23 2000.2.7 -3.11 (入院日目320〜333日目) |
★ ちょっと寄り道(22) 家庭の事情 | |
この頃の看護記録には『奇声を出す』、『大声を出す』、『騒いでいる』などという記述が多く出てきます。 もちろん治療や長い入院生活そのものにもストレスを感じていたわけですが、私と夫の両方の母が体調を崩して爽の弟の世話に来られなくなって以来、午後2時から7時までの面会時間の半分も行かれなくなったのも大きな理由だったかなと思います。 当時住んでいたマンションの隣人が毎日下の子を預かってくれてその時間だけは面会に行くことが出来、今考えても私としては精一杯よくやったと思いますし(^-^;)、3才の子供は子供なりに事情は理解しているので私に面と向かって「もっと来て」というようなことはありませんでしたが、この頃の看護記録を読むとやっぱり『荒れていた』なあと思います。 子供の長期入院中はたぶんそれぞれの家庭にそれぞれの事情があって、もうどう考えてもどうにもならないことの1つや2つはどうしても出てくると思いますが、子どもにとっても親にとっても最善の状態に最も近い『お互いに折り合いのつく点』をみつけてやっていくしかありません。 ただ今ふりかえって当時の自分の思考をかなり冷静かつ客観的かつ容赦なく見ると、やはり爽のほうを重要視していたことは否めません。 生命の危機に直面している爽に対して、下の子はごく普通に順調に成長していたので、もちろん「明日何があるか分からない」のは誰にとっても同じですが、現実感としての危機は感じていなかったので、「下の子は何とかなるだろう」とどこかで思っていました。 そのことが後々下の子の登園拒否にもつながっていったことは事実です。 当時の私には肉体的精神的な余裕が全くなく、そのことに多少気づいて「もっとこうしたほうがいいんだろうなあ」と思いつつどうにもなりませんでした。 もし今入院中で兄弟児のいる方がこれを読んでいたら、今よりほんのわずかでよいので兄弟姉妹への優先ポイントをあげてみて下さい。 でも当時の私のようにすでに潰れそうでいっぱいいっぱいの方は・・・・・心配しなくて大丈夫ですよ。 「気づいてさえいれば」・・・・・取り戻せます。 (2006.9.21) |
★2000.2.27(日) こども医療センター入院 320日目 | |
[状態] |
★2000.2.28(月) こども医療センター入院 321日目 | |
AFP 7.3 |
★2000.2.29(火) こども医療センター入院 322日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.1(水) こども医療センター入院 323日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.2(木) こども医療センター入院 324日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.3(金) こども医療センター入院 325日目 帰院のち外泊 | |
AFP 7 |
★2000.3.4(土) こども医療センター入院 326日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.5(日) こども医療センター入院 327日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.6(月) こども医療センター入院 328日目 帰院のち外泊 | |
AFP 7.1(↑) |
★2000.3.7(火) こども医療センター入院 329日目 帰院のち外泊 | |
[状態] |
★2000.3.8(水) こども医療センター入院 330日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.9(木) こども医療センター入院 331日目 外泊 | |
[状態] |
★2000.3.10(金) こども医療センター入院 332日目 帰院のち外泊 | |
AFP 8.6(↑) |
★2000.3.11(土) こども医療センター入院 333日目 外泊 | |
(*この頃になると、気持ち的にも現実的にも『退院』が視野にきちんと入るようになったことや、下の子の預け先や時間などの調整を毎日しなければならなくなり、安心と慌しいが一緒になってさらに記録は滞りがちになりました。) |