4    1999.5/26 - 6/8 (入院43日目 〜 入院56日目)

★ ちょっと寄り道(3) 副作用が気になるまでの道のり
手術から回復し化学療法が始まりましたが、腫瘍が破裂していたのでがん細胞がお腹の中に飛び散っていることと血管の中にも腫瘍があったことで「目に見えないがん細胞はまだたくさん残っているだろう」という説明をされていましたから、まだまだ副作用を心配できる状態ではありませんでした。
『吐く』・『髪が抜ける』などは副作用としては最も軽いと言ってもよいものでしたし、爽自身も吐き気があってもいつも元気いっぱいでケラケラ笑っていて、吐いたかと思うとまたケロッとして笑っていたりという子だったので、もちろんゲーゲー吐けば「可愛そうだ」という気持ちはありましたが「がん細胞をやっつけるためだ。頑張れ!」というテンション(?)でした。
化学療法を始めるにあたっては起こりうる副作用をいくつも説明されますが、HPの『副作用について』を見ても分かる通り、まともに考えるとかなり怖いものばかりですので、「とにかく今は目に見えないがん細胞を全滅させるのが優先順位1位。副作用は出た時考える」という気持ちになれなければ参ってしまいます。聴力障害は、『予定している分量を使えば大なり小なり出てくるだろう』と言われていましたが、「命が助かるなら耳なんてどうでもいい」と本気で思っていました。
「治療の時に出るか出ないか分からない副作用を心配して弱い治療にすれば再発や転移の可能性が高くなり、そうなればさらにたくさんの薬を使わなくてはならなくなる。」ということは当時の主治医の説明で非常によく理解できました。

小児がんでもカゼでも同じことですが、薬を使う場合、考えなくてはならないことは『その薬を使わなかった場合のデメリット』と『その薬を使って副作用が出た場合のデメリット』を秤にかけるということなんだと思います。ただカゼは薬を使わなくても治りますが、小児がんは何らかの治療をしなければ一部の神経芽腫を除いて自然に治るということは絶対にないということです。さらに『その薬を使わなかった場合のデメリット』はすなわち命を失うことでもあるわけですから副作用を気にはしていられないのです。
現在爽は寛解になって5年経ちます。2年前に小学校に入ってからようやく副作用(晩期障害)が気になるようになってきました。いろいろなことに本人も悩むようになってきましたが、だからと言って「あの時あの薬を使わなければよかった」ということは全く思いません。やはりあれだけの治療をしたから助かった命、あれだけの治療をしなければ助からなかった命だと思いますし、副作用が気になるのは寛解を保っているからこそだと思います。
それをありがたいことと思うと同時に、昔では考えられなかった強い治療で助かる子が増えることで副作用(晩期障害)についての問題も出てきており、そのことを社会に知ってもらうことも必要だなと考え、そのための努力を少しずつ始めているところです。
(2005.12.20。一番下にも更新記事があります♪)

1999.5.26(水) こども医療センター入院 43日目 Bランク解除

AFP 85(↓)

[状態]   
MRSA隔離 ・ 微熱 ・ 脱毛

[処置]   
抗生剤点滴 ・ 採血 ・ 包交 ・ 水の点滴

[採血結果]                  
CRP        0.32(↓)                        白血球       4100
好中球     1312                           ヘモグロビン   8.62
血小板     47万4000 (*術後は血小板が多くなることがあります)  
GOT        26                         GPT           7

○爽母
熱がなければ明日から治療を開始する。うまくすれば来週の火曜日頃から外泊できるとのこと。

[看護記録]
微熱あるもかぜ症状なし。起床後ご機嫌。本日の採血結果、CRP下がったためBランク開放へ。
14時、IVHロック。19時からハイドレーション(*水の点滴のこと)かけるが、それまでIVHロックとなり、床に下りてくつをはいて機嫌よい。
大声出したりする。脱毛みられており、環境整備行う。微熱あったが、入眠後下がる。19時よりハイドレーション。
面会終了時も泣かず、機嫌よい。

[医師カルテ]
【DNAヒストグラム】(*遺伝子解析のこと。爽の腫瘍細胞は遺伝子解析と染色体検査がなされています)
DNA index = 1.05 (正常値 1.00以下)
Proliferation (*増殖) index = 10.8 (正常値 7.0以下)
この結果からすると、aneuploidy pattern (*異数体)。
もともと組織型がembryonal type(*胎児型)で、脈管侵襲もあったことからすると合致する。
DNA ploidyからすると、予後悪いということになる。

HBL(*肝芽腫)の場合
  Fetal type → 殆どdiploid(*二数体)
    Embryonal type → 殆どaneuploid(*異数体)
DNA indexがaneuploid(*異数体)で、proliferation indexがhighの場合(*つまり爽の場合)
明らかに予後が悪く、aneuploid の6年生存率 20 - 30%  
    diploid (*平均生後15ヶ月)
    aneuploid  (*平均生後34.5ヶ月(2才10ヶ月)) → diploidの方が年令若い。
aneuploidは進行ステージ例で多く、脈管侵襲(*血管内に腫瘍がとんでいること)の傾向が強い。

(*アンダーラインの部分は当時のデータです。現在はもっと高いのだろうと思いますが、退院後にカルテ開示をしてこの部分を読んだ時はけっこう衝撃がありました。退院時には「5年生存率60%」と言われていて、それだけでもかなり緊張感があったのに、さらに低い数字というか、ほとんど半分のパーセンテージだったからです。それ以前にも腹腔内破裂肝芽腫の医学論文をやっとのことで見つけて読み始めたら、何と冒頭部分に『腹腔内破裂肝芽腫の救命率は低く、予後は悪い。』とズバリ書いてあって、血液が沸騰するような感覚になったこともありました。このように「知る」ということは怖い内容のこともあります。もちろん知った時は衝撃を受けますし、落ち込むどころか「めり込み」ます。でも「子供が頑張っているのに親が『怖い怖い』と目をつぶって通り過ぎることだけは絶対にするまい」ということだけはなぜか心に決めていました。
そして私にとってはめり込んだところから抜け出すのにも「知る」ということが必要でした)


[食事]      
○朝食        パン
○昼食        パン 
○おやつ     ポカリ
○夕食        パン1個・ごはん1/4
○おやつ     牛乳


1999.5.27(木) こども医療センター入院 44日目 第2回抗がん剤投与開始

[状態]   
MRSA隔離 ・ 微熱37度3分 ・ 脱毛

[処置]   
シスプラチン(*抗がん剤)投与

○爽母
5月24日のAFPが150との結果出る。思っていたよりもよい数値だったのでうれしくなる。
今日から2回目の投与だが、機嫌もよく、特に体調も悪くないようなので安心する。
6時頃、夫も来る。今日は点滴がついているが、日中くつをはいて床に下り、トミカで遊ぶ。

[看護記録]
9時45分、カイトリル(*制吐剤)投与し、10時40分、CDDP(*抗がん剤シスプラチン)開始(24時間)。
活発に動き回り、ベッド上毛だらけになる。
両親帰る際泣くが、すぐに泣きやみテレビを見てすごす。

[使用薬剤]                  
・ブリプラチン (*シスプラチンの英語略がCDDP。ブリプラチンはシスプラチンの商品名)
・カイトリル (*制吐剤)                   ・ST2(*水の点滴)
・コンクライト(*鎮座剤)

[食事]      
○朝食        パン
○おやつ     ヨーグルト・ポカリ
○夕食        パン・ブルーベリージャム
○おやつ     カップケーキ・牛乳


1999.5.28(金) こども医療センター入院 45日目 第2回抗がん剤投与2日目

 爽2才5ヶ月 

AFP 85(→) (*下がりが徐々に悪くなっていましたが、このとき初めて『横ばい』になりました)

[状態]   
MRSA隔離 ・ 微熱 ・ 嘔吐 ・ 体重11.5s

[処置]   
THP-ADR(*抗がん剤ピラルビシン)投与(48時間持続) ・ 採血 ・ 包交

[看護記録]
5時30分、覚醒。嘔吐したあとあり。胆汁様。
6時30分、咳をしたあと嘔吐。
7時と7時30分、嘔吐。パンを食べると言い、ゆっくり食べる。
8時、パン食べて嘔吐。それでもパン持って食べると言う。
8時30分、嘔吐。機嫌は良好。内服し歯磨きするが、その後は嘔吐なし。
9時、3回続けて嘔吐。
10時、2回続けて嘔吐。
11時、12時、12時30分、嘔吐。嘔吐頻回(*14回)
朝の分の内服(ファンギゾン)、食物残渣を吐ききり、唾液・胃液様のもの吐く。制吐剤はCDDP(*シスプラチン)が24時間持続で投与しているので、終わるまでダメと主治医。
12時30分からカイトリル(本日の予定分)使用後はやや活気出てきて、食事も摂取し、嘔気嘔吐なし。夕食後も嘔吐なし。
一度、三活部分を触っていたことあり。注意すると怒って泣く。
12時30分、シスプラチン終了。13時、ピノルビン (*抗がん剤ピラルビシンの商品名)48時間開始。

○爽母
朝から8回(*本当は14回)ほど吐くが、昼に吐き気止めの薬を点滴に入れてからほぼ回復。
行った時はあまり元気がなかったが、しばらくするとだいぶ回復。「パン、パン」と言って食べたがり、昼食を温め直して食べる。

[看護記録]
夕方より嘔吐なし。おやつも食べられる。活気まずまず。
熱37度4分あるが、入眠後36度台になる。

[使用薬剤]                  
・シスプラチン(*商品名ブリプラチン) 昨日の続き                   ・カイトリル (*制吐剤)
・ピラルビシン(*商品名ピノルビン)

[食事]      
○朝食        パン
○昼食        パン1/3・うどん1/3
○おやつ     昼食のピーナツバターパン・牛乳プリン(少)・うどん1/3


1999.5.29(土) こども医療センター入院 46日目 第2回抗がん剤投与3日目

[状態]
MRSA隔離 ・ 食欲低下

[処置] 
ピラルビシン(*抗がん剤THP-ADRのこと。商品名ピノルビン)投与 ・ 腹部包交

[看護記録]
朝食食べず。嘔吐ないが食欲なし。昼食は「パン、パン」と好きなものは摂れている。活気まずまず笑顔多い。

○爽父
病室に行くと爽はベッドの柵が上がった中でテレビを見ていた。入っていくと、ニターっと笑ってごろんとなった。「ウンチ」というのでオマルにまたがるが、スカであった

○爽母
今日は特に問題なし。吐き気もなく元気。夫が買った『鉄道ジャーナル』を見て喜ぶが、夫がそれを読んでいると怒る。夕食はレーズンパンが嫌で食パンをもらい、それを食べる。ゆっくり食べたので6時のおやつはいらないと言う。
帰り際、少し泣く。

[看護記録]
活気あり。ベッド下におりて遊んだりして笑顔多い。しかし面会終了後はベッド上でゴロゴロしてすごすこと多い。顔色、白い。

[使用薬剤]
・ピラルビシン       ・カイトリル (*制吐剤)                ・ST3

[食事] 
○朝食        食べず
○昼食        パン1枚
○おやつ      ソフトクリーム
○夕食        食パン・ピーナツバター
○おやつ     牛乳(少)

○爽母
は夜中にベッドをぎしぎしさせるので見たら、寝返りをうってうつぶせになっていた。(生後4ヶ月)


1999.5.30(日) こども医療センター入院 47日目 第2回抗がん剤投与4日目

[状態]
MRSA隔離

[処置]
ピラルビシン投与(12時半まで) ・ 水の点滴

[看護記録]
夜間良眠。発熱なし。利尿良好だが、やや薄オレンジのピノルビン尿。
嘔吐なし。食欲いまひとつだが、好きなものは食べる。ビデオ見たりしていると輸液ポンプいじることなく、ご機嫌。
午前中はゴロゴロしていたが、昼食・おやつも摂取でき、昼寝後は両親相手にゲラゲラ笑っている。
12時20分、ピノルビン終了。(*第2回の抗がん剤投与終了)

○爽父
茨城母にを見ててもらい、2人で病院へ行く
1時50分頃行ったらめずらしく眠っていた。朝食は全く食べなかったが、昼食は全部食べたとのこと。
前はボールのことを「ボイ」としか言えなかったが、「ボール」と言えるようになった
[使用薬剤]
・ピラルビシン(*商品名ピノルビン)                   ・ST2(*維持・ハイドレーション)

[食事]
○朝食        食べず
○昼食        パン
○夕食        シチュー
○おやつ     スィートポテト

○爽母
午前中をベビーカーに乗せ、お弁当を買いに行く。初めてで緊張したのか、話しかけてもニコリともせず。
(*下の子は生後4ヶ月ちょっとのこの日までベビーカーに乗せて外出したことはありませんでした。抱っこでもせいぜい予防注射や検診に行くくらいでしたし、この後も公園に連れていくことは数えるほどしかありませんでした。面会前の午前中は買い物や家事などを一気に片付けなくてはなりませんでしたし、時間があっても正直なところ「下の子を公園に連れて行く時間があるなら少し休みたい」という気持ちでした。また、を公園などに連れて行って他の子どもから感染症をうつされると爽の外泊ができなくなってしまうのも怖かったです。)


1999.5.31(月) こども医療センター入院 48日目 

AFP 75(↓)

[状態]
MRSA隔離 ・ 肝機能障害 ・ 微熱 ・ IVH刺入部浸出液

[処置]
水の点滴 ・ 血液培養 ・ 採血 ・ IVH刺入部抜糸 ・ 包交

[採血結果]
GOT           85             白血球        3100
GPT           68              ヘモグロビン   8.4
好中球        806            血小板        27万3000

[医師カルテ]
GOT85 ・ GPT68。第2コース終了後、肝機能やや悪化。

[看護記録]
6時30分、起床。7時与薬。発熱なし。覚醒後にセキきかれる。
午前中はトーマスのビデオ見てすごす。
IVH刺入部発赤しており、浸出液のようなもの見られる。ドクターにコールし、培養採取。抜糸・包交し、ガーゼ保護とする。
明日より毎日包交となる。微熱あるが、それ以上の上昇なし。
明日から久しぶりの外泊となり、母もうれしそう。
経口(*口から摂る水分)すすまず、おやつ(*夕方の)も全く口をつけず。すわって遊んでおり、おしゃべり多い。


1999.6.1(火) こども医療センター入院 49日目 外泊

[状態]
MRSA隔離 ・ 夜発熱 ・ 身長83.5p ・ 体重10.65s
[処置]
聴力検査 ・ IVHロック ・ フィルター交換 ・ 包交

[看護記録]
朝、納豆ニコニコして食べていたが、ひとくち嘔吐。スッキリしたのか再び納豆だけ食べる。
IVH刺入部、黄色い浸出液が乾燥しており、軽度発赤あり。外泊中は下半身浴のみOK。
明日IVH消毒のため一時帰院予定。
食事にパンは好んで食べる。11時IVHロック。16時50分、耳鼻科。

○爽母
聴力検査は特に問題なし。
私はカゼのため、夫が行く。夕方6時すぎに2人で帰宅。カレーを食べる。
夜、発熱38度3分。夫10時すぎに病院へ電話し、その旨報告する。
明日午後2時の帰院を少し早めるように言われる。

[食事] 
○おやつ     ジョア
○夕食        カレー・ケーキ・緑茶


1999.6.2(水) こども医療センター入院 50日目 外泊 ・ 一時帰院

[状態]
発熱38度

[処置] 
採血 ・ IVH包交

[採血結果] 
CRP      0.18                            ヘモグロビン   8.4
GOT      42                            好中球        3591
GPT      39                            白血球        5700
血小板   22万9000

○爽母
夫と行く。

[看護記録]
12時帰院。熱38度。水様性鼻汁。
Dr.Aより「CRP上昇なく軽いカゼだろう」と。父の希望もあり、再び外泊へ行くことになる。熱に対してはクーリングにて対応。
明日、帰院予定。14時30分、再外泊へ。

[医師カルテ]
上気道症状があり、現在suppression(*骨髄抑制)中でもないので、URI(*上気道感染症。つまりカゼ)と思われる。

(*38度の発熱の息子を抱きかかえて病院に戻りましたが、その時の主治医が「爽ちゃんはただのカゼだと思うので、今特に何かすることは何もありません」と言われた時には何だか妙におかしくなってしまいました。普通はカゼと言えども38度の熱が出れば親は慌てて小児科に連れて行きますし抗生剤なり解熱剤をもらうのに、「今することは何もない」とあっさり言われ、「まあねぇ。小児がんの治療に比べれば確かに『ただのカゼ』は軽いよねぇと思い、それにしても『何もすることない』ほど軽いのかぁ、と妙に納得してしまいました。もちろん今ではやっぱり38度出れば慌てて小児科に連れて行きますけど・・。)

[食事] 
○朝食        ごはん1/2杯・ふりかけ・緑茶
○夕食        筑前煮(少)・お茶漬け1杯・お茶


1999.6.3(木) こども医療センター入院 51日目 帰院のち外泊 ・MRSA隔離解除

AFP 52(↓)

[状態]
MRSA隔離解除 ・ 骨髄抑制傾向 ・ 下痢

[処置]
採血 ・ 包交

[採血結果]
CRP         0.34(←)                   ヘモグロビン  7.6
MRSA    (−)                         血小板        15万9000
好中球       2745                        白血球        4500

○爽母
朝10時に病院着。朝粘液便(普通便だが赤い粘液がついている)出たため、病院へ持参。採血11時半。
検査結果午後1時半に出る。薬は4時半に出る。午後5時前帰宅。
月曜日まで外泊許可出るが、ヘモグロビン減少しているため、土曜日に病院へ行き、輸血が必要かどうか調べることとなる。
帰宅後、夜3回下痢。

[医師カルテ]
BM(*骨髄)抑制傾向。そろそろ輸血必要かも。
MRSA2回OK! Cランク(*MRSA隔離)解除へ。
【回診で】
DNAヒストグラムの結果からしても予後よくないパターン。
どこかでPB(*末梢血幹細胞)なりBM(*骨髄)採っておく必要あり?
ただしPBとかを取るだけのchemo(*化学療法)になってもしようがない。BMはCDDP(*シスプラチン)重ねていくと取りづらくなっていく。  今はchemo(*化学療法)よく効いているのでこのまま継続するが、取るとなるとタイミングと前処置考えないと・・・。
HBL(*肝芽腫)のtransplantation(*移植)例、調べてみる。

(*発症時に腹腔内破裂や腫瘍塞栓があり、その後の遺伝子検査等でも予後がよくないタイプだったので、主治医や腫瘍科の先生たちは再発する可能性が高いと考え、いずれ再発した時に備えて当時固形腫瘍に対してはまだあまり一般的ではなかった自家骨髄移植のための骨髄採取を考え始めていました。
自家骨髄移植は、白血病の患者さんたちのようにドナーからの骨髄移植ではなく、自分自身の骨髄をあらかじめ取っておき自力での骨髄回復ができないほどの大量の抗がん剤を使ってがん細胞をやっつけ、その後取っておいた自分の骨髄を移植するという方法で、『超大量化学療法』と言います。同じ「移植」ですが、白血病の場合とは目的が違います。
白血病ではドナーの「正常な造血幹細胞(骨髄や末梢血幹細胞)を移植すること」が目的で、そのために自分の骨髄を全部破壊することが必要なため超大量の抗がん剤を使います。
一方固形腫瘍では「超大量の抗がん剤を使って腫瘍を叩ききること」が目的で、結果として骨髄が破壊されるために移植をします。
ですから固形腫瘍の場合は骨髄への転移さえなければ自家移植という方法が使えます。自分の骨髄や末梢血幹細胞なのでドナーからの移植のような拒絶反応が出ることはありませんが、移植の合併症の危険性はドナーからの移植と同じですので、やはり大変な治療であることに変わりはありません。
現在の肝芽腫のプロトコールでは再発時などの治療方法の1つとして造血幹細胞移植が組み込まれています。)


[食事]
○朝食        ごはん1杯・ふりかけ・ヨーグルト1/2個・お茶・水
○夕食        根菜入り茶漬け1杯半・フライドチキン(少)・レタス(少) ・緑茶1杯半


1999.6.4(金) こども医療センター入院 52日目 外泊

[状態]
下痢続く(3回)

[食事]
○朝食        お茶漬け1杯・ジャスミン茶(少)
○昼食        親子丼(少)・ヨーグルト1個
○夕食        ベーコンとマッシュルームのトマトスパゲッティ
○おやつ     ヨーグルト

(*外泊になると食がびっくりするほどすすみました。もちろん同じ年頃の元気な子に比べればずっと食べる量は少なかったと思いますが、家では好きなものを食べられるので違ったのでしょう。親も、元気な子だったら保健婦さんに「あまり好ましくない」と言われそうなクッキーなどの高カロリーなお菓子を「小麦粉とバターと牛乳と玉子が入っている栄養たっぷりの食べ物」という感覚でとらえていましたし、インスタントラーメンでさえ「ビタミB1とかカルシウムとか入っているからごはんだけしか食べられないならこっちのほうがいいわ」という気持ちでした。もちろん、気分的なものだけでなく、抗がん剤による治療は『味覚障害』を引き起こしますし、『粘膜障害』も大なり小なりありますので、どうしてもノド越しのよい麺類を好む子が多いようです。とにかく食べないことには体力も失われてしまいますので、『栄養が偏る』などという以前の問題で『食べられるものなら好きなだけ食べなさい』という状況でした。
味覚障害は本当に微妙なものらしく、のちに肝芽腫の会アドバイザーだったDr.Tが大腸がんで化学療法をしている際に聞いたところ、「ヨーグルトはOKだけど、プリンはダメ。とかプリンはOKだけどヨーグルトはダメ。とかかなり微妙なもの」と表現していました。)


1999.6.5(土) こども医療センター入院 53日目 一時帰院のち外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 下痢止まる

[処置]
採血

[採血結果]
ヘモグロビン       7.3
血小板            11万5000
白血球            1900

○爽母
10時、病院へ行き採血。一応輸血はせずにすむとのことで、11時半帰宅。

[医師カルテ]
IVH刺入部は完全に 痂皮化。
顔色青白い。おそらく貧血。でも元気。BM抑制傾向。
再外泊だが、月曜日おそらくBランク。MAP輸血(*濃厚赤血球の輸血)

○爽母
夕方6時から8時まで爽眠る。爽はこのところ二語文を話すようになる。
「ホンダ乗った」「おじいちゃん、行っちゃった」など。
下の子は寝返りの速度を増す。

(*爽は入院前から言葉が少し遅めでした。オムツもトイレトレーニングを初めなくてはならない頃に下の子が生まれ、冬だったので『春になったら本格的に始めよう』と思っていたのに春になったら病気で入院してしまったので、少し取れかかってはいましたがまたもとに戻ってしまいました。治療に入ると点滴量が多くなり、オシッコもたくさん出るのですが看護婦さんもなかなか忙しく、一時は悩んで婦長さんに相談もしましたが、『治療中はどうしても点滴量が多いからなかなか難しい。今はとにかく治すことを第一に考えていきましょう』と言われ、『それもそうだ』と入院しながらのトイレトレーニングは途中からあきらめました。
今8才ですが、心配だった言葉の遅れも男の子にしてはかなりおしゃべりのほうになりました(^o^)。もちろん療育科に通ったりいろいろ親としての努力もしましたが、二語文を話すようになったのが遅かったとは誰も信じないだろうと思います。
オムツは時期を逸してしまったせいか、本人に取る気がなくなってしまい退院後もなかなかうまく行かず、幼稚園の年中に入った時点でまだしていましたが(泣)、入園して一週間で完全に取れ、おもらしもおねしょもほとんどありませんでした。
治療中でなかなかトイレトレーニングどころではなく心配している方も、あまり心配しなくて大丈夫ですよ。大人になれば『他の子よりも早く言葉を覚えた』とか、『他の子よりも早くオムツが取れた』なんてことはナンボのものでもなくなります。)


[食事]
○朝食        ヨーグルト2個
○昼食        鶏肉とにんじん入りお茶漬け1杯・ラーメン1/3杯 
○おやつ     クリームケーキ・オレンジジュース
○夕食        お茶漬け(野菜入り)・水50t


1999.6.6(日) こども医療センター入院 54日目 外泊

○爽母
久しぶりに親子ともどもゆっくりする。昼前、夫と爽でほか弁を買いに行き、爽は『さぬきうどん』を食べる。昼食後に昼寝。
下半身浴(*IVHカテーテルが胸についているため、治療がすべて終わるまで胸から上は湯をかけられず)。
夜10時半、ヘパ生プッシュを終えてから就寝。

[食事]
○朝食        野菜ラーメン・ヨーグルト・水
○昼食        さぬきうどん半分・オレンジジュース1杯・アイスクリーム
○夕食        焼きおにぎり1個・チーズケーキ(少)


1999.6.7(月) こども医療センター入院 55日目 Bランク

AFP 45(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 貧血

[処置]
赤血球輸血 ・ 採血

[採血結果]
好中球        68                                GOT          30
白血球        2100                            GPT           15
ヘモグロビン   7.0                        血小板        6万2000

○爽母
10時帰院。すぐに採血。昼前にBランクとなる。
眠いのか昼食時大いにぐずり、ようやくかぼちゃのポタージュとパンを食べる(*この頃ごはんを食べたがらず主食をパンにしていました)
私が昼食から戻ると昼寝中。ここ2回ばかり検査に帰院しても再び外泊出来たので、今日も帰れるものと思い込み、そのため機嫌悪し。

[看護記録]
neutro(*好中球)168にてBランク個室へ。16時、ポララミン(*抗ヒスタミン剤。輸血によるアレルギー予防のため)2r投与。
輸血開始。18時終了。IVHロックする。
面会終了時泣くが、アンパンマンのビデオ見ると落ちつく。機嫌よくおもちゃで遊んだり、絵本を見たりして、21時入眠。

[使用薬剤]
・ポララミン 2r                   ・ST3

[食事]
○朝食        わかめと玉子入りラーメン・水
○昼食        パン1枚・かぼちゃのポタージュ
○おやつ     いちごヨーグルト
○夕食        ピーナツバターパン
○おやつ     へそをまげて食べず


1999.6.8(火) こども医療センター入院 56日目  Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ IVH刺入部化膿

[処置]
IVH包交

[看護記録]
IVH刺入部、暗赤色になっている。見ようとすると、「いたい、いたい」と言うが、はっきり分からず。
テガダーム(*絆創膏の種類)汗のためかよれて浮いてきている。15時、IVH包交。浸出液みられている。毎日包交とする。

○爽母
昨日に続き機嫌大いに悪し。ビデオを見ると言っては「ナイナイ」し、ナイナイしては「見る」と言う。

[看護記録]
本日学生さん(*看護実習生)がケア行うが、泣いて嫌がり更衣も嫌がる。アブちゃん(*タオルで作ったエプロン。IVH保護のためにいつも素肌につけている)はずすこと抵抗し、「タオル」と訴えあり。身体に触れることや見慣れない人と言うことで抵抗強かったのではないか。
「くつ」「おそと」と外へ行きたがる。そばにいる時と面会中は床に下りて椅子に座ったりして機嫌よくすごしている。
母より外泊中の話等をしている際「外泊はよかったんですけど、帰ってきてからが大変。昨日も帰るとき(泣いて)大変だったんです」と。
本日19時に母と交代する約束をする。面会終了時激しく泣き、
「おかあしゃん」「くつ!」
と言い、ナース抱っこしようとするも嫌がる。アンパンマンのビデオつけてしばらくすると落ち着く。
母より「この部屋暑いですね。どうにかならないんですか?こんなに暑いからIVH刺入部がジクジクしてしまったんじゃないですか」と。
「部屋の空調を『強』にしてあとは施設の問題で、氷枕をあてるくらいの対処しかできません」と話す。母、会話中ニコニコはしている。部屋の温度調節どうにかならないか・・・。

(*古い病院なので冷房は7月から9月までしか入らず、この時期以外に各部屋で冷暖房を入れることはできなかったので、6月と10月初旬の暑い日には蒸し風呂のようでした。大部屋はずっとマシでしたが、Bランクは部屋を閉めきりで親はマスクにガウン着用ですからそれはもう・・・(苦笑)。特に午後になると西日が直接入ってくるのでとても暑かったです。
爽のIVH刺入部はフィルムのようなもので保護してあったんですが、汗をかいてその部分がしっとりしていることがよくあり、その状態が続くと刺入部が少しジクジクしてしまうということはこの後も何回もありました。私も一度酸欠というか貧血というか気持ち悪くてめまいがし、『5分でよいので窓開けさせてもらえませんか』とお願いしに行ったことがあります。看護婦さんはダメといいましたが、たぶん私の顔色がすごく悪かったのでしょう、そばにいた先生は『たしかにねぇ・・むしろ空気入れ替えたほうが子供のためにもよいかも』と、すぐにOKをしてくれました。
でもそれからがまた大変で、5分間の空気入れ替えのために今度は爽と同室の子の2人に窓が開いている5分間マスクをしてもらい、その間私ともう1人のママはやっと新鮮な空気を吸うことができました。こうやって書いたものを読むとほとんど笑い話ですが、当時はけっこうしんどかったです。)


[食事]  
○朝食        みそ汁
○昼食        パン
○おやつ     ミルミル2本
○おやつ     牛乳(少)

○爽母
午前中、の4ヶ月検診で保健所へ行く。体重8060g。大きい。帰りはぐっすり眠り、家についてからほうじ茶を飲んでまた眠る。