6    1999.6/24 - 7/7 (入院72日目 〜 入院85日目)

★ ちょっと寄り道(5) AFP
肝芽腫にはAFPという腫瘍マーカーがあり、血中のAFPを調べることによってがん細胞がどのくらいいるのかが分かります。正常値は10以下です。爽は発症時3万9000ありましたが、手術で目に見えるものは全部取れたので術後はある程度順調に下がってきていました。
ところがこの頃から『化学療法をやるとその後1週間くらいまでAFPが上がり、その後下がって次の治療直前にはまた元通り』という停滞パターンが始まりました。発症時に破裂と腫瘍塞栓があったので細胞単位でまだがんが残っているからだったのですが、正常値まであと一歩というところで停滞が始まったのは、精神的にかなりきつかったです。入院中も退院してからもずっと緊張状態から解かれることはありませんでしたが、最初に「がんです」と言われた時と同じくらい辛い時期でした。精神的なものから体調もあまりよくなくなり、胃痛と下痢が1ヶ月続くパターンを繰り返し、もともと偏頭痛もあったので調子の悪い時には出かける前に偏頭痛の薬と胃薬と下痢止めを飲み、病院で治まらなければさらに鎮痛剤を飲むという薬漬け(?)の毎日でした。

がんの中で腫瘍マーカーと呼ばれるものはいくつもありますが、そのほとんどは『参考程度』のもので、数値が高いからと言って必ずしもがんであるとは限らないこともあります。つまり信頼性が高いマーカーはそう多くはないのですが、肝芽腫におけるAFPは数少ない信頼性の高いマーカーのひとつです。通常の採血で測れますし信頼度も高いので逆に治療中も退院してからもある意味AFPに振り回されるというか一喜一憂させられてしまいます。一喜一憂させられるのは親の心身にはとても悪いのですが(^-^;)、でも何でもなければそれでよかったと言えるので、再発の時など早い段階から分かるマーカーがあるのは「よかった」と思います。

ただ最近、AFPが全くの正常値なのに肺に再発するというケースが会員の中でも何人かいたのが気になります。
肝芽腫では現在のような強い化学療法をするようになってまだ15年くらいですし、その間JPLT(日本小児肝癌スタディグループ)に登録して治療した子はたぶん500人もいないので、その中でさらに再発した子は少なく統計としてはなりたたないのかもしれないのですが、強い治療をすることにより「AFPを出さない変化したタイプの腫瘍細胞」が出来てしまったのだろうかと素人としては考えてしまいます。病院によっては退院してある程度経つとAFPが正常値なら画像検査はしないというところもあるようですが、そんなこともあるので画像検査はしてもらうことをおすすめします。(2006.1.12)

1999.6.24(木) こども医療センター入院 72日目 帰院
AFP 19(↓)

[処置]
採血・蓄尿(24時間)

[採血結果]
好中球        512                    血小板       36万5000
白血球        5000                    GOT          44
ヘモグロビン  11.5                     GPT          16

○爽母
好中球が1000を超えたので、明日から第3回抗がん剤投与となる。
3時すぎ、Dr.Aよりこれまでの経過について報告がある。肝臓・肺に転移・再発はなく、AFP値も順調に下がっているが、「今後一度は上がると思う」とのこと。(*たしかに後にAFPが21から24になった。)本日は夫も一緒に来る。

○爽父
7時の帰り際、Dr.Aが来てくれて、本当にありがたかった

[医師カルテ]
2コース後までは完全に正常域までにはならず。3コース後AFP正常化しないなら他のregimen(*治療方式)への変更も考慮。
CDDP(*抗がん剤シスプラチン)蓄積性もあるので、必要ありそうなら自家骨髄も採取しておく。

1.CDDP 40r+生食     → トータル240ml(10ml/h)  24時間持続
2.THP-ADR 15r+生食 → トータル120ml(10ml/h)   48時間持続

[看護記録]
10時帰院。採血はIVH赤ルートより試みるが引けず、末梢から。「血管に対し、ルートが太いので引きにくい」とドクター。
10時30分、蓄尿開始。夕食中、尿パックより尿もれ、「いたい、いたい」と泣く。
19時50分、ST3接続(*ハイドレーション開始)

[使用薬剤]
・ST3

[食事]
○昼食        パン1枚
○おやつ     プリン・ポカリ
○夕食        パン2枚

1999.6.25(金) こども医療センター入院 73日目 第3回抗がん剤投与開始

[処置]
シスプラチン(*抗がん剤) 40r(24時間持続)・蓄尿(10時30分終了)・包交

○爽母
抗がん剤投与10時から始まる。

[看護記録]
(夜中の)1時に尿パック貼りかえ。「ズボン、ズボン」と眠りながら言い、終わる頃目覚めてしまい、ねんねと促すと「しない」と言うもすぐに再入眠する。
6時起床。(尿パックは)はがしていない時でも「いたい!」を連発。陰部発赤してきている。
9時30分、カイトリル (*制吐剤)点滴。10時、ブリプラチン (*シスプラチンの商品名)40r開始。嘔気嘔吐なし。
前回治療中、真夜中から嘔吐頻回であったが、今回22時にカイトリルで大丈夫か。

[使用薬剤]
・ブリプラチン (*シスプラチン)40r            
・ST3             
・カイトリル (*制吐剤)0.4r を3回

[食事]
○朝食        パン2枚
○おやつ     ヨーグルト1個
○おやつ     牛乳(少々)

○爽父
母、茨城へ帰る。義母が来てくれる


1999.6.26(土) こども医療センター入院 74日目 第3回抗がん剤投与2日目

[処置]
ピラルビシン(*抗がん剤)15r(24時間持続) ・ 包交 ・ フィルター交換

○爽母
夫と2人で行く。いつもは1日目の抗がん剤だと吐くのだが、今回は大丈夫だったよう。但し食欲はあまりなし。

[看護記録]
(朝)嘔気嘔吐なし。好きなものは良く食べるが、臥床していること多い。
10時、ブリプラチン終了。入浴後10時30分、カイトリル (*制吐剤)0.4ml点滴。ピノルビン(*ピラルビシン)15r開始。
1人でベッドにいて何度も何度もナース呼ぶ。そばにいるとおしゃべりさかん。
15時、包交・フィルター交換。泣いて動く。両親そばにいると「ホンダで帰ろう」と言う。
日中嘔気嘔吐なし。活気あり。面会中も「くつ」「下りる」と言って活動的。
面会終了後は1人でミニカーで遊んでいるうちに眠る(19時30分)。布団かけること嫌がり、かけると「しない。イヤ!」と言ってとても怒る。
(*『ホンダで帰ろう』は、当時私の実家の車がホンダアコードで外泊の時には父が運転してくるか夫が実家で借りて乗ってくるかが多かったので、『帰りたい』と言うかわりに『ホンダに乗る』と表現していました。土日は外泊に出てしまう子が多く、たまたま治療中で帰れないと病棟がガランとしているのでよけいに淋しかったようです。)

[使用薬剤]
・ブリプラチン (昨日〜10時終了)                   ・カイトリル (*制吐剤)0.4r
・ピノルビン(*ピラルビシン・THP-ADR)15r    ・ST3

[食事]
○朝食        パン・納豆
○昼食        パン2枚
○おやつ     アイスクリーム
○夕食        パン・海苔
○おやつ     おっとっと(少)


1999.6.27(日) こども医療センター入院 75日目 第3回抗がん剤投与3日目

[状態]
嘔吐 ・目の下にクマ(*貧血によるもの)

[処置]
ピラルビシン投与

○爽母
午後3時頃から眠たそうにしていたが、夕食直前になって眠る。5時半、看護婦さんに「夜眠れなくなるから」と起こされ、機嫌悪し。
だらだらと夕食のパンを食べ、おやつの時間になってしまうが、おやつのカスタードケーキは食べず。点滴がついていて行動の制限が多いのでストレスがたまっているよう。
帰り際、同室のMちゃんのお母さんが窓のブラインドを閉めると、もう帰る時間と察して泣く。今日から再びMちゃんと同室。
(*ブラインドを閉めるのを見た瞬間「わーん」と声を出して泣き出した時は驚きました。『こんなに小さくてもちゃんとわかっているんだ』と。)

[看護記録]
(朝の)ファンギゾン飲んだ後45分して嘔吐。その後午前中1回だけ吐き気ある様子だったが嘔吐なし。
11時40分、カイトリル投与。12時20分、ピノルビン(*ピラルビシンの商品名。抗がん剤)投与。嘔気嘔吐なく夕食摂れる。
面会終了時泣くが、すぐに落ち着きビデオを見ながら上機嫌でおしゃべりしている。19時30分、入眠。

[食事]
○朝食        豆腐3くち
○昼食        パン2枚
○おやつ     ジョア
○夕食        パン1/2枚・海苔
○おやつ     食べず


1999.6.28(月) こども医療センター入院 76日目 第3回抗がん剤投与終了

 爽 2才6ヶ月 

AFP 18(↓)

[状態]
肝機能障害

[処置]
ピラルビシン投与(13時40分まで) ・ 採血

[採血結果]
GOT        251                   GPT        216
白血球     4100                  ヘモグロビン 11.0
好中球     1394                  血小板       25万

[医師カルテ]
肝機能障害 GOT 251(←) ・ GPT 216(←)

○爽母
食欲あまりなし。肝機能があまりよくないせいらしい。
また部屋を移る。先週入院してきた男の子と同室になる。(*後にこの子も肝芽腫と判る。肝芽腫の子が同時期に同じ病院に入院しているというのは珍しいらしい。こども医療では肝芽腫の子は90年代に入って爽で6人目。同室の子は7人目)。
明日、外泊出来るとのこと。
初めてAFP20以下(AFP19。正常値は10以下)となり、Dr.Aが報告に来てくれる。

[看護記録]
(朝の)内服、全身で抵抗示し、押さえて飲ませる。歯磨きも嫌がる。「じゃあ自分でやって」と言うと上手に出来る。「すごい、すごい」とほめると得意げに歯みがき続ける。ピノルビン点滴中だが嘔気嘔吐なし。昼食のチキンライス、おかわりする。13時40分、ピノルビン終了。機嫌よく、おしゃべりも多い。治療のあとだが嘔吐なくすごす。19時30分、入眠。

[食事]
○昼食        チキンライス2杯
○おやつ     オレンジジュース
○おやつ     マドレーヌ・牛乳(少)

○爽母
11時前に茨城の義母来てくれる。


1999.6.29(火) こども医療センター入院 77日目  外泊

[状態]
朝、嘔吐 ・ 体重10.6s

[処置]
包交 ・ フィルター交換 ・ IVHロック

○爽母
朝10時に下の子を三種混合の予防注射に連れて行く。下の子は注射の後5秒くらいして「ギャー」とひと泣き。

いったん戻ってから病院へ向かう。11時40分に病院に到着し、大急ぎで売店のお弁当を食べ、12時前に病室へ行く。爽は昼食後の歯みがきを終えたところで、薬とヘパ生の用意もすでに出来ており、すぐに着替えてタクシーで帰宅。(*入院中の外泊は感染症を避けるため、タクシー)。肝機能の数値が少し高いので心配だが、特に食事の制限はないとのこと。
夫は6時ころ帰るということだったが、結局8時前帰宅。爽は帰宅後車のおもちゃを乗り回したり、テーブルの周りを走り回る。

(*今GOT、GPTがともに3桁の肝機能だったらびっくりして「大変だ!」と思うのでしょうが、当時は「こういう状態ではよくあることなのかな」くらいしか分かっていませんでした。それでも肝機能が悪くなるとやはり何となく元気がなくなって食欲も落ちて、なぜか水など水分をたくさん採るようになりました。)

[看護記録]
朝食後せきこみ、嘔吐1回あり。昼食時も食欲はあるが、あまり量はすすまない。嘔吐はなし。
11時、包交・フィルター交換し、IVHロック。12時15分、外泊へ。

[食事]
○おやつ     ヨーグルト2個・ポカリ1/3杯
○夕食        カレー2皿・かぼちゃ1片


1999.6.30(水) こども医療センター入院 78日目 外泊

[状態]
肝機能障害

○爽母
部屋の中を走り回って遊ぶ。
(*病院のBランクの部屋の中でも、外泊で家に帰っても爽はよく走っていました(笑)。いつだったか骨髄抑制で貧血がすごく、真っ青な顔なのに病院のプレイルームで走っていた時、婦長さんに(今は看護師長というんですけど当時は婦長さん、看護婦さんでした)「爽ちゃんは何だってこんなひどい貧血なのに走れるんだろうねぇ・・。ものすごくエネルギーがあるっていうか、もう余っちゃってしようがないんだねぇ」と驚かれました。この『ひどい貧血なのに走れるほど元気』というのが後々騒動の元になるのですが、それはまたその時に・・)

[食事]
○朝食        ゴマ入り茶漬け・プリン・カルピス
○昼食        スパゲッティミートソース1皿・ヨーグルト1個・水
○おやつ     ポテトチップス(少)・カルピス
○夕食        ミートドリア1皿・カルピス(少)・アイスクリーム


1999.7.1(木) こども医療センター入院 79日目 帰院のち外泊

AFP 20(↑)

[状態]
肝機能障害 ・ 骨髄抑制

[処置]
採血

[採血結果]
GOT        62                   GPT        103
好中球     595                 白血球      4200

○爽母
10時前に帰院し、採血。12時半、結果出る。まだ好中球大丈夫とのことで1時半帰宅。
2時半から5時半まで昼寝。爽、下の子とも遅くまで眠らず。
暑気のため下の子、朝の暗いうちから目をらんらんとさせる。

[食事]
○朝食        ヨーグルト2個・お茶漬け1/2杯・ポカリ
○昼食        パン2枚
○おやつ     ヨーグルト2個
○夕食        トマトスパゲッティ2/3皿・お茶漬け1/2杯・ココア牛乳2本


1999.7.2(金) こども医療センター入院 80日目 外泊

[状態]
肝機能障害 ・ 骨髄抑制 ・ 食欲低下

○爽母
日中、ヨーヨー・マのマネをさかんにする。夜はあまり食欲なし。
(*ヨーヨー・マは世界的なチェリスト。この頃爽は『リベルタンゴ』という曲にはまる)

[食事]
○朝食        ごま茶漬け2/3杯・ココア牛乳・ポカリ
○おやつ      ヨーグルト
○昼食        ざるそば1杯・ココア牛乳
○夕食        ふりかけごはん・アイスクリーム・水

○爽母
下の子はずりばいをし、あっという間にマット2枚分を移動。


1999.7.3(土) こども医療センター入院 81日目 外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 夜嘔吐 ・ 下痢 ・  IVH刺入部に血栓出来かかる ・ 微熱

○爽母
昼11時、茨城義父来る。「元気そうだ」と喜び、午後義母と共に帰る。
夕食後、下痢。夜10時のヘパ生プッシュは入らないためタクシーで病院に戻る。10時40分着。
IVH刺入部に血栓出来かかっており詰まりかけていたため、Dr.Oが血栓を溶かす薬を注入したりして処置。
11時にタクシーに乗って帰宅するが、家の前でおりる際に爽が車内で嘔吐。かなりの分量だったため運転手に謝り、家で様子を見る。
(*IVHはそのままにしておくと血栓が出来て詰まってしまうためヘパリン生食液を12時間ごとに注入して詰まるのをふせぐのですが、それでも血栓が出来てしまうことがあります。爽も3回くらい詰まりかけました)

○爽父
今日は少し朝から熱があったし、くちびるも白かった。疲れたのか、帰宅後すぐに眠る

[看護記録]
21時30分、母よりTEL。「IVHの白(*白いルート)をヘパ生プッシュするが全く入らない。硬くて抵抗強い。赤はいつも通りスムーズに入った。白も朝10時にやった時はちゃんと入った」。当直ドクターにコールし、上記報告すると、「帰院してもらって下さい」とのこと。
22時40分、一時帰院。ヘパ生プッシュとIVH包交をDr.O施行。
「少しつまり気味だったようだ。また家に帰って硬かったり、押せなかったりするようなら、病棟に連絡下さい」と、ドクター。
23時、再外泊。

[食事]
○朝食        ラーメン・ヨーグルト
○おやつ     ヨーグルト
○昼食        ヨーグルト・ポカリ
○おやつ     ヨーグルト2個・ココア牛乳
○夕食        スパゲッティ(少)・焼きおにぎり(少)・ヨーグルト


1999.7.4(日) こども医療センター入院 82日目  外泊

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 発熱38度2分 ・ 嘔吐

○爽母
夜中1時半、嘔吐。熱38度2分。
朝8時、熱37度8分。
12時30分、熱37度2分。
夕方からは平熱となる。

[食事]
○朝食        お茶漬け・水
○昼食        焼きそば・ココア牛乳(少)・ウーロン茶・水
○夕食        ごはん・たらこふりかけ・水


1999.7.5(月) こども医療センター入院 83日目 帰院のち外泊・・のちBランク

AFP 23(↑)

[状態]
骨髄抑制 ・ 帯状疱疹接触

[処置]
ガンマグロブリン製剤(ベニロン)投与 ・ 採血 ・ ゾビラックス(*抗ウィルス剤)服用開始

[採血結果]
好中球       180                             血小板       9万8000
白血球       2000                           GOT          49
ヘモグロビン  9.0                              GPT          45

○爽母
Bランクだが、明日午後2時まで外泊許可となり、午後2時いったん帰宅するが、夫が帯状疱疹と判明し、ただちに病院へ連絡。
7時10分頃、実家父の車で病院に戻る。
ただちに個室管理(また412号室)となり、ガンマグロブリン製剤の点滴とゾビラックスの服用を開始。8時半頃私と父は帰宅する。
(*帯状疱疹は水痘と同じウィルスのため、抗がん剤治療をしている子供にとっては最も恐ろしい伝染病のひとつです。そのため水痘をやったことがある子供以外はたとえ予防接種をしていたとしても、また感染したかどうか判らなくても「接触」が判明した時点で治療を始めます。抗ウィルス剤のゾビラックスがない頃は、ガンの治療中に水痘に感染し抗がん剤治療を延期せざるを得ない間に、再発や転移をして命を落とす子が大勢いたとの話を後日、Dr.Aより聞きました。)

[医師カルテ]
18時、自宅より電話あり「父、帯状疱疹」とのこと。先週末(7/1)くらい? 7月1日に父発症。この日に接触したとして、爽ちゃん潜伏期間10日まで。爽ちゃんにうつっていたとして、(*他の子への)感染期間は8日から。
本来なら観察期間4週間(ベニロン後)。予防接種済みであり、さらに水痘高力価ベニロン(*ガンマグロブリン製剤)投与しているので、おそらく発症はしないだろう。
感染症科のドクターへコンサルトし、今は他者への感染力ないので、そのまま帰棟。
ベニロンdiv(*点滴)とし、周囲の児への対処はなしでOK。
VZV-IgG(EIA)(*水痘の抗体)結果出るまでは個室管理としたほうがよいだろう。

[看護記録]
9時45分、帰院。採血後14時、外泊へ。

19時30分、帰院。412号室へ。母、祖父とともに帰院。ナース見ると泣いて母に「抱っこ」と。発疹なし。眠そうな表情。
Dr.Aより説明あり。20時、母、祖父帰る。20時30分、ベニロン点滴開始。
「Aせんせいー」「クツはく」「テレビ見る」など訴え多いが、ビデオつけるとすぐ眠る。
23時50分、ベニロン終了。24時、411号室へ。

[使用薬剤]
・水痘用高力価ベニロン 215g
・抗ウィルス剤ゾビラックス20r/s(1週間内服)
・ST3

[食事]
○朝食        ざるそば2杯・ヨーグルト1/2個・ウーロン茶1/2杯


1999.7.6(火) こども医療センター入院 84日目 Bランクのち1西隔離病棟

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱 ・ 体重11s

[看護記録]
6時50分、起床。朝方から鼻をぐずぐず言わせているが鼻汁なし。白血球低下に伴う感染の可能性あり。熱発注意。
内服抵抗し、「おわりー」「いやー!」と激しいためナース2人がかりで内服する。
「さんぽ」「くつはくー」等ストレス強いようで何をするにも抵抗大。

[医師カルテ]
7月7日より感染期間となるが、4東でAランク児(*骨髄移植をして無菌室に入っている子)と一緒の管理難しいとのことで、1西隔離病棟へ転棟。
7月5日、ベニロン点滴。6日から12日ゾビラックス20r/s 1week 内服し、これにより水痘発症しないだろうとして予定通りchemo(*化学療法・抗がん剤治療のこと)も始める。

○爽母
Bランクから4時すぎに1西の隔離病棟に移る。金曜日に抗体検査の結果が出るまでとのこと。ただし、抗体ない時は4週間隔離されることになる。6時すぎに聴力検査。

[看護記録]ここから1西病棟
16時30分、母に抱っこされ、マスクをして転棟してくる。16時45分、検温・計測。体重測定嫌がり、母に抱っこされ、無理やり測定する。意外と頑固。4東よりIVH触ったりはしないが、ベッド上動き回るので注意してほしいとのこと。
いろいろとおしゃべりしてくれる。検温しようとすると、「もしもし?いいよ」とすんなり行わせてくれる。微熱あるが著変なし。
薬はとても嫌がり大暴れする。「4東でも大変だった。私があげる時も、手足顔を押さえてあげていた」と母より話される。
母帰った後、部屋から出ようとしたり少し泣いてぐずるが、Dr.Aに相手され機嫌よくなり、「おかあさん帰っちゃった」と、おしゃべりさかん。
(*病棟が変わって看護婦さんも知らない人ばかりになってしまった上に私が面会終了で帰ってしまったのですが、そんな時主治医がしばらく一緒に遊んでくれました。この時ばかりでなく、休日にAランクの子の様子を見に来た帰りに顔を見によってくれて小1時間遊んでくれたり、とっても優しい主治医で爽も私もこの主治医が大好きでした。)

[食事]
○おやつ     ヨーグルト
○夕食        パン・マヨネーズ・麦茶


1999.7.7(水) こども医療センター入院 85日目 1西隔離病棟

AFP        21(↓)

[状態]
骨髄抑制

[処置]

採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
血小板        3万3000
白血球        2000
ヘモグロビン   9.1

[看護記録]
夜間良眠。右の頬に1ヶ発疹あり。虫刺され様。
内服とても嫌がり、がっちり押さえ込んで口腔内に入れれば飲む。食事もゆっくりマイペース。機嫌よくおしゃべりもさかん。
ベッド上ではつまらなく、くつをはきたがり、母の面会があってからは自由に過ごし嬉しそう。母と共に遊び、ご機嫌。発熱なし。
面会終了後に泣くが、10分ほどすると1人遊びを始める。
20時入眠。
(*入院していた病院は完全看護で親の付き添いはありませんでしたが、大人のように一人でベッドからおりてテレビをつけたり病棟を散歩したり、売店を見に行ったりすることは出来ませんし、看護婦さんは仕事に忙殺されて子供の遊び相手をしている時間はありません。結局親が面会に来てそばについている時だけがある程度自由に遊べる時間でした。)

[食事]
○昼食        パン2枚・ジュース
○おやつ     アイスクリーム
○おやつ     せんべい