13 1999.10.5-10.19 (入院175日目〜189入院日目) |
★ ちょっと寄り道(12) 兄弟としての認識 | |
爽が2才1ヶ月になる直前に弟の慧は生まれました。よくあるように爽も赤ちゃん返りし、慧にミルクを飲ませていると自分のお気に入りの薄がけ布団のカバーの角をしゃぶりながら、隣室のふすまから顔をそっと出して涙目で私のことを見ていたことも何度かありました。 そんな爽が入院したのは、慧が生後2ヶ月半になったばかりの頃です。病院では基本的には治療のない時は外泊させるという方針で、実際に1ヶ月に1週間ほどは自宅に帰ることができましたが、入院後数ヶ月経つとちょっとした変化が出るようになりました。 もともと2才になったばかりだったので入院前も「ぼくはお兄ちゃんだ」という認識はまだありませんでしたが、とりあえず『いつも家にいる家族』であることは分かっていたように思うのですが、それが『外泊で帰ると家にいる変なやつ』とでも言うように微妙に変化してきました。しかも入院後半になればなるほど『なんだこいつは』と感じている様子は強くなっていき、退院してからも半年くらいはその状態が残っていました。 普通であれば、弟が生まれた時に小さくて兄弟であるということが分からなくても、一緒に生活する中で次第に兄弟であり自分が兄であるという自覚が少しずつ出てくるのでしょうが、そんな時に入院し突然分からない場所で日々分からないことがどんどん起きている爽には、その中でいろいろなことを必死に理解しようとするだけでせいいっぱいで、兄弟である慧の記憶は上にどんどん積み重ねられる書類のように埋もれてしまいそうになっていたのかもしれません。 ちょうど同じ時期に入院していて、うちと全く年齢も性別の構成も同じ子がいましたが、その子のお母さんもやはり入院中から退院後まで弟を弟として認識できなくて悩んでいると言っていました。 たまたまこういう年齢構成だとそうなる場合があるのかもしれませんが、入院当時にも「入院中ずっと兄弟が預けられていて、退院してから兄弟仲がどうもしっくりいかない」という話は聞いたことがあります。 これには家庭の事情やそのほかの事情で避けられない部分もありますが、私自身は当時の反省として 「もっと病院で慧の話をすればよかった」 と思っています。私自身そこまで考える余裕がなかったのですが、振り返ってみると病院で弟の様子を爽に話すことは滅多になかったように思います。でももし2才の爽の記憶が途切れないように、どんどん慧の話をしていればかなりふせげたのではないかと思います。 もっともあれほど兄弟仲を心配したのは何だったのかと思うほど、今では毎日2人で一緒に遊んでケンカしています。(ほとんどケンカと小競り合いですが、中が悪くてという感じではなく、ついちょっかいを出して・・・という状態です(^o^;)。) アニメの『トムとジェリー』の主題歌、♪トムとジェリ〜、な・か・よ・く・ケンカしな♪ という歌詞そのままに、トムとジェリーのように暮らしています。(2006.4.25) |
★1999.10.5(火) こども医療センター入院 175日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.6(水) こども医療センター入院 176日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.7(木) こども医療センター入院 177日目 Bランク | |
AFP 16(↓) |
★1999.10.8(金) こども医療センター入院 178日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.9(土) こども医療センター入院 179日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.10(日) こども医療センター入院 180日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.11(月) こども医療センター入院 181日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.12(火) こども医療センター入院 182日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.13(水) こども医療センター入院 183日目 Bランク | |
[状態] |
★1999.10.14(木) こども医療センター入院 184日目 外泊 | |
AFP 11 |
★1999.10.15(金) こども医療センター入院 185日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.10.16(土) こども医療センター入院 186日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.10.17(日) こども医療センター入院 187日目 外泊 | |
[状態] |
★1999.10.18(月) こども医療センター入院 188日目 帰院のち外泊 | |
AFP 16(↑) |
★1999.10.19(火) こども医療センター入院 189日目 帰院 | |
[状態] |