5 1999.6/9 - 6/23 (入院57日目 〜 入院71日目) |
★ ちょっと寄り道(4) 泣いた子を見て喜ぶ母2人 | |
いやいや、『鬼母登場』ではありません。 「小さい子供が泣ける」環境がどれほど大切かを感じたことが入院中と退院後の2回ありましたので、そのお話をします。 2才だった爽は最初のうち、とってもよく泣きました。処置でも内服でも面会終了時でも、それはそれは大きな声で泣き、あまりにも泣くので退院後2年くらいしてから爽が全く別の近所の外科医院で怪我の処置をされた際に大泣きしている声を聞いて、偶然その医院に勤めるようになっていた入院時の担当看護学生さんが「爽ちゃん?!」と思い出してわざわざ顔を確認しに来たくらい、毎日のように泣いていました。 ところが数ヶ月経つ頃から特に面会終了時にあまり泣かなくなったのです。泣いてもすぐに泣きやんで、「バイバイ」と言ってもくもくとおもちゃで1人遊びをすることが多くなりました。周りは看護婦さんも含めて「病院に慣れてきたんだよ」と言っていたので初めは私もそう思っていたのですが、爽の様子を見ていると「何かが違う」という気がしました。「慣れた」と言うよりも「泣くことをあきらめた」ような感じがしてなりませんでした。 他の子供たちを見ると、相変わらずわんわん泣く子もいれば、本当に病院に「慣れた」んだなあという子もいますが、中には全く笑わなくなったNちゃんもいました。Nちゃんはお母さんが面会に来るととってもいい表情でお話もするのに、お母さんがいない時は全くの無表情で誰が話しかけても答えなくなっていました。お母さんの話ではいろいろな処置でも全く泣かないということでした。 私は爽が見せる一瞬の無表情を感じていたのかもしれません。処置も内服も病気の治療上どうしても必要なことですし、面会時間は当時かなり厳格でした。 『なぜお父さんお母さんと離れ離れにならなければならないのか』、『なぜ病院にいて痛いことをいっぱいしなくてはならないのか』、そのわけを理解出来ない上に自分の気持ちを言葉で表現することもまだ出来ない2才の子供にとって、どれほど泣いて「止めてほしい。やらないでほしい。帰らないで」と訴えても、それが聞き入れられないことが延々と続いた時、「泣くのをあきらめる」ということでどうにもならない辛さに決着をつけようとしたのではないかと思います。 たぶん1、2週間くらい様子を見ていたと思いますが、「この子は病院に慣れたのではない。泣くことをあきらめたのだ」と確信した時、「大変なことになった」と思いました。 それからは毎日面会に行くたびに「爽ちゃん、嫌な時は泣いていいんだよ。うんと泣いていいからね」と言い聞かせるようにしました。爽はその度にちょっと困ったような笑顔でうなづいていましたが、やがて私がいる時にはまた大きな声で泣くようになりました。その時はとても嬉しかったです。ただ私が帰る時に大泣きしても姿が見えなくなると看護婦さん相手に泣いて気持ちを訴えることはせず、「爽ちゃんはお母さんがいなくなる時は大泣きだけど、立ち直りが早いねぇ」と言われていました。私は「そうなんですかぁ」などと返事をしていましたが、爽が看護婦さんに遊んでもらうことよりも一人遊びに没頭する理由が分かっていました。 Nちゃんとは同じ頃退院し、その後外来で会うことが時々ありました。 退院後何ヶ月か経ってから会った時に、Nちゃんのお母さんが嬉しそうにこう言いました。 「最近Nは採血の時に泣くようになったのよ。泣いているのを見てすごく嬉しかった。でも、子供が採血で泣いているのを見て喜んでいるなんて、変な親だと思われるよね」と。 私も泣かず笑わずのNちゃんを知っていましたから、Nちゃんのお母さんの言葉の意味が痛いほどよく分かり、2人して「採血で泣くようになったなんて、良かった良かった!」と喜んだのでした。(2005.12.27) |
★1999.6.9(水) こども医療センター入院 57日目 Bランク | |
AFP 42(↓) |
★1999.6.10(木) こども医療センター入院 58日目 Bランク・輸血後外泊 | |
[状態] |
★1999.6.11(金) こども医療センター入院 59日目 帰院のち外泊 | |
AFP 31(↓) |
★1999.6.12(土) こども医療センター入院 60日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.6.13(日) こども医療センター入院 61日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.6.14(月) こども医療センター入院 62日目 Bランク | |
AFP 29(↓) |
★1999.6.15(火) こども医療センター入院 63日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.6.16(水) こども医療センター入院 64日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.6.17(木) こども医療センター入院 65日目 Bランクのち外泊 | |
AFP 21(↓) |
1/6★1999.6.18(金) こども医療センター入院 66日目 外泊 | |
[食事] |
★1999.6.19(土) こども医療センター入院 67日目 外泊 | |
○爽母 |
★1999.6.20(日) 神奈川県立こども医療センター入院 68日目 外泊 ・ 夜帰院 | |
○爽母 明日CTのため午後7時帰院。日中特に変わったことなし。 ○爽父 爽はことばがポンポンと出るようになってきた。3時頃、散歩として寿屋(*酒屋)まで連れて行く。本当はもう少し先まで行こうと思ったが、小雨が降ってきたのでビールを買って帰る。義父が車で着てくれ、2人を病院に連れて行く。にぎやかだった家の中が急に静かになってしまって淋しい。下の子の笑顔が寂しさを和らげてくれる。 [看護記録] 19時帰院。面会終了時大泣きするが、同室児と遊んだり、ナース抱っこしたりして落ち着く。 「寝ない」と車で遊んでいたが、1人にしておくと入眠した。発語多く、ナースにも自ら寄ってくる。ずいぶんと慣れた印象あり。 [食事] ○朝食 ミートパスタ1くち・パン1/4枚・お茶漬け1杯・ヨーグルト・牛乳 ○おやつ ベビーラーメン(少) ○昼食 チーズバーガー1/3個・スプライト・アイスクリーム ○夕食 野菜やきそば・ゴマ入り茶漬け・水100t |
★1999.6.21(月) 神奈川県立こども医療センター入院 69日目 Bランク解除 ・ 外泊 | |
AFP 24(↑) |
★1999.6.22(火) 神奈川県立こども医療センター入院 70日目 外泊 | |
○爽母 夫は、ヘパ生プッシュのヘルプのため午前中休む。最近爽の情緒が少し不安定で、時々狂ったように暴れる。入院中のストレスが強いためと思われ、寝言なども病院でイヤな処置をされているような内容。ヘパ生プッシュの最中に動くと、最近が血管に混入し危険なため休んでもらった。 (*『ちょっと寄り道(4)』で書きましたが、爽は入院数ヶ月くらい経ってから一時あまり泣かなくなります。泣かなくなる前にはずいぶんと情緒が不安定になりました。もともとはおだやかな子でしたが、この日の記述にもあるように時々狂ったように同じ言葉を何度も繰り返したり暴れたり、寝言で「いやー!」「やめて!おわりー!」などとうなされることがありました。この時点でもっと子供の心が安らぐようにあれこれすればよかったのかもしれませんが、この頃は肝芽腫の腫瘍マーカーであるAFP(エイエフピー)が上がったり下がったりを初めた頃で、私自身も「再発か転移か」という恐怖に精神状態がかなり不安定になっており、そういうことを思いつける状態ではありませんでした。) [食事] ○朝食 お茶漬け1杯・ハム1枚・プリン1個・水 ○昼食 野菜と卵のラーメン・ヨーグルト1個・ポカリ ○おやつ ポテトチップス ○夕食 メンチカツ1くち・お茶漬け1杯・アイスクリーム |
★1999.6.23(水) 神奈川県立こども医療センター入院 71日目 外泊 | |
[食事] |