5    1999.6/9 - 6/23 (入院57日目 〜 入院71日目)

★ ちょっと寄り道(4) 泣いた子を見て喜ぶ母2人
いやいや、『鬼母登場』ではありません。
「小さい子供が泣ける」環境がどれほど大切かを感じたことが入院中と退院後の2回ありましたので、そのお話をします。

2才だった爽は最初のうち、とってもよく泣きました。処置でも内服でも面会終了時でも、それはそれは大きな声で泣き、あまりにも泣くので退院後2年くらいしてから爽が全く別の近所の外科医院で怪我の処置をされた際に大泣きしている声を聞いて、偶然その医院に勤めるようになっていた入院時の担当看護学生さんが「爽ちゃん?!」と思い出してわざわざ顔を確認しに来たくらい、毎日のように泣いていました。

ところが数ヶ月経つ頃から特に面会終了時にあまり泣かなくなったのです。泣いてもすぐに泣きやんで、「バイバイ」と言ってもくもくとおもちゃで1人遊びをすることが多くなりました。周りは看護婦さんも含めて「病院に慣れてきたんだよ」と言っていたので初めは私もそう思っていたのですが、爽の様子を見ていると「何かが違う」という気がしました。「慣れた」と言うよりも「泣くことをあきらめた」ような感じがしてなりませんでした。
他の子供たちを見ると、相変わらずわんわん泣く子もいれば、本当に病院に「慣れた」んだなあという子もいますが、中には全く笑わなくなったNちゃんもいました。Nちゃんはお母さんが面会に来るととってもいい表情でお話もするのに、お母さんがいない時は全くの無表情で誰が話しかけても答えなくなっていました。お母さんの話ではいろいろな処置でも全く泣かないということでした。
私は爽が見せる一瞬の無表情を感じていたのかもしれません。処置も内服も病気の治療上どうしても必要なことですし、面会時間は当時かなり厳格でした。
『なぜお父さんお母さんと離れ離れにならなければならないのか』、『なぜ病院にいて痛いことをいっぱいしなくてはならないのか』、そのわけを理解出来ない上に自分の気持ちを言葉で表現することもまだ出来ない2才の子供にとって、どれほど泣いて「止めてほしい。やらないでほしい。帰らないで」と訴えても、それが聞き入れられないことが延々と続いた時、「泣くのをあきらめる」ということでどうにもならない辛さに決着をつけようとしたのではないかと思います。
たぶん1、2週間くらい様子を見ていたと思いますが、「この子は病院に慣れたのではない。泣くことをあきらめたのだ」と確信した時、「大変なことになった」と思いました。
それからは毎日面会に行くたびに「爽ちゃん、嫌な時は泣いていいんだよ。うんと泣いていいからね」と言い聞かせるようにしました。爽はその度にちょっと困ったような笑顔でうなづいていましたが、やがて私がいる時にはまた大きな声で泣くようになりました。その時はとても嬉しかったです。ただ私が帰る時に大泣きしても姿が見えなくなると看護婦さん相手に泣いて気持ちを訴えることはせず、「爽ちゃんはお母さんがいなくなる時は大泣きだけど、立ち直りが早いねぇ」と言われていました。私は「そうなんですかぁ」などと返事をしていましたが、爽が看護婦さんに遊んでもらうことよりも一人遊びに没頭する理由が分かっていました。
Nちゃんとは同じ頃退院し、その後外来で会うことが時々ありました。
退院後何ヶ月か経ってから会った時に、Nちゃんのお母さんが嬉しそうにこう言いました。
「最近Nは採血の時に泣くようになったのよ。泣いているのを見てすごく嬉しかった。でも、子供が採血で泣いているのを見て喜んでいるなんて、変な親だと思われるよね」と。
私も泣かず笑わずのNちゃんを知っていましたから、Nちゃんのお母さんの言葉の意味が痛いほどよく分かり、2人して「採血で泣くようになったなんて、良かった良かった!」と喜んだのでした。(2005.12.27)

1999.6.9(水) こども医療センター入院 57日目  Bランク

AFP 42(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 頭部打撲

[処置] 
採血

[採血結果]
好中球        138                   白血球        2300
血小板        2万1000            ヘモグロビン   9.3

○爽母
好中球増えるが血小板少ないため、明日血小板輸血をすることとなる。

[医師カルテ]
17時頃遊んでいておでこを床にぶつけた。皮下出血なし。本人は押すと「いたい」と言うが、全く元気。
2.1万(*血小板の数)あるので大丈夫だろう。
(*血小板は正常だと15万〜40万くらいです。5万より少なくなると出血しやすくなり、2万を切るとちょっとコブができる程度ぶつけただけでも脳内出血を起こすことがあるので、非常に危険です。当時は2万を切るようになると血小板輸血をしていました。)

[看護記録]
朝、尿量少ない。エアー(*肺の)やや浅め。水分すすみにくく午前中全く摂れていない。
尿量少なく室温も高く、水分摂れなければdiv(*点滴)してもらった方がよいか?
面会終了時、「くつ、くつ!」と母を追って外へ出たがる。ビデオ見て落ち着くが、なかなか入眠せず、21時頃入眠。


1999.6.10(木) こども医療センター入院 58日目 Bランク・輸血後外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 前頭部打撲

[処置]
血小板輸血

[看護記録]
内服慣れず大泣きするが、終了するとケロリとしておしゃべりしている。
Mちゃん(*同室の白血病の女の子)の食べるチーズが気に入ったようで、「チーズ!」と大騒ぎし、動物形のチーズ食べる。
面会中、床に前頭部打撲し、少し内出血みられる。BP(*血圧)変化なし。
15時35分、IVH接続しポララミン(*アレルギー予防のための薬)2r投与。外泊行くので輸血40ml/hを50ml/hにアップする。
15時50分、血小板輸血開始。19時、無事終了。(171ml)。Dr.A、IVHロック。
前頭部の打撲は、1p大の緑色の出血斑になっている。腫脹なし。痛みなし。

○爽母
午後3時半すぎから血小板の輸血開始。7時10分に終了する。それからIVHの包交をし、タクシーで8時に帰宅。家に帰ってから、またお茶漬けを食べ、走り回ってなかなか眠らず。10時半すぎにぐずりながらようやく眠る。下の子も同じ頃眠る。
病院から帰る時、主治医のDr.Aが出口まで送ってくれる。爽がシニアレジデントになって初めて受け持った子であることや、トーマスのTシャツを買ってあげたいなどと話してくれる。

[医師カルテ]
(*AFP値)85→75→52→45→42。このところ少し下がりどまっている。Chemo(*化学療法)の影響だけ?
micro(*微小)な病変、まだたたききれてないのか。まだ2コース目なので、もう少しこのままchemoの反応みる。
(*抗がん剤を使った後、がん細胞が死滅する時にもAFPという蛋白を出すことがあるため一時的に数値が上がったり、下がりにくくなったりすることがあるのでその影響なのか、それとも薬の効きが悪くなってきているのかどうかという意味です)

[食事]
○朝食        パン・チーズ・麦茶
○おやつ     アイスクリーム・なっちゃん
○夕食        海苔・パン・なっちゃん
○おやつ     りんごタルト (1口)


1999.6.11(金) こども医療センター入院 59日目 帰院のち外泊

AFP 31(↓)

[状態]    下痢 ・ 骨髄抑制

[処置]    採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        91                   血小板        15万
白血球        2400               ヘモグロビン   8.6

○爽母
午後1時半、帰院。2時前に採血。外泊許可ラインの好中球100を切るが、明日の昼までとの約束で1日外泊出来ることとなる。
月曜日のAFPは45。落ちが悪くなる。
4時すぎ、タクシーで帰宅。結局一晩中熱は出ず。おもちゃやCDを聴いて遊ぶ。夕食後軽い下痢3回。
夫が遅いため、下の子も身体拭きのみで寝かす。

[食事]
○朝食        野菜入りお茶漬け1杯・食パン1/3枚・ポカリ
○おやつ     プリン1/2個
○昼食        スパゲッティミートソース
○おやつ     さつまいもシュークリーム
○夕食        ヨーグルト2個


1999.6.12(土) こども医療センター入院 60日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱37度前半

[処置]包交

○爽母
12時に帰院し、そのままBランク。私は偏頭痛のため4時に帰る。

[看護記録]
IVH刺入部乾燥しており暗赤色。テガダーム(*刺入部を保護している透明フィルム)だと汗かきやすいためハンザポア(*ガーゼ付テープ)にて保護続ける。37度前半の微熱みられるが、かぜ症状なし。活気あり、機嫌よい。
1、2日外泊へ行けていたこともあり、個室に入ると「くつ」「おそと」と言っていたが、点滴つながっていないので表情よく遊べていた。
母が帰った後、テレビを見てすごす。ナースがそばにいると、ベッド柵を「上げる、上げる」と、そばにいるのを嫌がる。
水分、牛乳は全く飲まず。
「ポカリ、ポカリ」と言うが、ポカリスエットなかったので病院のオレンジジュースを持っていくと良好に摂取し、「オレンジジュース、もっともっと」とおかわりをする。20時50分、入眠。

[食事]
○朝食        にら玉ラーメン1/2杯・お茶漬け3/4杯・ヨーグルト1/2個・パン2くち・水
○おやつ     棒つきアイス(1/5溶けて床に落とし号泣)
○夕食        パン・海苔
○おやつ     オレンジジュース


1999.6.13(日) こども医療センター入院 61日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱 ・ (*この頃から情緒がやや不安定になる)

[看護記録]
夜間、熱なかったが日中微熱。活気はあり。

○爽母
私の偏頭痛が治りきらず、投薬と歯磨きと陰洗を看護婦さんにやってもらう。
最近、爽の癇癪が激しい。Bランクで部屋の外へ出られないためだと思う。
夕方、Dr.Aがパーシーとミッキーのおもちゃを買ったと言って持ってきてくれる。

[看護記録]
水分ポカリ持って行くが、「いらない」と怒る。昼、食事と一緒においておくと自分で飲んでいる。
「ジョア飲みたい」と母に買ってきてもらう。尿量少ない。
面会終了時大泣きするが、そばに行きビデオつけると機嫌よくおもちゃで遊ぶ。
ナースコール頻回で、「ポカリ」「ビデオ終わっちゃったー」「でんき」「くつ」「いす」などと訴えている。
21時、遊びながら入眠。

[食事]
○朝食        パン2枚
○昼食        パン1枚半
○おやつ     ジョア2本
○夕食        パン・海苔5枚
○おやつ     ワッフル・牛乳

○爽母
下の子は、昨日今日と夫がお風呂に入れる。すりばいをした形跡あり


1999.6.14(月) こども医療センター入院 62日目 Bランク

AFP 29(↓)

[状態]
骨髄抑制

[処置]
採血

[採血]
好中球        32                                ヘモグロビン     9.2
白血球        1600                        GOT           28
血小板    17万2000                     GPT            10

[医師カルテ]
BM(*骨髄抑制)ボトムは過ぎて回復してくる頃

[看護記録](*日中は看護学生がケアしているので細かく記録してある)
夜中1時、「看護婦さんテレビ見る」と覚醒してしまう。「みんな寝ているから今見れないよ」と言うと、「テレビー」と叫ぶ。音消してテレビつけるといつの間にか入眠している。
(朝)水分、「ジュース飲む」と言うのでオレンジジュース持っていくが、「いらない」とナース叩こうとする。置いておくと全量飲む。
9時35分、バイタルサイン(*血圧・脈拍測定)。外泊に行けて満足できているのか、前ほどバイタルサイン嫌がらない。
積極的に体温計を持って自分のワキにはさんだり、血圧計に触れている。嫌がる様子もなく、機嫌よく血圧計の片づけをしてくれる。
(昼食時)「寝るー」「くつー」。食事中パン持ったまま横になって食べている。「おかしいよー」と少し注意するとぐずってしまう。
起こそうとするが手足バタバタさせる。その後起きて食事摂取出来ている。食べ終わる頃「くつー」などと言い始める。
13時40分、バイタルサイン。エア入り右上肺部やや弱め。
(*『くつ!』と言う記述がよく出て来ます。小さい子用のベッドは床から80cmくらいの高さがある上に通常は子供の背丈と同じくらいの高さがある柵をあげている状態です。柵は親が面会に来てきちんと見ていられる時や医師・看護師さんの処置の時以外は下げてもらえません。
これは転落の危険防止のためです。しかしこのために2才児では自力で柵を下げることも床に下りることもテレビをつけることも、自分のおもちゃを取ることも出来ません。ですから『くつ!』と言うのは『ベッドから出たい。部屋から出たい』という意味なのです)


○爽母
Dr.A、2回遊びに来てくれる。しばらくよもやま話をする。
好中球が少ないわりに(*32個)あまり熱はなし。帰るときひどく泣く。
昨日までMちゃんと同室だったが、今日は1人。明日、Y君が来るらしい。
(*入院していた病棟では、感染症や骨髄抑制など子供の状態に合わせて頻繁に部屋替えがありました。基本は大部屋ですが、Bランクになると2人部屋に移動します。ベッドごと・床頭台ごとなので荷物をまとめたりする必要はありません。また週末など外泊者が多い時には残った子供たちを同じ部屋に移動したりして個室管理でも1人っきりになることはほとんどないようにしてくれていました。)

[看護記録]
IVHいじりなし。相変わらずIVH刺入部を観察しようとすると「イヤー、痛くない、おわりー」と恐怖心を示す。20時30分入眠。

[食事]
○おやつ     ジョア2本
○夕食        パン・海苔・麦茶
○おやつ     ポカリ100t

○爽母
義母、茨城から来てくれ、下の子のずりばいを目撃したとのこと。


1999.6.15(火) こども医療センター入院 63日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱

[処置]
包交

○爽母
今日も学生さんのケア。元気だが3日前から目の下にクマのようなものできる。


[看護記録]
朝食パンのみ。麦茶はすすめても飲まない。食事のムラ激しい。
10時、陰洗・洗髪・手浴。左上腹部あたりばんそうこうのあとなのか黒くなっている。拭いたがなかなか取れず(*絆創膏のあとが色素沈着していました)。更衣、他の着せようとするが、「ミッキー」と言い(今日もミッキーのパジャマ着ている)他の着せようとすると、「キーッ」と言い手で払いのけたり脱ごうとしたりして着せられず。ズボンは更衣できた。
午前中、車など出して遊ぶ他は「抱っこ」と言い、窓から外の車を見たり、隣の部屋を見てまずまずのご機嫌。
発語盛んで真似たりしている。
1日1000ml程水分必要とされるが、なかなか進まず。ヨーグルトはすすみ早い。

○爽母
昨日からは日中のみクーラーが入り(試運転とのこと)ずいぶん涼しくなる。Bランクはドア閉め切り、マスクにガウンのため面会者はかなり暑いのである。(*看護婦さんは半そでを着ている上、ずっと室内にいるわけではないので、暑いこと訴えても分らない様子。母たちの間では、いまだに6月と10月のBランクの部屋が語り草になるほど暑かった)

[看護記録]
面会終了時、母を追って「あっち行く」とグズるが、比較的スムーズにお別れできる。

[食事]
○朝食        パン2枚
○昼食        パン2枚・ちまき
○おやつ     ヨーグルト
○夕食        パン・海苔・麦茶
○おやつ     牛乳(少)・ポカリ


1999.6.16(水) こども医療センター入院 64日目 Bランク

[状態]
骨髄抑制 ・ 体重10.297s

○爽母
先週金曜日のAFP出る。このところ停滞気味だったが、31まで下がる。

[看護記録]
9時30分、陰洗・手浴。手浴促しながら上半身拭くが、今日はいつもよりも少しぐずった。「いたいー、いたいー」と言う。
午前中は車を走らせたり抱っこして窓の外を見たり、床の上に下りて走り回ったりしている。転ぶと危ないので必ずそばについた。
ベッド上でグルグル走り回ったり、端から端へ走る姿が多く見られる。「危ないよ」と声かけるが、何度も繰り返している。

○爽母
爽は、実家父が持ってきたトーマスシリーズの『ビル』で遊ぶ。
昼間、看護学生のSさんの世話で自分からイソジンうがいしたとのこと。

[看護記録]
母にうがい出来たこと伝えると、「うれしい」と笑顔見られる。
夜、なかなか入眠せず、「寝ない」と。20時30分抱っこしている間にトロトロして入眠。

[医師カルテ]
機嫌よくすごしている。最近とても有意語ふえてきた!

[食事]
○朝食        パン2枚・みそ汁
○昼食        ロールパン
○おやつ     アイスクリーム
○夕食        パン・海苔・麦茶・ポカリ
○おやつ     マドレーヌ・ポカリ


1999.6.17(木) こども医療センター入院 65日目 Bランクのち外泊

AFP 21(↓)

[状態]
微熱 ・ 骨髄抑制 ・ 夜下痢

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        54             ヘモグロビン  10.0
白血球        4400         血小板        32万8000

[医師カルテ]
BM(*骨髄)回復してきた。
AFP29まで低下(*14日の分)。ここのところ下がりは悪いが、もう少し。

○爽母
日曜日の夜まで外泊許可出る。
私は朝、A脳神経外科で偏頭痛の薬をもらい、昼前にDr.Aに電話する。外泊になったとのことで、すぐに病院へ行く。
午後1時、病院着。薬が出るまでに時間がかかり、爽も昼寝をしていたので、買っていったおにぎりを食べる。
薬は2時に出たが、Dr.Aの都合がつかず、包交するため3時頃まで病室で待つ。その後タクシーに乗り帰宅。
家だと自由に動けるので、楽しそうである。おもちゃで遊んだり、CDを聴いてすごす。夕食後、下痢。

[食事]
○朝食        パン2枚
○昼食        パン2枚
○おやつ     ミルミル1本・ジョア1本・シュークリーム
○夕食        ゴマ入り茶漬け2杯・シチュー・アップルジュース


1/61999.6.18(金) こども医療センター入院 66日目 外泊

[食事]
○朝食        薄切りハム2枚・ヨーグルト2個・食パン1/4枚・ シチュー2くち・緑茶20t
○おやつ     ポテトチップス
○昼食        スパゲッティミートソース・ポカリ
○おやつ     ワッフル1個半
○夕食        ゴマ入り茶漬け1杯・シチュー1杯・プリン3/4個・緑茶30t

○爽母
義母、茨城へ帰る。
(*当時68才の義母が月曜日から金曜日まで横浜の私たちの家に泊まって日中下の子の世話をしてくれていました。生まれてからずっと農家で育ち農家に嫁いだ義母ですので、土に触ることの出来ない都会のマンションは辛かったようで、土日には茨城に帰って畑の作物の世話をし、また月曜日の朝一番に電車に乗って私が面会に行く時間に間に合うように横浜に来てくれていました。それまでは1人で電車に乗ったこともあまりなかった義母が孫の入院で突然、ホームの数が多すぎて迷子になってしまいそうな東京の上野駅と東京駅で2回乗り換えなければならない我が家へたった一人で来るのは本当に大変だったろうと思いますが、義母は何も言わずに支えてくれました。年に一度、とても楽しみにしている高校の同窓会も私たちには何も言わずに欠席し、私たちが知ったのはずっとあとになってからでした。義母と実家の母が「出来るところまではとにかく頑張るから」と言ってくれなければは乳児院に預けるしか方法がありませんでした。(一番腹が立ったのは、役所で保育園の空きを相談した時に『保育園は働いているお母さんのためのものなので』と言われた時です。)入院中の子の兄弟児を安心して預けられるところが病院のそばにあったらどんなによかったか・・・。義母とやはり68才だった実家の母は何も言わずに無理を続け、のちに2人とも体調を崩して倒れました。幸い命に別状はありませんでしたが、『兄弟を引き離してはいけない』と頑張ってくれた2人の母がいなければ、たとえ爽が治ったとしても私が壊れていただろうと思います。)


1999.6.19(土) こども医療センター入院 67日目 外泊

○爽母
特に変わったことなし。昼間、爽のために頼んだエアコンのクリーニングが来る。真っ黒な水がたくさん出る。
夕方少し昼寝。夫のテレビゲームを見て喜ぶ。
夜、お尻をシャワーで洗う。昼間、何やら下の子に話しかけていた。

[食事]
○朝食        野菜と卵のラーメン・ヨーグルト・緑茶70t
○昼食        さぬきうどん・かまぼこ・緑茶少し
○おやつ     アイスクリーム・スナック菓子
○夕食        ゴマ入り茶漬け・ミートパスタ1くち・水
○おやつ     アイスクリーム・なっちゃん


1999.6.20(日) 神奈川県立こども医療センター入院 68日目 外泊 ・ 夜帰院 
○爽母
明日CTのため午後7時帰院。日中特に変わったことなし。

○爽父
爽はことばがポンポンと出るようになってきた。3時頃、散歩として寿屋(*酒屋)まで連れて行く。本当はもう少し先まで行こうと思ったが、小雨が降ってきたのでビールを買って帰る。義父が車で着てくれ、2人を病院に連れて行く。にぎやかだった家の中が急に静かになってしまって淋しい。下の子の笑顔が寂しさを和らげてくれる。

[看護記録]
19時帰院。面会終了時大泣きするが、同室児と遊んだり、ナース抱っこしたりして落ち着く。
「寝ない」と車で遊んでいたが、1人にしておくと入眠した。発語多く、ナースにも自ら寄ってくる。ずいぶんと慣れた印象あり。

[食事]
○朝食        ミートパスタ1くち・パン1/4枚・お茶漬け1杯・ヨーグルト・牛乳
○おやつ     ベビーラーメン(少)
○昼食        チーズバーガー1/3個・スプライト・アイスクリーム
○夕食        野菜やきそば・ゴマ入り茶漬け・水100t

1999.6.21(月) 神奈川県立こども医療センター入院 69日目 Bランク解除 ・ 外泊

AFP 24(↑)
(*ついにAFPが上がりました。化学療法をするとしばらくして上がり、その後下がって次のクールには前回と同じくらいの数値になるという停滞状態のはじまりでした。)

[処置]
CT(肺・腹部) ・ 採血 ・ フィルター交換 ・ 包交

[採血結果]
好中球        585                             ヘモグロビン 10.4
白血球        4500                           GOT          44
血小板        37万9000                    GPT          18

○爽母
昼から肺とお腹のCT検査。そろそろ次の治療だが、好中球が少ないため(*抗がん剤開始は好中球1000個以上)、3時半、外泊へ。

○爽父
夜、家に帰ると元気な爽がキャーキャーはしゃいでいるのを見て安心した

[胸部・腹部CT検査結果] 
前回のCT(99/5/12)と比較。肺野に転移巣と思われるような病変は指摘できない。
胸水もなし。縦隔肺門リンパ節腫大なし。肝右葉に線状のlow density area(*低濃度域)を認めるが、前回に比べて目立たなくなっており、術後の変化を見ているものと思われる。
そのほか、肝内にrecurrence(*再発)と思われるような病変なし。腹部大動脈周囲にも明らかなリンパ節腫大なし。腹水なし。
【結果】   No evidence of metastasis and recurrence.(*転移・再発を認めない)

[看護記録]
薬嫌がり、「イヤッ」と。ナース2人で押さえ、どうにか飲める。内服後はケロッとし、機嫌よい。言葉が文になるとが多くなった。
9時30分、ST3。採血。11時20分、ネンブタール0.7。ネンブタール追加。25分、コントミン。14時、IVHロック。

[医師カルテ]
言葉が二語文になってハッキリしゃべるようになってきた。

[使用薬剤]
ネンブタール 0.7 /0.3            ・コントミン                   ST3

[食事]
○夕食        ゴマ入り茶漬け・コロッケ1個・アイスクリーム


1999.6.22(火) 神奈川県立こども医療センター入院 70日目 外泊
○爽母
夫は、ヘパ生プッシュのヘルプのため午前中休む。最近爽の情緒が少し不安定で、時々狂ったように暴れる。入院中のストレスが強いためと思われ、寝言なども病院でイヤな処置をされているような内容。ヘパ生プッシュの最中に動くと、最近が血管に混入し危険なため休んでもらった。
(*『ちょっと寄り道(4)』で書きましたが、爽は入院数ヶ月くらい経ってから一時あまり泣かなくなります。泣かなくなる前にはずいぶんと情緒が不安定になりました。もともとはおだやかな子でしたが、この日の記述にもあるように時々狂ったように同じ言葉を何度も繰り返したり暴れたり、寝言で「いやー!」「やめて!おわりー!」などとうなされることがありました。この時点でもっと子供の心が安らぐようにあれこれすればよかったのかもしれませんが、この頃は肝芽腫の腫瘍マーカーであるAFP(エイエフピー)が上がったり下がったりを初めた頃で、私自身も「再発か転移か」という恐怖に精神状態がかなり不安定になっており、そういうことを思いつける状態ではありませんでした。)

[食事]
○朝食        お茶漬け1杯・ハム1枚・プリン1個・水
○昼食        野菜と卵のラーメン・ヨーグルト1個・ポカリ
○おやつ     ポテトチップス
○夕食        メンチカツ1くち・お茶漬け1杯・アイスクリーム

1999.6.23(水) 神奈川県立こども医療センター入院 71日目 外泊

[食事]
○朝食        お茶漬け・ヨーグルト・アイスココア
○昼食        いなりずし3個・パン1/4枚
○夕食        野菜のトマト煮・お茶漬け・水・カルピス

○爽母
11時前、友部母来る。