20    2000.1.16-1.29  (入院日278目〜291日目)


★ ちょっと寄り道(19) ポジティブじゃない?
子供が「小児がんです。」と言われてショックを受けて落ち込まない親はまずいないと思いますが、うちのように退院して再発せずに6年経っているのに当時の闘病記録をこうして書いているのってどう思われてるのかなと、ふと思いました。
私自身は、これから治療をする方に「こんな感じで治療が進みますよ。何かトラブルがあってもこんな感じで解決しながら進みますから驚かなくても大丈夫ですよ」と言う情報として公開しているつもりなのですが。
会のホームページでは病気についてだけでなく、『晩期障害』のこともあれこれ書いていますし、掲示板などでもけっこう晩期障害についての話題があるので、うちだけでなく皆が日々再発や晩期障害を恐れて暗い顔で暮らしていると思っている方がもしいらっしゃいましたから、それは大きな誤解であることをここに宣言します(笑)。

ここ何年か『ポジティブ』と言う言葉がそれこそタイムサービスのように大安売りされて出回っていますが、『ポジティブ=楽観的』『ポジティブ=明るい』と勘違いしている人や、『負』の部分を口にした途端「あなたの考え方はポジティブではない」と言う人、はては『ポジティブ=深く考えず何とかなるさで明るいこと』と言うように『ポジティブ=脳天気』と完全に勘違いしている人までいるようです。
そもそも『ポジティブ』と言うのは「積極的・肯定的」という意味で「前向き」などと訳されることが多いわけですが、うんとしんどいことを押しのけて『ポジティブ』にやっていくにはたぶん大きく分けて2通りのタイプがあると思います。

ひとつは『しんどいこと』を考えずにとにかく前へ進むことを第一に考えてやるタイプ。
もうひとつは、『しんどいこと』の中で潰せるものは潰しながら前へ進むタイプ。

私は明らかに後者タイプで、だからこそ病気のことも「しんどい負の部分」も含めていろいろ知りたいと思い、知ることでそうなった時の『次の一手』を考えながら前へ進んでこれたのかなと思います。なぜ今回こんなことを書いているかと言うと、
『肝芽腫のステージVまでは今や治せるのだからもう少しポジティブな面を発信してはどうか』
というご意見を協力医ではないある医療者の方からいただいたのですが、どうしても違和感がぬぐえず、その理由を考えていたからです。

「ステージVまでなら治る」と言いきることは、一見明るく希望に満ちているようですし、テレビなどで小児がんと言うとすぐに悲しい結末になることが多いのでそういう『ワンパターン』を改善してもらうためにはよいかもしれませんが、マスコミと言うのは扱いの振り幅が必ずどちらかに偏ってしまうので今度は『小児がんは今や簡単に治る病気』と言う逆の誤解を生み出すだろうと思います。

 - 楽観的に構えていても治るほど簡単な病気ではないけれど、ステージVでも治る子が7割、ステージWでも治る子もいる。

これが少なくとも現在の肝芽腫の正しい表記のように思います。
いろんな肝芽腫の子を持つ親の方たちを知っている1人の親としては「ここまでなら治る」と言いきってしまうことに違和感がぬぐえなかったのです。肝芽腫の会の中にはステージVで亡くなった子もいますし、ステージUで絶対治るはずなのに二次性白血病(使った抗がん剤の副作用による血液のがん)で亡くなってしまった子もいました。ステージVの5年生存率は現在70%を超えたので、医学的にはそう言うこともできるのでしょうが、『親にとっての確率は治るか治らないか、100%か0%かのどちらか』なのです。(これは入院時の主治医が医学生時代に教授から「このことを常に忘れないように」と教えられた言葉だそうで、私は非常に感動しました。)
また親の立場だからだけでなく、大腸がんで亡くなったアドバイザーのDr.Tは「5年生存率が60%もあるんだから大丈夫ですよって以前は言っていたけれど、自分がなってみると75%でも嫌なものだね」とおっしゃっていました。
もちろん100%の確率であればぜひ言い切っていただきたいのですが、そうでないのに線で切ってしまうと、そうではなかった子が『例外的症例』として影に追いやられてしまうような悲しさを感じてしまうのです。
肝芽腫に限らず小児がんの子を持つ親は、日常では普通に明るくせいいっぱい頑張って暮らしていますし、子供自身は病気だったことすらほとんど忘れて暮らしています。そうすることで親も子も1人1人が「こんなに元気にやってるよ!」と周りに発信しています。ポジティブな面はそれぞれが日常的に周囲に発信しているのです。
だからこそ時にはそのしんどさや悩みや不安を吐き出せる場所として、不安の存在を認めた上でその解決や軽減のための情報を与えてゆく所として、つまり『ポジティブな面を発信すると言うより、ポジティブな気持ちで頑張れるための情報を発信する』親の会のような所が必要なのではないかなと思ますし、本当の意味でポジティブになるためには、ネガティブな情報の掲載も必要なのです。 (2006.8.8)

2000.1.16(日) こども医療センター入院 278日目 外泊  

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 吐き気

[外泊記録]
今回の外泊中は、走り回っていたかと思うと急にうずくまったり、食べていて「気持ち悪い」と言った1、2分後には吐いてしまうというように、体調は悪いようです。便もずっと下痢です。ただ、普通の子のようにずっと具合悪そうなのではなく、元気かと思うと急に元気がなくなり、またしばらくすると元気になるという繰り返しです。

[食事]
○朝食        食パン1/3枚・マーガリン・お茶50t
○昼食        クロワッサン2個・お茶50t
○夕食    クロワッサン1くち・ふりかけごはん3くち・お茶250t


2000.1.17(月) こども医療センター入院 279日目 帰院のち外泊 

AFP 16(↑)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        138
GOT           88
GPT           108

[看護記録]
9時30分帰院。13時30分、外泊へ。

○爽母
私が爽を連れて行き、1時すぎに帰宅。
夫はそれから出勤。

[食事]
○朝食        クロワッサン1個・お茶50t・ヨーグルト1/2個
○夕食        スパゲッティミートソース・お茶50t
○おやつ       ビーフジャーキー(少)・お茶200t


2000.1.18(火) こども医療センター入院 280日目 外泊  

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 下痢

○爽母
昼食後、下痢。

[食事]
○朝食        クロワッサン2個・お茶100t
○昼食        スパゲッティミートソース1皿・お茶50t
○夕食     パン2枚・お茶


2000.1.19(水) こども医療センター入院 281日目 Bランク  

AFP 11(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 下痢 ・ 体重12.03s

[処置]
採血 ・ 血小板輸血

[採血結果]
好中球        136                            血小板        1万9000
白血球        800                            ヘモグロビン   7.6

○爽母
隣のSさんに下の子を預け、病院へ向かう直前に爽が転倒し、コブを作る。
すぐに病院へ電話し、タクシーで行く。
そのまま1時間ほどいて私は帰宅する。(Sさんの子が幼稚園から帰るため、Sさんがお迎えに行かなくてはならないため)

[看護記録]
13時帰院。帰院前、自宅で転倒したとのこと。おでこ・左頬に内出血みられている。
BP(*血圧)著変なし。本人おしゃべりさかん、活気大。
16時20分、血小板輸血開始。17時30分、入眠中。
18時40分、母面会。
20時15分、輸血終了、198ml。
弟の面倒みてくれる人がなく(祖母の具合が悪くて)しばらくの間、面会は近所の人がみてくれる昼ごろか、18時30分以降になる予定とのこと。明日はまだ分からず、面会前に電話するとのこと。

[食事]
○朝食        プリン1個・パン1/3枚・お茶(食後下痢)
○昼食        うどん・お茶
○夕食     ごはん1/2杯


2000.1.20(木) こども医療センター入院 282日目 Bランク  

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害 ・ 午前中微熱

[看護記録]
夜間まずまず良眠。「お母さん来る?」と聞いてきたりする。7時起床。
午前中微熱あるもそれ以上の上昇なし。鼻閉続く。肺音はクリア。
下におりたがるが、おろしても走り回ったりはせず。
15時30分、母面会。児、特にぐずることなく遊んでいられる。
21時、本を読み添い寝するとすぐに入眠。

○爽母
3時から5時まで隣家のSさんに下の子をみててもらい、病院へ行く。
(*夫と私それぞれの母が体調を崩してしまってからは、毎日の面会もわずかな時間しか行かれなくなりました。爽にはおばあちゃんたちの具合が悪くなって弟の世話が出来なくなったから、たくさん面会には来られないという事情は話し、爽も「分かった」と言ってそれについてどうこう私に言うことはありませんでしたが、看護師さんにはその日私が来るかどうかを聞いたりしていたと知った時はやはり胸が痛みました。)

[食事]    
○おやつ      プリン
○夕食        ごはん1杯
○おやつ      オレンジジュース


2000.1.21(金) こども医療センター入院 283日目 Bランク 

AFP 10(↓)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害

[処置]
採血 ・ 包交 ・ フィルター交換

[採血結果]
好中球        112                  GOT          98
血小板        12万3000         GPT           93
白血球        800                  B2MG       378
ヘモグロビン   7.3                   NAGI         14.0

○爽母
夫、午後から有休を取り、下の子を見る。

[看護記録]
ベッドからおろすと他児と一緒に遊んでいたが、母見ているそばで頭ぶつける。左額部あたりのようだが、内出血等なし。
ドクター来棟、報告する。両親にも再度話をしてもらったほうがよいと思う。
本人も走り回っていたわけではないが、家でもぶつけており、かなり危険と思われる。
ベッド内にいてもらうようにしたほうがよいのか。
20時30分、入眠。

[医師カルテ]
またドアのところにぶつけたらしい。本人変わらず元気。
日曜日に採血してヘモグロビン横ばいか減少なら輸血。

[食事]
○朝食        ごはん
○昼食        ごはん1杯・みそ汁1/2杯
○おやつ     オレンジジュース
○おやつ      カップケーキ・オレンジジュース


2000.1.22(土) こども医療センター入院 284日目 Bランク 

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害

[処置]
包交 ・ フィルター交換

[医師カルテ]
AFP今回のピークも16。

[看護記録]
児を床におろしているが、パタパタ小走りになると、母「もうベッドになるよ!」といつもより本気で叱ること出来る。
転倒見られず、面会終了後もベッド内ですごす。

[食事]
○朝食        ごはん(少)・納豆
○おやつ     アイスクリーム
○夕食        ごはん2杯
○おやつ     オレンジジュース

○爽母
下の子1才となる。生後2ヶ月からあまりかまってもやれず、申し訳なく思う。
茨城の義母、お祝いとして餅を持って来訪、そのまま泊まってくれる。


2000.1.23(日) こども医療センター入院 285日目  Bランク  

[状態]
骨髄抑制

[処置]
採血 ・ 赤血球輸血(200ml)

[採血結果]
白血球        900           血小板        7万2000
ヘモグロビン   7.2

○爽母
下の子と義母も一緒に4人で病院へ行く。
病室には2人しか入れないため、交代で入室し、残った者が下の子を見ていることとする。
義母と下の子が帰ったあと、1階のロビーでお茶を飲んでいると、Dr.AとDr.Iが私の顔を覗き込んだので何事かと思ったら、下の子が来ていることを知って見に来たと言う。もう帰ったと言うと、残念そうだった。

[看護記録]
落ちつきなく、他児のおもちゃをすぐほしがる。転倒打撲なし。
13時30分、ポララミン(*抗ヒスタミン剤)内服。赤血球輸血開始。副作用見られず16時30分終了。
[食事]
○昼食        パン1枚
○おやつ      ジョア
○夕食        ごはん2杯
○おやつ      オレンジジュース


2000.1.24(月) こども医療センター入院 286日目  Bランク  

AFP 12(↑)

[状態]
骨髄抑制 ・ 肝機能障害

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        70                             GOT          44
血小板        6万5000                    GPT           49
白血球        1000           ヘモグロビン   9.5

○爽母
外泊できると思ったが出来ず。(好中球70のため)。

[看護記録]
6時30分起床。本日はファンギゾン内服嫌がる。「まずーい」と。
床マットにテーブル置いて気分転換にてやっと内服。熱発なし。
他児のおもちゃ見て「借りたいの、借りたいの」と大騒ぎ。なだめてもおさまらず、叫び続ける。
面会終了時は抱っこを母からナースへ交替し、「握手でパイパイ」とスムーズ。

[食事]
○おやつ     オレンジジュース
○夕食      ごはん2杯
○おやつ     こつぶっこ・オレンジジュース


2000.1.25(火) こども医療センター入院 287日目  Bランク  

[状態]
骨髄抑制 ・ 微熱 ・ 体重11.5s

[処置]
包交 ・ フィルター交換

[看護記録]
7時起床。熱発なし、鼻閉続く。内服ぐずぐずしてなかなか飲めないが、飲み始めるとスムーズ。
「お母さんいつ来るの?」と聞くことあるが、機嫌よくすごす。母面会16時から19時。
(夕方から)微熱続く。かぜ症状認めず。
面会終了時も「バイバイ」と笑顔。母帰られた後、すぐ入眠してしまう。

[食事]
○おやつ     ミルミル
○夕食      ごはん2杯
○おやつ     オレンジジュース

○爽母
下の子、1才児検診でTこどもクリニック受診。すでにしっかりと歩き、「まんま」「いないいない」「こでー(これ)」などと話す。


2000.1.26(水) こども医療センター入院 288日目  Bランク    

[状態]
骨髄抑制

[処置]
採血 ・ 骨シンチ検査 ・ CT(肺)

[採血結果]
好中球        120
血小板        4万9000

[看護記録]
(*朝食時)「そうちゃんのごはんは?」と聞くが、検査があることを伝えると納得し、おもちゃで遊んでいる。
9時20分、ST3開始。右手の甲に点滴。9時30分、アタP(*前投薬。眠くなる薬)。10時、コントミン。
10時20分、肺のCT。シンチ注射。
13時30分、シンチ撮影。13時50分、途中覚醒のためネンブタール(*麻酔)追加(Dr.I施行)。
19時、覚醒。与薬スムーズ。嘔吐なし。夕食はマヨネーズごはんをペロリと食べる。

○爽母
午前中は肺のCT、午後の骨シンチ検査のためずっと眠り通し。
ちょうど面会に行く途中、1階でI先生と会い、現在シンチをしているとのことだったので、RI棟の前で終わるのを待つ。
夫が6時半頃来るが、7時5分前にようやく目覚める。

[骨シンチグラム検査報告書]
異常集積を認めない。

[食事]
○朝食        禁食
○昼食        禁食
○夕食      マヨネーズかけごはん


2000.1.27(木) こども医療センター入院 289日目  Bランク  

AFP 13(↑)

[状態]
骨髄抑制

[処置]
採血

[採血結果]
好中球        120         血小板        2万4000
白血球        1000     ヘモグロビン   9.1

○爽母
たった一日で血小板半分に減る。

[看護記録]
6時20分起床。発熱なし。起床後水様性鼻汁少しあり。
同室児のおもちゃを見て、「赤いの借りるの。貸してくれるの!!」と話す。今使っているから待っててと話すと一応納得する。
(夕方18時すぎ)母より、「児が同室児のおもちゃを借りたがり困っている。本人に強く言ってもダメ。同室児の母も困っているのがよく分かり、もう疲れちゃって・・・」と。部屋をどうにかしてほしいと。今回はBランクの部屋が2つあるので変えること出来るが、今後変えられないこともあると伝えると母も納得する。
明日外泊予定とのことであったが、母はもう我慢ができないという感じであった。
(410号室へ)。母、移動後おだやか。
20時30分、入眠。
(*車好きの男の子と同室になって7日間、「おもちゃを借りたい」とぐずり続け、なだめるのに疲労困憊した末の出来事でした。)

[食事]
○おやつ     ネクター
○夕食      ごはん3杯
○おやつ     オレンジジュース


2000.1.28(金) こども医療センター入院 290日目  Bランクのち外泊  

[状態]
骨髄抑制 ・ 発熱37度6分

[処置]
 血小板輸血

[看護記録]
6時30分起床。危険行動ないが、注意した時はヒステリックに奇声をあげる。
午前中37度6分。午後解熱傾向にあるが、微熱続く。
12時5分、ポララミン2r内服。12時10分、ルート確保しST3開始。
12時35分より血小板輸血(*10単位)開始。
輸血開始3時間ほどしてから副作用増強(発疹)。肛門部周囲等発赤出現。
15時30分、輸血中止し、強ミノ10ml行い、16時再開するが、再び発疹増強し、発赤著明なため16時10分、輸血中止し、16時40分ルートロックする。
中止後30分ほどすると発疹発赤軽減。発熱(−)、呼吸苦(−)。
夕食後17時40分、外泊へ。「抱っこしてー」と母にせがんでいた。

○爽母 
帰宅後、おもちゃで遊ぶ。久々なのでうれそう。

[食事]
○夕食        ごはん(少)
○おやつ     チョコレート・ミルミル


2000.1.29(土) こども医療センター入院 291日目  外泊  

[状態]
骨髄抑制

[食事]
○朝食        ラーメン1杯・お茶150t
○おやつ      ラムネ菓子
○昼食        トースト1枚・マーガリン・お茶150t
○夕食        ピザ2切れ・お茶200t

○爽母
義母、茨城へ帰る。