4 1999.5/26 - 6/8 (入院43日目 〜 入院56日目) |
★ ちょっと寄り道(3) 副作用が気になるまでの道のり | |
手術から回復し化学療法が始まりましたが、腫瘍が破裂していたのでがん細胞がお腹の中に飛び散っていることと血管の中にも腫瘍があったことで「目に見えないがん細胞はまだたくさん残っているだろう」という説明をされていましたから、まだまだ副作用を心配できる状態ではありませんでした。 『吐く』・『髪が抜ける』などは副作用としては最も軽いと言ってもよいものでしたし、爽自身も吐き気があってもいつも元気いっぱいでケラケラ笑っていて、吐いたかと思うとまたケロッとして笑っていたりという子だったので、もちろんゲーゲー吐けば「可愛そうだ」という気持ちはありましたが「がん細胞をやっつけるためだ。頑張れ!」というテンション(?)でした。 化学療法を始めるにあたっては起こりうる副作用をいくつも説明されますが、HPの『副作用について』を見ても分かる通り、まともに考えるとかなり怖いものばかりですので、「とにかく今は目に見えないがん細胞を全滅させるのが優先順位1位。副作用は出た時考える」という気持ちになれなければ参ってしまいます。聴力障害は、『予定している分量を使えば大なり小なり出てくるだろう』と言われていましたが、「命が助かるなら耳なんてどうでもいい」と本気で思っていました。 「治療の時に出るか出ないか分からない副作用を心配して弱い治療にすれば再発や転移の可能性が高くなり、そうなればさらにたくさんの薬を使わなくてはならなくなる。」ということは当時の主治医の説明で非常によく理解できました。 小児がんでもカゼでも同じことですが、薬を使う場合、考えなくてはならないことは『その薬を使わなかった場合のデメリット』と『その薬を使って副作用が出た場合のデメリット』を秤にかけるということなんだと思います。ただカゼは薬を使わなくても治りますが、小児がんは何らかの治療をしなければ一部の神経芽腫を除いて自然に治るということは絶対にないということです。さらに『その薬を使わなかった場合のデメリット』はすなわち命を失うことでもあるわけですから副作用を気にはしていられないのです。 現在爽は寛解になって5年経ちます。2年前に小学校に入ってからようやく副作用(晩期障害)が気になるようになってきました。いろいろなことに本人も悩むようになってきましたが、だからと言って「あの時あの薬を使わなければよかった」ということは全く思いません。やはりあれだけの治療をしたから助かった命、あれだけの治療をしなければ助からなかった命だと思いますし、副作用が気になるのは寛解を保っているからこそだと思います。 それをありがたいことと思うと同時に、昔では考えられなかった強い治療で助かる子が増えることで副作用(晩期障害)についての問題も出てきており、そのことを社会に知ってもらうことも必要だなと考え、そのための努力を少しずつ始めているところです。 (2005.12.20。一番下にも更新記事があります♪) |
★1999.5.26(水) こども医療センター入院 43日目 Bランク解除 | |
AFP 85(↓) |
★1999.5.27(木) こども医療センター入院 44日目 第2回抗がん剤投与開始 | |
[状態] |
★1999.5.28(金) こども医療センター入院 45日目 第2回抗がん剤投与2日目 | |
爽2才5ヶ月 |
★1999.5.29(土) こども医療センター入院 46日目 第2回抗がん剤投与3日目 | |
[状態] |
★1999.5.30(日) こども医療センター入院 47日目 第2回抗がん剤投与4日目 | |
[状態] |
★1999.5.31(月) こども医療センター入院 48日目 | |
AFP 75(↓) |
★1999.6.1(火) こども医療センター入院 49日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.6.2(水) こども医療センター入院 50日目 外泊 ・ 一時帰院 | |
[状態] |
★1999.6.3(木) こども医療センター入院 51日目 帰院のち外泊 ・MRSA隔離解除 | |
AFP 52(↓) |
★1999.6.4(金) こども医療センター入院 52日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.6.5(土) こども医療センター入院 53日目 一時帰院のち外泊 | |
[状態] |
★1999.6.6(日) こども医療センター入院 54日目 外泊 | |
○爽母 |
★1999.6.7(月) こども医療センター入院 55日目 Bランク | |
AFP 45(↓) |
★1999.6.8(火) こども医療センター入院 56日目 Bランク | |
[状態] |