、そうやって子供を失った親御さんたちが「親の所得に関係なく子供たちが最善の治療が受けられるように」と頑張って長いこと運動をしてようやく出来た制度です。 タクシー貧乏は退院してからの通院でも相変わらずですが、往時の親御さんたちの気持ちを思えば贅沢な不満なんだろうと思います。 |
★1999.8.21(土) こども医療センター入院 130日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.8.22(日) こども医療センター入院 131日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.8.23(月) こども医療センター入院 132日目 帰院 | |
AFP 14(↑) |
★1999.8.24(火) こども医療センター入院 133日目 | |
[状態] |
★1999.8.25(水) こども医療センター入院 134日目 骨髄採取 | |
AFP 13(↓) [状態] 微熱 [処置] 骨髄採取(8〜10時) ・ 採血 ・ 水の点滴 [採血結果] 好中球 6643(*術後で高め) ヘモグロビン 12 白血球 9100 血小板 19万 [術前看護記録] 午前1時25分、麦茶飲む(少し)。朝の分の薬内服させる。 起きてしまい、「抱っこー」「テレビ見るー」というが30分程1人遊びして入眠。 6時検温。6時30分、前投薬アタラックスPシロップ10r(*鎮静剤)。「いやーっ」と抵抗示すため、タオルケットにくるんで内服させる。 内服スムーズ。内服後「きれい、きれいする」と。内服後は再びベッドで横になる。7時50分、出棟。 ○爽母 7時25分、病院着。7時45分頃看護婦さんが血圧を測りにきてようやく目覚める。 すぐに水色の手術着に着替えさせられ、ストレッチャーに座って手術室へ行く。7時55分頃、手術室の入り口で 「おかあしゃん」 と言ってストレッチャーの上に立ち上がる。 (*爽はいつも麻酔がなかなか効かず、追加して眠らせると今度はなかなか起きないというタイプでした。この時も眠くなる薬をすでに飲んだ状態で立ち上がったので、ヒヤリとしました。) [手術室看護記録] 入室。母子分離後より泣き始める。全身皮膚かさつき(+)。ベッドに移ること泣いて嫌がる。 末梢確保、2度目でOK。挿管スムーズ。体位作成(腹臥位)、オペ開始。 医師→T先生(*協力医の)・Dr.I ・ Dr.A(*主治医) 9時20分、輸血開始。MAP(*濃厚赤血球)200ml。骨髄採取。ガーゼで圧迫止血し、さらにテープで圧迫気味に固定。 9時45分、輸血追加。大腿部イソジン焼け(+)、前胸部圧迫痕(+。)吸引は鼻腔より少量、気管内ごく少量。抜管。 自発呼吸スムーズ。抜管後すぐに体動あり。ストレッチャーへ移ると座りだし、開眼。 10時10分、回復室。会話可能、意識しっかりしている。甘えて抱っこですごす。エア入り良好。 10時30分、退室。末梢嫌がって、「取るの」と訴えている。 手術時間 1時間18分 麻酔時間 2時間15分 ○爽母 10時20分頃Dr.A出てきて、すでに採取を終り回復室にいること、問題はないことなどの報告をしてくれる。10時3分頃手術室を出てくる。 目覚めていたが、病室(412号室)に戻るとまた眠る。 [看護記録] 10時40分、帰室。覚醒してはいるが、ボーッとした感じで「タクシー乗る」「おっきする」など言う。 採取部ガーゼ旧血栓、新鮮血両方の汚染あるが、痛みは訴えず。顔色は白っぽい。 10時50分、末梢ST3抜去し、IVH赤ルートにST1接続。11時、入眠。 (午後)左腰部のガーゼ上層まで新鮮血汚染あり。穿刺部位見ると、じわじわ出血続いている。ドクターコールするが、汚染広がらないか見て欲しい、と。14時、Dr.A来棟。包交し、再度圧迫し直す。 ○爽母 午後3時すぎ目覚めるが、まだぼんやり。腰の出血が完全に止まらず、2回ほどDr.A見に来る。 4時にウーロン茶を飲み、その後チーズ2枚と乳飲料350tを摂取。夕食はごはんのみ。 7時より第5回抗がん剤投与のための前処置として水の点滴を開始。 この日から『幼児後期食』にしてもらう。(*後期食だとうどんではなくラーメンが出るのと、ごはんの量も多くなるので) [看護記録] 15時40分、ドクター来棟し、水分摂れればチーズ食べてよいと。ウーロン茶飲むこと出来、むせずにチーズ食べられる。「おいしい」と。 穿刺部ガーゼ汚染あるが、出血は少量になってきている。 午後微熱あるが、かぜ症状なし。母に抱っこされてすごす。 ナースが行くと、「かんごふしゃん、バイバイ」と言って怒る。←(@_@;) (夕方も)熱37度台。感染症状か、全麻(*全身麻酔)のためか、熱型観察していく。 相手すると笑顔も見られるが、母帰ってからは「かんごふしゃん、バイバイ」と、一人で遊び入眠する。 19時からハイドレーション(*水の点滴) [使用薬剤] ・アタラックスPシロップ(*鎮静剤) 10r ・マーカイン(*麻酔) 10ml ・コーダル 0.25%(*麻酔) ・ST3 ・ST2 ・ST1 ・MAP(*濃厚赤血球) 2U 輸血 ・コンクライトMg(*鎮座剤) 5ml [食事] ○朝食 検査のため無し ○昼食 禁食 ○おやつ ローリー・チーズ・ジョア ○夕食 ごはんのみ ○おやつ カステラ(少)・ジュース(少) |
★1999.8.26(木) こども医療センター入院 135日目 第5回抗がん剤投与開始 | |
[状態] |
★1999.8.27(金) こども医療センター入院 136日目 第5回抗がん剤投与2日目 | |
[状態] |
★1999.8.28(土) こども医療センター入院 137日目 第5回抗がん剤投与3日目 | |
爽2才8ヶ月 [状態] |
★1999.8.29(日) こども医療センター入院 138日目 第5回抗がん剤投与4日目 | |
[状態] |
★1999.8.30(月) こども医療センター入院 139日目 外泊 | |
AFP 20(↑) |
★1999.8.31(火) こども医療センター入院 140日目外泊 | |
[状態] |
★1999.9.1(水) こども医療センター入院 141日目 帰院のち外泊 | |
AFP 21(↑) |
★1999.9.2(木) こども医療センター入院 142日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.9.3(金) こども医療センター入院 143日目 帰院のち外泊 | |
AFP 24(↑) [状態] |