11    1999.9/4 - 9/17 (入院144日目 〜 入院157日目)


★ ちょっと寄り道(10) 個人情報保護
物事には「ちょうどよい加減」と言うのが大事ですが、「どのへんがそうなのか」を考えるのはなかなか難しいです。
『個人情報保護法』というのが何年も前に出来ましたが、この法律が出来る前と後では個人の情報についての考え方がかなり変化したことを日常生活の中でも感じることが多くなりました。もちろんよくなった部分もありますが、「ちょうどよい加減」をはずして行き過ぎている部分もあるのではないかと感じることも多いです。たとえば学校の連絡網。子どもが帰宅して「誰くんの家に行ってくるね!」と飛び出してしまったら、真っ暗になって帰宅しない時に『誰くんの家』がどこにあるのかも電話番号も全く分かりません。お正月に級友に年賀状を書こうと思ってもあらかじめ住所等を教えてもらっていなければ書けません。もちろんそうなったのは日本全国に連絡網を名簿業者に売るような少数の保護者がいたからそうなったわけでしょうが、個人的にはちょっと行き過ぎの感があります。

同じように入院生活もずいぶん変わっているようです。
爽が入院していた頃は『個人情報保護法以前』でしたので、病室の入り口やベッドの頭のところには必ず患児の名前があり、初めて顔を合わせる子どもたちにも名前を呼んで話しかけたり、子供同士もビデオ(*DVDは当時ありませんでした)を一台のテレビで一緒に見たり、和気あいあいと時には喧嘩などもしながら長い入院生活の中でもミニ社会を作って過ごしていました。
けれども『個人情報保護法以降』はそういうわけにはいかなくなったようで、2年前に爽が扁桃腺の手術で入院した時は、病室の入り口に患児の名前はなく、皆それぞれベッドサイドに一台ずつあるDVDつきテレビをイヤホンをつけて見ていて、しかもベッドのカーテンも閉めている親子が多く、一週間の入院でしたが同じ病室の子の姿を見ることはほとんどありませんでした。
その後さすがに全員の名前をつけないというのはどうかということになり、一応保護者の許可を得て名前は出すようになったそうですが、こども病院の場合はやはり個人情報保護法の適用が行き過ぎるとかえって子ども同士の交流がなくなり、長期入院の場合には「入院生活の中で成長していく」ということがうまく出来なくなってしまうように思います。爽の場合は和気あいあいの時代でしたが、それでも丸1年の入院で発達の遅れが出てしまいました。その多くが「経験不足」によるものでした。大変な病気で長期入院が必要な場合、『仕方ない』部分ももちろんあります。ただ出来るだけ病院の中でも子ども同士のミニ社会があったほうが治療を終えて社会生活に戻るときに子ども自身がラクだろうなと感じます。  (2008.2.14)


1999.9.4(土) こども医療センター入院 144日目 外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲不振

○爽母
相変わらず食欲なし。うどん・そばかヨーグルトといったものばかり。
寝起きに吐き気があることが多い様子。元気はあり。

[食事]
○朝食        冷やしうどん・ヨーグルト・お茶・乳飲料・水
○昼食        焼きそば・ジャスミン茶
○おやつ      ヨーグルト1個・チョコ菓子(少)
○夕食        うどん1杯・お茶
(*食べたものだけをこうしてみるとそこそこには食べているように思えますが、『1杯』と書いてあるものも盛り付けたものを1杯ということなので、通常の幼児の一人前よりずっと少ない量です。)


1999.9.5(日) こども医療センター入院 145日目 外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 食欲不振 ・ 吐き気

○爽母
食欲ないが、元気はあり。
夫・爽・実家父の3人で磯子のトイザラスにコージークーペ(*乗れるおもちゃの自動車)を買いに行く。
爽は人混みがだめなので、夫が買ってくる間、実家父と駐車場の車の中で待つ。
夕食にスパゲッティ作るが、「ゲェーッってなる」と吐き気訴えたため、ヨーグルトのみ。
(*「吐き気あるし肝機能悪いのに何でおかゆとかじゃないの?」って思うかもしれませんが、おかゆはまず食べませんでした。『麺類のみOK』という感じでした。)

[食事]
○朝食        冷やしうどん1/4杯・ヨーグルト1個・お茶
○昼食        ラーメン1杯・お茶・乳飲料
○夕食        ヨーグルト2個
○おやつ       ヨーグルト1個・焼きそば(少)・お茶


1999.9.6(月) こども医療センター入院 146日目 帰院のち外泊

AFP       28!

[状態]
骨髄抑制 ・ 食欲不振

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        144                    GOT          34
血小板        2万7000             GPT          20
白血球        1800                  ヘモグロビン  9.7

○爽母
元気あるが、食欲なし。
明日血小板輸血のため一日だけ外泊許可となる。
午後1時20分、帰宅。

[医師カルテ]
AFP治療後3日(9月1日)で、21までアップ。
治療後に上がるということはやはり、肝再生というよりも、腫瘍細胞破壊の方が考えやすいのでは?
(*肝芽腫のガン細胞が抗がん剤によって破壊される時にもAFPというたんぱく質を出します。つまり、細胞単位でがん細胞がまだ残っているのではないかという意味です。)

(*この日の採血結果「AFP28」が分かったのは数日後です。そのことが分かってからの毎日は『ガン細胞が再び力を盛り返し、再発になるのでは』という恐怖にどうしたらよいか分からない状態でした。主治医は「大丈夫ですよ」と言っていましたが、やはりのちに「実は本当に心配していたんです」と打ち明けてくれました。退院後にすべてのAFPデータをグラフにしてみましたが、やはりこのAFP28あたりが再発につながるかどうかの最大の山だったように思います。)

[看護記録]
10時、帰院。外泊中食欲低下続く、と母。口当たりのよいもの少量程度しか摂らないと。
昼食もほとんど食べない。片付けると「食べるー」とぐずってみたり。
13時、外泊へ。

[食事]
○朝食        焼きそば1/2皿・ヨーグルト2/3個・お茶
○昼食        ヨーグルト2個・ジャスミン茶
○夕食     冷やしうどん1杯・ジャスミン茶


1999.9.7(火) こども医療センター入院 147日目 帰院のちBランク 

[状態]
骨髄抑制 ・ 食欲低下 ・ 下痢 ・ じんましん

[処置]
血小板輸血

○爽母
午後4時半から血小板輸血。
5時10分からじんましん出始め、輸血ストップし、再度ポララミン(*抗ヒスタミン剤)投与。
少し落ち着くが、輸血の時のじんましんは急激に全身に出るためか、いつも「痛い」と言って泣き叫ぶ。
6時すぎに輸血再開。面会終了までにはだいぶ落ち着くが、9時すぎに電話したところ、7時40分から再びひどくなり、100ml輸血予定を70ml終えたところで終了したとのこと。ずいぶん辛かったようだ。爽は9時前に眠ったとのこと。

[看護記録]
13時30分、帰院。帰院時、透明鼻汁(+)、鼻声をしている。
本日朝から2回下痢をしているとのこと。腹痛ある様子はなし。
16時、ST3でIVH接続。16時15分、ポララミン内服。16時30分、血小板輸血(5U*5単位)開始。
17時10分、輸血中止。右手首・背・後頭部・眉間に発赤あり。かゆがるためコール。
「16mlしか入っていないので続けたい。ひどくなるようならコールするように」と輸血続行の指示あり。
電話切って母に説明の間、かゆがり方さらなひどくなり、徐々に発赤も増強する。癒合もしているため、17時13分、再びDr.Aへコール。17時25分、ポララミン注射。ドクター指示にて30分間維持(*ST3)流すようにとのこと。
18時10分、Dr.Aにコール。赤み増強ないが、全身にあり強い。ドクターは膨疹だけなら血小板入れたいので再開するようにと。
(*前日の血小板が2万7000と少なかったので、たとえじんましんがひどくても輸血をしないと危険が大きいという主治医の説明でした。血小板は2万を切ると生命に危険な状態と言われています。骨髄抑制が強くなっていく過程なので前日2万7000と言うことは、この日2万を切っている可能性が高いのです。)
18時30分すぎ、父面会。首・足をポリポリ掻き出す。
19時10分、眉間の赤みやや軽減か? 癒合・膨疹は続く。両大腿掻いていて「かゆいの」と。全身赤み強く、癒合している。
19時30分、輸血止めたが全身赤み強い。癒合し膨隆。ところどころ掻きむしりあり、消灯後も掻いて眠れぬ様子。
座位で足をポリポリ掻きながら、「ビーン見るの」「おもちゃで遊ぶの」と機嫌よく歌を歌っている。
21時30分、Dr.A来棟、発赤かなり強く軽減しないこと報告。強ミノ注射。

[食事]
○朝食        うどん3くち・ヨーグルト1個・お茶
○昼食        にゅうめん1杯・ヨーグルト1個・お茶
○おやつ     オレンジジュース
○夕食    マヨネーズかけごはん


1999.9.8(水) こども医療センター入院 148日目 Bランク

AFP       24(↓)
(*やっと下がりましたが、このことを知るのはまだ数日あとです。)

[状態]
骨髄抑制 ・ 食欲低下 ・ 鼻汁 ・ 鼻声

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        60                       GOT          35
白血球        1200                    GPT          17
血小板        5万3000               ヘモグロビン  9.5

[医師カルテ]
鼻汁鼻声。
fever up (*発熱)あれば三者(*3本セットの抗生剤点滴)

[看護記録]
機嫌よく、薬も「赤ちゃん抱っこで飲むの」と言う。鼻閉軽度。白血球1200なのでまだ感染には要注意!
食欲いまひとつ。好きなものしか食べられない。水分なかなか入らない。
おしゃべりさかんで、ベッドから下におろすと病室内走り回っている。活気あり。
『めだかの学校』『どんぐりころころ』『大きな栗の木の下で』をさかんに歌っている。
イソジンうがいや食事など自立して自分で上手くやってくれる。治療中であり、制限がある中でも児なりに発達してきている。
ベッドから下ろし自由にすると、「お外出る」と外に出ようとする。病室外に出られないこと説明すると泣かずに納得出来る。
昨日の血小板輸血後のアレルギー発疹を掻いたあとが背部・臀部にあり。
17時の陰洗は少しうとうとしたところでムスッとしている。おやつ見るとご機嫌だが、量はすすまず。
面会終了時グズるが、ナース抱っこで泣かずにバイバイ出来る。
20時消灯。ビデオ消すと怒っているが、一人でおもちゃで遊ぶ。
21時30分、ナースベッドで半添い寝にて『大きな栗の木の下で』を歌いながら入眠。

[食事]
○朝食       ごはん1/3
○昼食       クロワッサン2個
○おやつ     ジョア・ヨーグルト
○夕食       ごはん
○おやつ     せんべい・ヨーグルト


1999.9.9(木) こども医療センター入院 149日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制

[医師カルテ]
元気。最近おうたが歌えるようになった。
(*当時の主治医はこの治療記録公開で「自分のカルテの書き方がなっていなくて恥ずかしい」とおっしゃってましたが、私は爽を見る目の温かさを感じます。)

[看護記録]
かなり機嫌よく、歌を歌ったり、一人でもよくしゃべる。
ナースにも抱っこ求めてきて、抱っこすると声出して喜ぶ。また、ナースの言ったことマネする。
「おまるでおしっこ」と言い、おまるに座りたがるが、実際にはオムツにしてしまっている。
(夕方から)機嫌よく同室児のベッドにいたり歌うたったり、表情もよく、母と別れたあとも添い寝にてすぐに入眠。
(*『ちょっと寄り道 看護婦しゃんバイバイ』にも書きましたが、何人かの看護婦さんは眠れない時に添い寝をしてくださっていました。私は入院当時そのことを知りませんでしたが、骨髄移植などで遅くまで付き添ったことのあるお母さんから退院後にそのことを聞いて知りました。当時の壁はアクリル板の大きな窓があったので、隣室の様子もよく見えましたからそのことを教えてくれたのです。また最近になって爽自身も『一緒に寝てくれた看護婦さんがいた』ことを思い出し、本当にありがたいと思いました。)

[食事]
○朝食        ごはん・みそ汁
○おやつ     飲むヨーグルト


1999.9.10(金) こども医療センター入院 150日目 Bランク

AFP       22(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 口内出血

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        26                白血球        1300
血小板        2万9000      ヘモグロビン    9

○爽母
口内出血。ただし歯が抜けたのかどうか不明。しばらくして出血止まる。食欲出てくる。

[医師カルテ]
AFP9月8日の結果 → 24。
8日目(AFP28)がMAXだったよう。上昇しとどまりひと安心。
母も9月6日の(*AFP)28を聞いて非常に不安で、今日の結果緊張していたとのこと。
(*28まであがったAFPがこの日やっと24まで下がったことが分かりました。「下がった」と聞いた時は、体中の力が抜けてしばらくカクカク小刻みに勝手に動いてしまって困りました。)

[看護記録]
笑顔多く、おしゃべりさかん。

[食事]
○朝食        ごはん1/3杯
○昼食        ごはん1杯
○夕食        ごはん2杯

○爽母
義母、茨城に帰る。


1999.9.11(土) こども医療センター入院 151日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱

[処置]
血小板輸血(*前回輸血からまだ4日目)

○爽母
N樹(*私の実弟)が北海道から病院へ来る。2時から3時までいる。
爽はしばらく人見知りをしていたが、次第に慣れて一緒に遊ぶ。3時半頃輸血終了し、くつをはいて遊ぶ。
夕食は、実に久しぶりにおかずを食べてくれる。うれしい。おやつもえびせんを食べる。
(*北海道に住んでいる私の弟が出張のついでにお見舞いに来て遊んでくれました。)

[医師カルテ]
血小板5U(*5単位)輸血。前回(*9月7日)膨疹ひどかったが、今回は大丈夫そう。歌うたって走り回って機嫌よい。

[看護記録]
12時30分、ポララミン。13時25分、血小板5U開始。15時30分、輸血中発疹なく終了。
18時、熱37度6分あったが上昇なし。

[食事]
○おやつ     ヨーグルト
○夕食      ギョーザ1個半・ふりかけごはん
○おやつ     えびせん
(*普通の大学病院は知らないのですが、こども病院では午後2時と早い夕食後の午後6時に毎日おやつが出ました。看護師さんが一人一人に配ってくれるのですが、入院中おやつが出て子供たちが大歓声をあげたのは『ポテトチップス』の小袋が一袋ずつ出た時と、バレンタインデーの『チョコレート』の時でした(^o^)。)

○爽母
(*病院から帰り)夜、私の実家でN樹も交えて夕食。


1999.9.12(日) こども医療センター入院 152日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱

[処置]
蓄尿(24時間)

○爽母
蓄尿のオシッコパックを嫌がり、おしっこしようとしない。8時から始めて午後4時半になるまで出ず。何とかならないものかと思い、看護婦さんにけっこうきつく言ってしまう。
夕食時、同室のUくん(*同じ年の男の子)のシャケフレークを見て食べたがり、大さじ1杯半くらいもらって食べる。

[医師カルテ]当直医
採尿パックで排尿時痛みあるとのことで我慢している様子。
16時30分排尿あり、3ml! 腹部緊張強く、膀胱はっきりしないが(*尿たまっている)触知あり。
患児、蓄尿24時間検査(*治療上)必要と思われるが、これ以上尿停滞続くとBM suppression(*骨髄抑制)中であり好ましくないと思われる。採尿パックはずし、排尿あるかobs.(*経過観察)。蓄尿は中止。

[看護記録]
(*午前)8時、熱37度。ベッド下おりたいと訴えること多い。「くつはくの」「あっちいくの」と。
ナース一緒でないと無理なことはなすとベッド上におもちゃをふりまいたり、ベッド下に放り投げたりする。
(*昼)熱37度見られる。その後36度台へ。
本日蓄尿でパック貼っているが排尿なし。声かけやオマルに座らせようとしても、泣いて抵抗。
足をモゾつかせたりと明らかに排尿がまんしている感じ。テープをはがしたりするため痛み強いようで、オムツ取るだけで嫌がってしまう。
当直医へ上申し、中止となるが、尿パックから尿もれたほうがはがしやすいだろうということで、そのままとめる。
(*結局尿もれあるが蓄尿続行)


1999.9.13(月) こども医療センター入院 153日目 Bランク

AFP 19(↓)

[状態]    骨髄抑制 ・ 発熱38度

[処置]
採血

[採血結果]
好中球    0                     GOT  29
白血球    1100                GPT  13
ヘモグロビン  8.8              血小板 7万

○爽母
また好中球ゼロとなる。蓄尿は結局続行し、今朝8時終了とのこと。
好中球ゼロのせいか、熱ずっと37度5分出ているが、元気はあり。

[看護記録]
入眠中やや鼻閉音。尿はもれもあるが1回のみ。オムツの中見るだけで嫌がる。
午前8時30分、熱38度。尿パックはがすためシャワー浴OK、とDr.Aより出るが(*Bランクなので本来は病室から出られない)、脱衣所でスムーズにはがれる。パックはがした直後、気が抜けたのか脱衣所で失禁する。
朝の交代時(*9時)、走り回っていて熱38度あったが、それ以降も解熱見られず37度台続く。
アイスノンリュックにしてしょわせようとするが、嫌がって効果的なクーリング出来ず。
本日好中球0なので注意。
11時30分、37度6分、13時、37度8分、15時、37度5分。17時、37度8分。19時、37度6分、21時、37度4分。24時、37度7分。

[食事]
○夕食        マヨネーズかけごはん・シャケフレーク
○おやつ      マドレーヌ・ジョア


1999.9.14(火) こども医療センター入院 154日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱 ・ 体重10.8s

[看護記録]
(*夜間)37度台前半の熱続く。クーリングしているが、初めはしていても頭動かし効果的なクーリング出来ない。
そのため著明な解熱見られず。
午前6時、37度8分。起きてから「ビデオ見る」「ミタビ(*ミスタービーン)は見ない。抱っこ」など、おしゃべり多い。
お相手すると機嫌よい。かぜ症状見られず。
両親帰られる時めそめそするが、面会終了後はナース呼ぶこと多い。テレビ消して大泣きするが、その後入眠。

[食事]
○おやつ     飲むヨーグルト
○おやつ      ジョア


1999.9.15(水) こども医療センター入院 155日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱 ・ 頭部打撲

[処置]
包交 ・ フィルター交換

[医師カルテ]
IVH刺入部、汗のためか少し発赤。
AFPは、28→24→22と下がってきている。でも少し高めが続いている。

[看護記録]
5時起床。活気大。「おちゃちゃおいしー」とコップで飲む。
37度台の微熱見られるも上昇なし。水分すすみにくく、ほめておだてながら与えると何とか飲める。
母来てからジョア買ってきてもらい、好きなものならよく飲めている。ペットボトルに入った水分だとボトルごとよく飲む。そのためお茶をペットボトルに入れて飲ませる。
(*夕方)交代時訪室すると、「走っててベッド柵にぶつけました」と母より。右前額部2pくらいのコブ出来ている。
レベルクリア。嘔気嘔吐なく、バイタル著変なし。が、当直Drに診察してもらう。
19時、当直ドクター2人の診察の結果、経過観察でよいと。母には血小板低いと頭の中で出血してしまうこともあること伝え、注意するように言う。母、「気をつけます」と。
微熱は入眠後自然に下がる。
面会終了後は、「しまじろう見るの。かんごふしゃんバイバイ」と言って1人になりたがる。ビデオ見ているうちに入眠。
(*元気な子だったら「まあこれくらい医者に診せるまでもないや」という程度のぶつけ方でした。それなのに当直医が2人も来て逆にびっくりしてしまいました。この頃はまだ「看護婦さんったらずいぶん大げさだなあ」という気持ちもずいぶんありました。それはとんでもない間違いだったんですけど・・・。)

[食事]
○昼食        パン(少)・シチュー
○おやつ      ヨーグルト・ジョア
○夕食        ごはん
○おやつ      飲むヨーグルト


1999.9.16(木) こども医療センター入院 156日目 

AFP 13(↓)
[状態]   
骨髄抑制

[処置]   
採血

[採血結果]                  
好中球    60                    白血球 2600
ヘモグロビン 8.8               血小板 17万9000

○爽母
好中球60個のため外泊出来ず。(*好中球100以上が外泊出来る。500以下だとBランク)

[医師カルテ]
BM(*骨髄)回復傾向。機嫌よく遊んでいる。
最終6コース目は9月22日予定。6コース後はJPLT(*日本小児肝がんスタディグループ)無効例のICE regimen(*ICE療法。現在肝芽腫のプロトコールではITECと呼んでいる治療法)でつなぐか。

[看護記録]
7時起床。内服嫌がるが、「抱っこ」と言い、抱っこで上手に飲める。機嫌よく甘えてくること多い。よく抱っこ求める。
母来てからは下におりたがる。同室児(*椎野なつきくん)が、『Mr.ビーン』のビデオ見ている間、「見たくなーい」と大泣きしている。

[食事]      
○昼食        パン1枚・スープ                  
○おやつ     プリン・お茶                  
○夕食        ごはん・シャケフレーク                  
○おやつ     ジョア


1999.9.17(金) こども医療センター入院 157日目 

[状態]   
骨髄抑制 ・ 打撲 ・ 歯ぐきから出血

[処置]   
包交 ・ フィルター交換

○爽母
前日のAFP13に下がる。こころ先生が「朗報です!」伝えに来てくれる。初期の半減期と同じ4.7日ペース。

[医師カルテ]
歯ぐきから歯磨きすると出血。(血小板17万、凝固系OK)→血液学的な問題ではない。
(*どうやら栄養不足によるものだったらしい)

[看護記録]
(*朝食時)ロールパン2個と持ち込みのお茶のみ摂取。副食をスプーンにのせただけで手で払いのけ、「いらないのー」と。
(*日中)下に下りたがり、下ろすと部屋の中を駆け回る。転倒ないが注意しても聞かず。
同室児の母が早くに面会に来ていたためもあるのか、抱っこ求める。
IVH刺入部暗紫色になっている。浸出液はなし。
(*夕方)部屋中走り回りベッドに右目横ぶつける。出血斑なし。ドクターも見ていた。20時、入眠。

[食事]      
○朝食        ロールパン2個・お茶                  
○昼食        パン1枚・みそ汁                  
○おやつ     飲むヨーグルト                  
○おやつ     ジョア